千歳の魔導事務所
ポケットから出した両手には半透明の、ガラスのような結晶がいくつも握られていた。
そして校舎の陰や私の後ろの方から、今までどこにいたのかサラリーマンやら中年の女性やら同年代の男女やらがゆっくりと姿を現した。
先手は取られた。だけどただやられるわけ、ないじゃないか。
「ただの女子高生ですよ」
所長の腕輪を取ってポケットに突っ込む。大丈夫だ、集中しろ。
「――それと、とある事務所の事務員です」
まずはなんとかして、玲華さんの下へ。
汗が頬を伝う。連続猛暑日数は確か火曜日に雨が降ったからそこで途切れたはずだ。しかしそこからまた関東地方は絶好調に夏していた。
前に立ちはだかる柏木先生も表情だけは涼しい顔をしているが、伝った汗が顎の先から雫になってシャツや地面に落ちていく。どうやらこの人も私と同じ人間のようだ。
そして私と柏木先生が対立するように向かい合っているのを、さらに周りから数人が囲うように立っている。
その人達の視線は真っ直ぐに私を見つめ、私から数メートルの位置を保っている。きっと私の一挙一動は完全に筒抜けなのだろう。
額の汗を拭う仕草をすることもなく、こちらを無表情で見つめる彼らはまるで人形のようだ。
・・・
この人達は……おそらく柏木先生の協力者とみて間違いないだろう。
数秒の硬直状態の後、口を開いたのは柏木先生だった。
「できることなら手荒な事はしたくないんだ。慣れてもいないから加減もよくわからない。君が僕やあいつの事を放っておいてくれるというなら別になにもしないんだけど、どうかな……?」
先生は――本当に優しい人なんだろう。そう言ったときの表情は困ったように、苦しそうに見えたのだ。
「放っておいても……同じ事です。いずれ誰かがあなた達の事を見つけます。私だって話し合いで済めばそれが一番良いんです。だから……そこを通してもらえませんか?」
しかし先生は首を横に振った。その表情には悲しさが足されていて、見ているこちらにも想いが伝わってくるようだった。
「君をあいつのところへは行かせられない。どういうわけかは知らないが、君はあいつの力の及ぶ外側にいるみたいだから、だから僕があいつを守らなきゃならない」
その言葉はお互いの意見が完全に平行線であることを意味していた。
しかし、だとしたら一つ思う事がある。
「先生、さっき私といた女の人、いましたよね。 私が普通じゃない以上にあの人だって、普通じゃないんです。それこそ放っておいたらあの人がなんとかしちゃいます。それにあの人の方が力にモノを言わせるタイプなんですから」
一度見たらわかる。玲華さんは完全な武闘派だ。それも生半可なものじゃない、闘いという名において、玲華さんはプロの格闘家以上にプロなのは間違いなかった。
私よりも直接の危険度は玲華さんのほうが上のはずだ。
それに少しでも揺さぶりをかけて優位に立ちたかった。一食触発のこの状態において私のできる事はきっともう、それしかなかったのだ。
「そうかも知れない。でもやっぱり何においても君をどうにかすることが第一なんだ。それにきっとあいつは大丈夫、本来ならあいつは相手が生物である限りどうにかできるような存在じゃあない」
大した自信と信頼じゃないか……でも、少なからず私だって玲華さんを信じている。だからこそ、早く倉庫(あそこ)に行かなきゃ。
「……それでも、通して下さい」
「……それでも、ダメだ」
くっ……、ならもう、仕方が無いじゃないか……!
辛うじて保たれていた均衡が――崩れる。
(行くよ、レオ!)
ここから見て一番可能性がありそうなルート――先生を中心にぐるりと迂回するように、そこを辿るように駆けるべく、脚に力を込める。
それを合図にするように柏木先生を除く私を囲んでいた人達は一斉に私に向かって、ある者は飛び掛り、ある者は振りかぶり、ある者は突っ込んでくる!
「――!?」
それは私が飛び出すよりも一瞬早かった。また先手を取られたのか私は――。
私が人を惹きつける、いや引き付ける磁力でも帯びているかのように視界全ての人が一瞬で間合いを詰めてくる。
思わず地面を蹴り、そしてスライディングするように飛び掛る人の下を潜る。
私と地面との摩擦は無く、その代わりに隙間が数センチ有り、勢いをつけて氷の上を滑ったようなスピードでなんとか飛び掛ってきた数人の下をすり抜ける。
だがすり抜けたところで、待ち構えていたサラリーマンが振り上げた竹刀を力任せに叩きつけてくる!
ベキィ、と言う音と共に竹刀が私の目の前で根元から折れる。
「ごめん――なさい!」
掌をサラリーマンの身体の中心目掛けて繰り出す。すると鈍い破裂音がしてサラリーマンは後方に数メートルすっとんだ。
「さあぼさっとすんな!」
「わぁかってるよ!」
私にダメージは無い。だけど過信も油断もしてはいけない。
止まってはダメだ、進み続けなきゃ。
あと数歩で中庭を出られるといったところで、真正面から人が五、六人まとめて飛んできた。
(!? これは――よけられない!)
風のクッションはなんとかその人達を押し戻そうとしたが、質量が大きすぎた。
押し戻そうとする力は反動で私を中庭の中心へと逆に跳ね返したのだった。
「くぅ……」
地面に数回バウンドし、流石に身体に痛みが走る。
……振り出しか……。
「孤都……やろうと思えば――ここ一帯をこの連中ごと引き裂いて強引に突破することもできるからな」
レオは私の肩で言った。
「だめ……最終手段にもならないよそれは」
言っている間にも飛び掛ってきた少年を、さっきみたいに掌で跳ね返す――ごめんね……。
先生の話しを信じるなら……この人達はきっと私を襲ってる自覚さえも無いはずだった。いや、自覚があろうがなかろうが、それだけは越えちゃいけない線だと思う。
「まあ、同感だ。人殺しなんて俺もしたくはない」
私は桜の木の下から飛び出す、一瞬遅れてそこに鉄パイプが打ち付けられる。
体勢を整える間もなくまた数人が、今度は波状的に各方向から襲ってくる。
(こうなったら……!)
私は、翔(と)んだ。
前後左右、ご丁寧に周りの教室の中に至るまで塞がれていたのだ。だったらもう上(・)しかない。
地面を蹴り、足の裏に気持ちを集中するようにして二度、三度と空中を踏む。
それだけで私の身体は校舎の三階ほどまで舞い上がり、桜の木が眼下に見えた。
――遊園地の絶叫アトラクションで感じたような浮遊感、果たしてその条件反射か、それとも未知の体験からくるものなのか、いや両方だ。とにかく恐かった。
でも、これで意表を突けたはずだ。涙目になりながらもいざ倉庫を目指すべく前を向く。
知らない人と、目が合った。
「え……」
目の前にいた体格の良い青い作業着を着た男性は、振りかぶった拳を力任せに私に叩き付けた……!
「きぁっ……!」
斜めに、桜の木に突き落とされる。