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東奔西走メッセンジャーズ 第二話

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 前のギアは既に重い大きな方に切り替えてあり、後ろのギアは5段分残っている。
 立ち漕ぎも使って、一番重い、つまり速く走れるギアを踏み切れれば何とか行けるんじゃ無かろうか。
 そんな事を思いながら、先輩に続き左折する……その先にゴールとなるシンプルな看板が見えた。
 道路はストレート、郊外という事で、まだ江都市内のような追い越し車線まである自転車道こそ整備されていないが、広い車道と路側帯が広がっている。
 そして、コーナーに入る前に、後方も確認しておいた、後ろから来ている車は無い。
 コーナーでスピードを落としたためか、減速した先輩の背中がぐんぐん近くなる。

 まるで、手を伸ばせば届く位に……

 そこまで認識して、俺はスピードを乗せたまま、多少膨らみ気味にコーナーを抜けて、先輩の横に一気に並んだ。
「お、仕掛けた」
 横で発せられた妙に平静な声が、奇妙なほどクリアに耳に残るのを感じながら、そのまま前に出る。
 その直線は距離にしておよそ500m程度だろうか、速度を上げた俺の目に、広めの店舗の姿が、それこそあっという間に近くなっていく。
(これなら……)
 勝てる、そう思った俺はさらに一段ギアを上げ、立ち漕ぎの姿で加速……
「な……何だぁ?!」
 しようとした所で、全身が何か見えない力で押し戻されるような圧力に晒された。
 只でさえギアチェンジで重くしたペダルが更に重くなる。
 力と体重を掛けて何とか踏む……だが、その行為は徒(いたずら)に体力を消耗しただけで、俺の愛車の速度はその圧力に負けるように、目に見えて落ちて行った。
「風圧よ」
 横から綺麗な声が聞こえたと思った、その次の瞬間には、既に青い自転車と白いパーカーの背中が、俺の前をすいすいと走っていた。
 前傾した彼女の首の後ろで、俺をからかうようにフードがヒラヒラと踊る。
「ざーんねんでした」
 そんな声を残して、ウニクロの駐車場の中にその細身の姿が吸い込まれた。
「……やっぱ駄目か〜」
 そうそう、世の中は少年漫画みたいに上手く行くもんじゃない……よな。
 


「お疲れ様……というのが社交辞令に聞こえない感じだね」
「ええ、体力の最後の一滴まで搾り取られた感じです」
「……ぶにゃ」
 目当ての物と、余分な頭痛のタネを抱え込んで野良屋に帰り着いた俺を、オーナーとブタ猫が心配そうに出迎えてくれた。
 結局、あの後先輩が選んだ、それはそれは可愛らしいヲタクさん仕様なTシャツは、今俺のカバンの中に入っている。
(……明日、これ着なきゃ駄目ですか?)
(だめ)
 にべもなければ素っ気もない返事と共に押しつけられたそれは、何とも気が重いシロモノであった。
「まぁ、スポーツ自転車二日目にして80km走破してくれば立派な物だよ、ほい、まずはこれでも飲んで落ち着くと良い」
「頂戴します」
 野良屋の前に置かれたベンチにへたり込んだ俺は、オーナーが差し出してくれたボトルを手にして、それを口にした。
 酸っぱい……けどすんなり飲める。
 いや、すんなりというより、体が欲しがっていると言うべきかな。
「美味いですね、レモンを絞った物ですか?」
「生憎ウチのオリジナルじゃなくて、市販のクエン酸系サプリメントだよ、筋肉疲労に良く効くから、そのボトル一本、直ぐにじゃなくて良いから、飲んでおきなさい」
「はい〜」
 一本どころか三本はいけそうな気がするが……まぁ、サプリ系の過剰摂取は不味いよな。
「ちなみに、濃度の高いクエン酸は歯を溶かすからね、飲んだら軽く口をゆすいで置いた方が良いよ〜」
 同じ物をオーナーから受け取った先輩が、同じ距離を走ったとは思えない涼しい顔でボトルに口を付けながら、俺を覗き込む。
 上からの先輩の声に、俺は背もたれに体を預けるような感じで、何とか顔を上げた。
 疲労からか、睡魔に襲われてぼんやりした俺の視界に、先輩の顔が映る。

