東奔西走メッセンジャーズ 第二話
そんな俺の考えを見透かしたような顔で、先輩が例の化け猫っぽい笑みを浮かべる。
「頭じゃ判らない事も、案外体が教えてくれたりするからね……Don't think feelって言葉知ってる?」
「流石に、あんまりそっち方面の映画見ない俺も知ってます」
考えるな、感じろ、か。
「そうそう、時に体に任せ、時に頭を振り絞る、両方できるのが人間の良いところよ……さて、講義終わり、では君の恥ずかしい服を買いにそろそろ再出発と行きましょうか」
「ちょ、待ってください、なんで恥ずかしい服なんですか!」
「あたしに負けたら、凄いキャラTシャツを一枚買って、明日の研修はそれで受けるのじゃ」
そう言いながら、先輩がすーいと走り出す。
「ぱっ、パワハラ禁止!横暴禁止!」
「まぁまぁ、それはおねーさんがプレゼントし・て・あ・げ・る」
「何の問題の解決にもなってません、てか、俺は無地のTシャツしか着ない誓いを立ててるんですっ!」
俺も走り出そうとして、先ほど変更されたサドルの高さを思い出し、慌ててトップチューブを跨ぐ。
「そうそう、それで右足をペダルに乗せて」
乗せて……漕ぎ出すと同時に腰を上げる。
単純に高くなる体の位置とは逆に、視界の中ではぐっと近くなる道路と、狭くなる前方視界。
……僅かな違いなのに、視界が狭まる感じが結構怖い。
「おっけ、良いフォームね。それじゃちょっとその辺一周してみて」
ガランとした駐車場は、確かに絶好の試乗場所。
ぐっと踏み込もうとして、俺は心地良い違和感のような物を感じた。
何かを取り除かれたように、足がすんなりと動く。
当然のようにスムーズな足の回転は、クランクとチェーンを伝わり、より一層の速度を自転車に与える。
そして、スポーツ自転車って奴は……なんでこんなに速度が上がる程に楽しくなるんだろう。
単純に理屈抜きに……なんか動物的に楽しいって気持ちが盛り上がって来る。
これは、昨日初めてクロスバイクの速度を体感した時とはまた別種の感じ。
昨日のそれは自転車がこれだけの速度で走れるという事実への感嘆だったとすれば、今日のこれはもっと自転車と一体化したような、自分の足がこの速度を出しているという喜び。
「先輩、じゃ服屋まで勝負おねがいします」
「おー、でっかく出たね後輩……良かろう、その鼻っ柱、叩き折ってくれるわ」
「だから、なんで映画の師匠風ですか」
「調子に乗り始めた弟子の鼻っ柱を折るなんて、師匠的には良い役回りじゃない?」
にまっとした笑みを残して、先輩の自転車が鋭い加速で俺を引き離すのに、必死で食らい付く。
「華を持たせてやれば、弟子の自信になると思いませんか〜」
「駄目駄目、この程度で勝てる師匠じゃ先が無いと思われるのがオチでしょー」
「一生尊敬しますから今日だけは勝たせて下さい」
「いやですよーだ」
本気で勝てると思ったわけじゃないし、これが先輩の本気だと思ってる訳でもない。
ただ、後20km弱程度の道を、ちょっとだけ本気を出してくれた先輩に、何とか食らい付いていくようなペースで走ってみたかったのだ。
そうすれば……残りの答えも見える、そんな気がしたから。
3
「ぶなー」
「お客が引けてからお越しとは助かるよ……ほいカリカリ、今日はチキン風味にしといたよ」
近所のオフィスの常連客が昼食を買いに来る、混雑のピークを過ぎてから来店したデブ猫に、野本は水とカリカリの入った餌皿を差し出した。
「な゛」
どことなし不服そうな様子で餌皿を見下ろす野良の虎縞の背中を見ながら、野本は自分用に作ったおにぎりを頬張った。
