詩の批評
殿岡においては、現在と母というものは似た位相にある。現在というものは人間に必然的に与えられる強度のある唯一の実在であり、人間がそれに対して愛情を抱くものである。同じように、殿岡にとって、母というものは彼に必然的に与えられかつ彼にとって唯一の頼れる存在であり、また彼が本能的に愛してやまない存在である。そして、現在というものが過剰であるがゆえに、殿岡が現在を見捨て、また現在が殿岡を見捨てざるを得なかったのと同様に、殿岡の母は、教育のためかそれとも多忙のためか、殿岡をある程度見捨て、それゆえ殿岡も母を見捨てざるを得なかったのである。「母の愛を求めて/得られなかった飢えに」という詩行に、彼が母親を見捨てていることがうかがわれる。殿岡は現在を愛するが現在が過剰なゆえに現在を見捨てざるを得なかった。同じように、殿岡は母を愛したが、母から十分に愛が返されなかったがゆえに母を見捨てざるを得なかった。愛すると同時に見捨てなければならないという葛藤、これこそが殿岡の「苦悩」ではなかったか。
そしてこの苦悩は単純に「苦しみ悩む」ことではない。殿岡は現在を見捨てながらも記憶の中にその一部を温存することでそれを慈しみ続け、それを詩化し続ける。母に拒絶されたと感じながらも「もともとその空洞を埋めて/しなやかな胸になるために/きみといるのではないか」と語り、「きみ」によって母の欠落を埋めようとする。彼の苦悩は愛することと見捨てなければならないこととの葛藤だけに収束するものではない。彼の苦悩はもっと広がりを持っていて、その広がりの中には、過去を愛したり過去を修飾したり、それでも母への思慕をいつまでも持ち続けたり、母の欠落を「きみ」で補ったり、そういう一連の心的過程が含まれている。それら全部をひっくるめた豊饒な広がりが、殿岡の「苦悩」なのである。
2.比喩と実体
月光を反射する草花の目がいっせいにぼくを見る
(中略)
黄色い花の奥や
葉の中央の窪みに
その目はある
日光の下では閉じて月影に開く
(「草花の目」)
「あの人は植物のようだ」というとき、「植物」という比喩は実体を持たない。実体を持つのはあくまで比喩されている「あの人」であり、「植物」は単なる想像上の比較点としてしか意味を持たない。「あの人」の実体性は極めて強いが、「植物」の実体性は極めて弱い。だが、比喩の現場においては、比喩されるものと比喩するものの実体としての強度はさまざまである。「月光を反射する草花の目」というとき、その「目」は依然想像上のものだと思われる。つまり、「月光を受けて立つ草花があたかも殿岡を見つめているかのように対峙しているその態度」というものが比喩されるものであり、それは実体性が強いが、その態度を比喩するものである「目」は依然想像上のものであり実体性が弱い。だが、「あの人は植物のようだ」における「植物」よりも、こちらの「目」の方が実体性は強くないだろうか。「あの人」よりもこちらの「草花の態度」の方が実体性は弱くないだろうか。殿岡はこのようにして、比喩されるものの実体性を弱めていき、逆に比喩するものの実体性を強めていく。
何も言わなかったことを
ぼくを監視する警吏が許さない
(「笛を持つ警吏」)
この詩は、そば屋で残り物を出されたのに怒らなかった自分を戒める自己意識を「警吏」で比喩している。警吏は自己意識の比喩でしかない。だからそもそも実体性は弱いはずなのだ。ところが、この詩では警吏がどんどん実体化されていく。
警吏は大きな十字路で
笛を吹きながら交通整理をする巡査の格好で
銀色の笛を持つ
(中略)
四角い空が
ひらけるとともに
眼に飛びこんでくる店の看板
とたんに警吏が現れて笛を鳴らす
(中略)
ガラスのドアを閉める
警吏は何か言いたそうである
ぼくは立ち去ろうとして振り返る
(同編)
ここまでくると、もはや比喩されるものである自己意識などその存在すら忘却され、殿岡を戒める存在としての比喩するものである警吏の実在性ばかりが強められる。そうすると面白いことに、本来想像の産物でしかない比喩というものが、その実体性が限りなく強められることにより、非比喩に近づいてくるのである。
雪の翌朝
りんごの眼
バナナの鼻
炭の眉をした雪だるまを父が作った
(「月影の出口」)
この雪だるまの実体性と、先の警吏の実体性にそんなに差はあるだろうか。比喩とはそもそも二重写しである。実体性の強い比喩されるものに実体性の弱い比喩するものを重ね合わせるのである。ところが、殿岡は、比喩するものを克明に描いていくことで、つまり想像力をたくましく発揮していくことで、比喩されるもの(自己意識)の実体性を弱め、比喩するもの(警吏)の実体性を強め、最終的には、比喩の舞台を、警吏という比喩するもののみが存在するという一重構造に帰せしめている。これは、雪だるまが存在するという非比喩の一重構造と変わらない。殿岡は雪だるまの思い出を語るのに何ら想像力を駆使していない。ただ記憶を語っているだけだ。だが、面白いことに、自己意識を警吏で比喩し、その比喩をどこまでも想像力を駆使して克明に描いていくことにより、比喩の二重構造は失われ、想像の産物であるはずの警吏は現実のものと等しくなる。つまり、比喩を克明に展開し、想像力を限りなくつきつめていくと、そこには非比喩・現実が生じるのである。比喩の極致は非比喩であり、想像の極致は現実なのである。
殿岡は、このように様々な強度の実体性を備えた比喩を駆使するが、それを可能にしているのが、やはり初めに述べた彼の弱さなのではないだろうか。比喩は彼にとって武装ではなかった。意識的に武装すると武装の在り方が画一的になりやすい。だが殿岡にとって比喩とは、自らの体験を語るのにちょうどよい媒体であり、自らの想像力を泳がせるちょうどよい浴場なのである。自然にしなやかに自由に想像力を働かせていくことによって、様々な強度の実体性を備えた比喩が作られた。そこに定型はなく、無理な気負いもなく、ただ経験と混ざり合うときに自然的に反応する、その反応の仕方が多種多様な比喩だったのだ。
3.おわりに
殿岡はなぜ詩を書いているのか。それは、やはり愛するものと「見捨て、見捨てられる」関係に立たざるを得ないという傷が原因ではないのか。愛するものとは、一番は母であろう。母から見捨てられ、母を見捨てなければならなかった傷。そして自分の人生というもの。自分の人生、特に少年時代を慈しみながら、その人生が過ぎ去っていくのを見送らざるを得ないという傷。だが、彼は科学的にその傷を治療しようとはしない。彼はむしろ、その柔軟さゆえに、その傷と和解する道を選んだ。傷を克服するのではなく、奔放な想像力・比喩を駆使することでその傷を薄めると同時に、その傷の存在を承認した。殿岡の詩は、彼の傷との和解の産物である。