 ……ああ、やっぱりこの人綺麗だな。
 彼女の動きに合わせて、春の日差しの中で、キャスケットから開放された長めの黒髪が、なんともいえない光を纏い、踊っている。
 どこか現実離れした、妖精みたいな人……。
「……ちょっと、大丈夫。ひょっとして熱中症か脱水症状でも起こしてる?頭痛とか無い?」
「え?……ああ、大丈夫ですよ、ちょっと疲れてボーっとしただけなんで」
「そう?」
 気遣わしげに眉を顰めた先輩の白い手が伸びて、俺の額に当てられた。
 ちょっと硬質な感じがする冷たくて気持ち良い手……。
「ん、熱は無いみたいね……疲れで動けない感じかな」
「お恥ずかしい事で」
 このザマで、商売としてやっていけるのかな。
「自転車の良い所が裏目に出てる例だね、体に負担が少ない分、体力は限界近くまで使えちゃうんだよ」
「にゃー」
「……あー、それ何となく判ります」
 オーナーとメタボ猫の野良コンビの言葉は、まさに今の俺の実感そのものだった。
 この自転車って奴は全身の筋肉を満遍なく使う。
 それで居てあんまり関節なんかに負担を掛けない感じがした。
 特に、それはサドルを上げてからが顕著。
 あれ以降は、本当に楽にスイスイ走れたし、思ってたより、足の筋肉も酷いことにはなってない……まぁ当然だが太ももからふくらはぎにかけては結構張って来てるから、筋肉痛は免れないだろうけど。
 その代わり、体力は知らない内に吸い取られている感じがする。
 で、気が付くと今の俺みたいにぐったりしてしまうって訳だ。
 まぁ、考えてみれば80kmの距離を移動したんだ……そりゃ体力も使い果たすだろう。
「取り合えずさ、まだ1時半だからシャワー浴びてから野良屋のソファで仮眠でもしてきたら?4時には間に合うように起こしてあげるから」
 4時……ああ、そういや紫乃ちゃんに、俺の愛車見てもらう約束だったっけか。
「お言葉に甘えます」
 よっこらしょという感じでなんとか立ち上がり、緑の愛車に手を掛ける。
 ……こいつで、80km走ったんだなぁ。
 此処を出発した時より、精悍な佇まいに見えるのは、サドルが上がった見た目ばかりの事では無いだろう。
 偶々ネット上のショップの写真で売れ残りの中から“それなりの商売道具”として選んだ奴だったが、こうして一緒に気合いを入れて走ってみると、なんとも言えない愛着が湧いてくる。
 スタンドを上げて、野良屋に向かって歩き出す。
 体は重かったけど、不思議な程に疲労を心地よく感じる。
「さて……そんじゃお言葉に甘えて一休みするか、相棒」


 よれよれ、といった様子で野良屋に歩み去る通雄の背中を見送って、野本はそれまで彼がへたり込んでいた店先のベンチに腰を下ろした。
 彼のやんちゃな社員達が馬籠商会に行く頃には、このベンチではコロッケを手に談笑する高校生の姿が見られる事になる。
「で、彼はどうだったかな、いじめっ子さん」
「誰の事です?ここには優しい先輩しか居ませんけど」
「に゛ゃふー」
 図々しい言い種に呆れたような野良の鳴き声に苦笑しながら、野本はまりなを見上げた。
「はいはい、優しさは時に厳しさを伴うよね……それで、どうだったかな?」
 オーナーの言葉に、まりなはボトルの残りを飲み干してからにんまりと笑った。