千歳の魔導事務所
レオが私の足元まで来て、一回私と目を合わせてそしてまたその人の方を向きなおす。
「なるほど、わかった。不可抗力とはいえ怪我をさせて悪かったな。それで、リミットはどれくらいだと見てるんだ?」
「言っただろう、もうそろそろ頃合だ。今日か……遅くとも明後日までにはなにかしらのアクションは起こるだろう」
「そうか……。こちらとしてもそれは望むところではないしな。手を貸そう」
今日のご飯はどうしよう。暑いし冷やし中華食べたい。
「頼む。でもとりあえずはコンディションをなんとかしないとな……」
「ああ、それもそうだな。お前、回復魔術(ヒーリング)はできるのか?」
やっぱり怪我は意外と大したことないみたいだ。制服も……汚れてはいるけど破れたりはしてないな、良かった。
「あいにく専門外でね……強化は得意なんだが回復(ヒール)だけはどうしてもな……」
「珍しいタイプだな……まあ良い、おーい!」
「へあっ」
いきなり呼ばれておかしな声が出る。レオがその人の傍で私の事を呼んだようだ。立ち上がってお尻をはたいてその人の傍まで寄る。
するとレオが私の肩までするりと登ってきて囁くように言う。
「さっきの要領だ。こいつの手をとって目を瞑って集中してみろ」
「う、うんわかった。じゃあその、失礼しますね……?」
言われるがまま、その人の手をとって目を瞑って集中してみる。
さっきの要領と言われても必死で全く覚えていない。ただただレオとこの人の攻防を見ていただけだ。
だけど最後、レオに集中しろと言われてからは、私は必死で集中した。この場を乗り切るのはレオの言うとおりにするしかないと思ったからだ。
割り切って、落ち着いて。神経と感覚に意識を収束させるように――。
「ほお……」「これは……」
レオとその人の声が漏れたのが聞こえた気がした。
「もういいぞ」
レオの言葉にはっとして、思わずとった手も離す。
その人は驚きの表情をして、自らの身体を見回していた。その顔色は良く、改めてみると結構な美人さんだった。
「一瞬でこれほどまで……敵わないわけだよ」
私は空気を読んで、「それほどでも」と微笑む。もういいや、勘違い上等。
「わかった。あなた達の事を信じよう。私は玲華(れいか)と言う」
黒い手袋を外して右手をこちらに差し出してきた。肩のレオは私に頷いてみせる。なので私も手を差し出し、笑顔でそれに応える。
「――千歳です。よろしくお願いしますね、れいかさん」
まだお互いを信用していないことは、お互いが良くわかっていた。
「なんで偽名なんて使ったんだ? それにずいぶんとものわかりがいいじゃないか」
「なんか咄嗟にでちゃったんだよ。それに別にものわかりがいいんじゃないよ、わからなすぎることがわかったから保留したんだよ。だからちゃんと教えてよ」
例の倉庫の二階部分にあたり、入り口から入ってすぐ斜め上の、割れた窓付近にある錆付いた作業用足場(キャットウォーク)の上に、そこから倉庫の内部を監視するように私とレオはいた。
玲華さんは「一時間ほどで戻る」と言って、それまで私とレオにここの番を任せてどこかに行ってしまった。なんでも私達に出会った事で色々とやることができてしまったらしく、それを片付けに行ったのだそうだ。
倉庫の入り口はレオが新たに同じ封印を施した。しかしおそらく気休めだろう、入り口付近にはレオと玲華さんが戦った痕がそこらじゅうに残っている。
それでもこの結晶(魔力)を確認するためにはきっと中に入らなければならないだろう。最悪誰かがこの倉庫にくるか確認できればそれでよし、レオも身体はぼろぼろだし、もう無茶はしたくないというのが本音だ。
「それでレオ? 今度こそ教えて欲しいんだけどさ」
レオは窓の桟から外を見ていて特に反応はない、まあいつものことだ。私は構わずに続けた。
「玲華、さんと戦った時のあれがレオの魔法なの?」
レオはちらりと私を見て、少し考えるようなそぶりをしてから落ち着いた声で話し始めた。
「うん、そうだ、あれが俺の力だ。この姿になってから久しく使うことはなかったからな、実は本当にギリギリだったんだ」
言って私に左手(前足)を向ける。そしてレオの方向から涼しいそよ風が一つ、私の髪をなびかせた。
「気体に魔力を混ぜて自分の意のままに操る。壁にして身を守ることや、刃にして切り刻むこともできる。簡単に言うとそういうことだ」
そこまで聞いて、なぜか驚きよりも納得の感情が大きかった。しかしそれよりも大きかったのは落胆の気持ちだった。
「だったら早く教えてくれたって良かったじゃんか。そうしたらこういうことになっても私だって協力できたかもしれないのにさ。よくわからないけど、でもなにもわからないで死ぬなんて嫌だよ」
応えるレオの声のトーンは相変わらず低い。
「……自分の情報が漏れるのはそれこそ生死に直結するからな。味方であっても秘密にしておいたほうがいい事はあるんだよ」
それは……わからなくもないけど。でも、私だって役に立ちたかったと思うのは、これも正直な気持ちだった。
「……わかったよ。じゃあさ、玲華さんはなんなの? あの人も大概な動きだったよ?」
「あれはおそらく自己暗示の一種だな。聞いたことあるか? 人の脳にはリミッターがかかってるとかいう理論」
それは聞いたことがあった。
主にスポーツの世界で良く言われている。人の身体は通常の状態だと二十パーセント程しか満足に使えない、それは身体への負荷を軽減するべく普段は脳がリミッターをかけているから、とかいう話。
現実にもアスリートは一時的にでもそのリミッターを外すことができる人もいるらしく、そのパフォーマンスは時に人智を超える。
「ああ、そのリミッターだが、それをあいつは意図的に外すことができるようだな。だからこそのあの身体能力なんだろう」
「でもそれだと体が持たないんじゃ……」
度を過ぎたエンジンの、機関部への負担は想像を絶する。
「まあそれを軽減する方法はいくつかある。負担を上回る超回復で賄うか、それこそここの入り口にかかっている封印のような術を使えば単純に身体は硬くなるしな」
ふうん……、一応わかったふりをしておく。最後にもう一つだけ、どうしても聞いておかなきゃならないことがあるのだ。
「なるほどね……。じゃあさ、あの、わかったらでいいんだけどさ……」
聞きたいけどなんとなく戸惑ってしまう。聞いてしまうのがちょっとだけ怖かった。
「お前の『力』のことか?」
「うん。私ってなんなの? あの人の手握っただけで傷が治るとか、ファンタジーもいいとこだよ?」
今までも実はそういうことはあった。周りの人に比べて少し自分の傷の治りが早いなーとか、よく言われるのは私といると元気が出るとか。私にとって『痛いの痛いの飛んでいけー』は本当にそういう治療法だとも思っていた。中学生まで。
しかし今回のように異常なほどの力は私には無かったはずだ、少なくとも今日までは。