ちなみに、これは野本の故郷の野沢菜を使った裏メニューで、本当に一部の常連しか知らない。
裏メニューである理由は、単純に野本の実家の野沢菜を使ってるので、数出せないというだけの話であるが。
「お気に召さんかね?」
「にゃー」
そう鳴きながら鳥の唐揚のパックに鼻を近づける。
「ウチの惣菜をご指名とはありがたい話しだけど、まりちゃんとの取り決めも有るんでね」
そう言いながら、筋トレに使えそうな重量をした毛玉を持ち上げて、カリカリと水の前に戻した。
まぁ、食えるだけ良いか、といった風情で野良が餌皿に鼻面をつっこんでいる姿を視線の隅にとどめながら、野本は据付のアルコール消毒ジェルで手を洗った。
「それにしても、いつ見ても福々しい良い体型をしてるな……どうかな野良宣伝部長にでもなる気は有るかな?」
「にゃご」
どうやら、沢谷君より先に重役昇格が決まったようだ。
「うむ、イメージキャラのギャラはカリカリで」
「なうー」
一気にやる気を無くした様な声を上げて、野良は店先で丸くなった。
「やれやれ、不労所得はかくも人……いや猫か……を堕落させるか」
「なーごー」
煩いと言わんばかりに、野良は丸くなったまま、器用に野本に背を向けた。
「交渉は決裂みたいだね……まぁ、ウチの惣菜食ってるとこういう体型になると思われちゃ、今の日本じゃ寧ろマイナスか」
「確かに美味しいから食べ過ぎちゃう事が多いですよね。しかし、相変わらずお昼の後は何も残ってませんね、このお店」
動きやすそうな姿をした、まりなと同じくらいの身長の女性が財布を片手に店内を覗き込む。
「いらっしゃい忍ちゃん、常連さん用に取り置きはしてあるからご心配なく、今日は何を?」
そう言いながら、レジ裏の保温容器を開く。
「商売敵に対してご親切にありがとうございます。あ、袋はこれにお願いしますね」
そう言いながら、忍という女性は良くあるお買い物バッグを野本に渡して、メモを読み上げだした。
「おにぎりですけど、シャケ3つ、昆布2つ、たらこ4つ……」
「ほいほい」
オーダーを聞きながら、野本はおにぎりや惣菜を手際よくバッグに放り込んでいく。
「鳥の唐揚に……今日ってチンジャオロースーあります?」
「あるよ、明日だと無いと思うけど」
「心しておきます、じゃ2つ」
「はい……と、そろそろ一杯かな」
「大丈夫です、以上で終了ですから」
「毎度大量にどうも……えーと」
手馴れた指捌きでレジを叩いていく。
レシート発行の必要上レジは導入しているが、珠算の結構な達人でもある野本にしてみると、この辺も省電力化の名の下に取っ払ってしまいたい設備ではあった。
「締めて2,480円ですね」
暗算で、最後に手書きででも領収証だけ発行すれば済むなら、これよりは早く出せるんだけどなぁ……。
とはいえ、彼女みたいに、会社の同僚の昼食を纏めて買いに来ている人にしてみれば、明細が判らなければ困るだろうし。
「えーと、それじゃこれで」
「はい毎度、520円お釣りね……それにしても、忍ちゃんが来るとは珍しい、今日は暇なの?」
エンジェルリングの中でもエースと言われる彼女が、暇そうにしているというのは実に珍しい。
「午前にケアホームへの送迎の予約が入ってたおじいちゃん、ちょっと具合が悪くなったとかで、今朝から入院になっちゃったんですよ」
ウチの仕事じゃ飛び込みは滅多に無いので、朝から書類整理三昧ですよ、そう言って肩を竦めた忍に、野本は買い物袋を返した。
「そりゃまた……その人大した事が無けりゃ良いんだけどね」
作品名:東奔西走メッセンジャーズ 第二話 作家名:野良