千歳の魔導事務所
「これな、綺麗な人形でしょう? 知り合いにこの手の職人がいてね、こいつはその職人からもらったんだけど……まあほら、手に取ってよーく見てごらん」
「いいんですか?」
ああ、と赤嶺さん。しかし見れば見るほど良くできた人形だ。よくわからないがこういうのをアンティーク? というのだろうか。
それは欧州の小さな町の、優しいおじいさんが一人でのんびり営んでいる小さな骨董品点にでも飾られているような。ある種幻想的な雰囲気を漂わせて、見る者を例外なく惹きつけるような魅力が、それにはあった。きっと色んな人の手を渡りながら世界中を旅してきたに違いない。きっとその店にやってくるまでには涙無しには語れない良いエピソードがあったのだ。絶対そうだ。
「でね、さっきはちょっと脅かしたけど、君の場合は知っておいたほうがかえって安全だと思うんだ」
私は動物、中でも猫が好きでぬいぐるみなどデフォルメされたものよりも実物の猫のような姿をしたこの人形は、当然ながら私の好みのド真ん中を射抜いてくれたのだった。どこかのアニメ映画で観たような、この人形が紡ぎだすステキなステキな物語の妄想がとまらない。
あぁ、猫ってどうしてこんなに惹かれるのだろうか。古くから猫は魔女の使い魔や妖怪の類など魔的な雰囲気で、人から畏怖の対象として恐れられた。かと思うと時々見せるあざとい行動で人を和ませる。果たしてどちらが本当の姿なのか。
まぁ猫としてはただ単になにも考えずに生きているのだろうけど。ミステリアスな雰囲気は人がとってつけた、猫にとってはいい迷惑の風評でしかない。黒猫なんか横切るだけで不吉なんて言われてかわいそうに。
わかっている、私はただかわいいから好きなだけなんだ。
「遅かれ早かれ、どんな形であれ君は知ることになったはず。今回はそれがたまたま私だっただけで、まぁこれが幸か不幸かはまだわからないがね。とにかく君に一つ試してもらいたいこと……が……」
いいなぁこの人形……きっと高いだろうからまさかくれるなんて事はないだろうけど、それでもたまに見に来るくらいはしてもいいかもしれない。
「……そうか、そいつがそんなに気に入ったのか。良かったなーかわいい女子高生に好かれて、だがちょっといいかな?」
赤嶺さんは机を指先でトントンと鳴らした。それに気づいてハッとする私。どうやら自分の世界に入ってしまっていたようで、赤嶺さんの話を聞いていなかった。それはあまりにも失礼だろう、ものすごく申し訳ない気持ちで慌てて取り繕う。
「ご、ごめんなさい! いやこの人形がすごく綺麗で、その、夢中になったというか、あの、すいません!」
「いやいや別にいいんだよ? 私もそいつを始めてみたときは軽い感動を覚えたもんだ」
そう赤嶺さんは笑顔を見せた。良かった、怒ってはいないようだ、多分。急に恥ずかしくなってしまい、今度は私の顔全体が赤くなっていくようだった。
そういえばなんの話だったっけ? そもそも赤嶺さんは本題を話すといってこの人形を持ってきたはずだ。
私が拙い考えを巡らせていると赤嶺さんはごほん、と少しわざとらしい咳払いを小さくした。どうやらそろそろその本題に入るらしい。
「そうだな、口で説明するよりは見た方がわかりやすいだろう、ほらレオ、そろそろ出番だ」
と、私と赤嶺さんしかいないはずなのにさながらこの場にもう一人だれかいるように言い放つ。なにか背筋に冷たいものを感じ辺りを見回すが、しかしやはりいくら首を回して見ても他に誰がいるはずもなく、急に怖くなって体がこわばる。
自然、膝の上に抱えている人形を抱く腕にも力が入るわけだが、どうやらちょっと力を入れすぎたようだった。
「出番と言われても、こうもガッチリされたんじゃ動きようがないわけなんだけどな」
それは大人の女性として落ち着いた赤嶺さんの声でも、聞きなれた自分の声でもなく、声変わりをやっと終えたような若い少年のような声だった。そして案の定、それは私の膝の上の辺りから聞こえてきたわけで。
ピシィ、と体の時が止まる。お約束のように首から上だけは動かせたので視線だけ動かして恐る恐る自分の膝上を見ると――。
「こんにちにゃ」「うひゃぁあ!」
目が合ったそいつを思わず放り投げ、私はソファからばねでも跳ねたかのように立ち上がる。そいつは空中でくるくると回転し、予定調和のといわんばかりに向かいに座っていた赤嶺さんの肩の上に綺麗に着地した。
「良いリアクションだ。だけどやっぱりそんなふうに怖がられると傷つくぜ」
そんな風に喋り赤嶺さんの顔の横で腕を組んでいたのは紛れも無い、今の今まで私の膝上にいた『人形』だった。ただし、すごく動いている。そんな種類の生物が当然の如く存在するかのように自然に顔の毛繕いなんかをしてしまっている。
「……え? 人形? 猫? え?」
混乱している。でもおかしい、さっき触っていたときは間違いなくそれは人形だった。体は木でできているかのように硬くて重さも軽かった、もしそれが生物だったら私だって流石にわかる。しかし現実にさっきまで人形だったものはこうして動いている。ということはつまり生物だ。だから人形じゃない。でも――。
「とりあえず座りなさい、大丈夫襲い掛かったりしないよ、ほらお前も下りなさい」
その人形? は軽快に赤嶺さんの肩からテーブルに飛び降りて右手を腰にあててカッコ良くポーズを決めてこっちを見ている。確かに少し、いやかなり驚いたがとりあえずは敵意はないらしい、おそるおそる私はソファに座りなおす。
「驚かせたみたいですまないね、そいつの名前はレオという。まぁ見たとおり、動く人形だ」
赤嶺さんが言うとレオと呼ばれた人形は舞台役者がコールに答えるようにうやうやしくお辞儀をした。型のはまったかしこまった立ち振る舞いは、やはりそういう動きのするように仕掛けがしてある人形にしか見えない。
「初めまして、俺の名前はレオ。差し支えなければ名前を教えてくれますか? お嬢さん」
「よ、よなしろ、ことです……」
よろしく、とテーブルの上を歩いてきて右手を差し出すレオ。握手を求めているらしい。反射的に私も手を出すが、こんなサイズが違いすぎる相手との握手をしたことはもちろん無かったので、握手なんてしようが無いことに差し出してから気づく。
引っ込めるわけにもいかず、その小さな手を握るまいか迷っている私の手を彼はポンポンと笑顔で叩く。あしらわれた。
「レオの『精神』は人間のそれだ。だが今は色々あってその姿になっているんだ。当然普通の生き物とは違う存在なわけで、その原動力は外部からの魔力、というわけなんだよ。どうだレオ、久しぶりに動いた感想は?」
「すばらしいね。今までにないくらいの上質なオドだ。たったこれだけでも一週間くらい余裕で動けそうだよ。それで何者なんだこのお嬢さんは?」
じっ、と翠色の宝石のような瞳で私を見上げる。最初こそ驚いたが、この人形は友好的で、人形だけど動いてて、知的で話もできるときている。そして猫だ。その存在は、なんというか――。