東奔西走メッセンジャーズ 第二話
そう言いながら、コピー用紙に、ヒョイヒョイと器用に地図を書いていく。
縮尺どうこうというよりは、非常に感覚的な、いうなればイラストマップのような感じだが、何となく使いやすそうに見える。
「安いというなら、真実ちゃん御用達の店かな、矢作(やはぎ)食堂、とにかく安くて量が多いみたい」
流石に小規模店で生き残ってるだけあって、先輩、結構顔が広いんだな……聞いた事の無い人の名前がポンポン出てくる。
にしても、女性でメッセンジャーやってる人って結構居るんだな。
「中華が好きなら、翔子ちゃんお勧めの赤龍亭かしら、ラーメンより餃子が美味しいそうだけど」
A4の白紙が、瞬く間に埋まっていく。
「そういえば、君って好き嫌いある?」
「いや、別に……ブロッコリーが多少苦手な位でしょうかね」
これだって、味や食感ってより、子供の時に田舎の爺さんの家で食べてたら、中から妙にデカイ青虫が出てきたのがトラウマってだけ。
無農薬栽培だから仕方ないといえば、仕方ないんだろうけど。
「茹でたてにマヨネーズを軽く添えて食べると美味しいのに残念ね……スープにして良しだし……ま、その程度なら、無しと言っても良いわね」
「ええ」
「とはいえ、後は凛ちゃんが出没するっていう居酒屋兼蕎麦屋の二八庵(にっぱちあん)位しか、私は知らないしなぁ」
うーん、と唸っている先輩の手から、お手製地図を受け取る。
「当面これだけあれば十分ですよ。この中からお気に入りが見つかるかもしれないですしね」
「んー、御免ね。その内、この街一番のグルメガイドを紹介してあげるわ。尤も忙しい娘だから、何時捕まるか判らないけど」
「へぇ、誰です?」
「大黒屋の根津優香ちゃん。まぁ、店の看板娘だけあって、いつも予約一杯みたいだけど」
「根津?」
はて、どっかで聞いたような……誰だっけ。
というか、俺、この街に知り合いなんて居ない筈だけど。
「知ってるの?」
「いえ、ちょっと聞き覚えのある苗字だと思っただけです」
「ふぅん」
「ふぁにゅあーふ」
なにやら消化不良な様子の先輩の声に、野良の大欠伸が混ざる。
「お目覚めかしら、化け猫さん」
「ぶにゅーふ」
しばしの毛繕いの後に、酔っ払いの例に漏れず水を飲みにエサ鉢の方に向かう野良の虎縞の背中を見ながら、先輩も立ち上がった。
「さて、人間も晩御飯にありつきに行きましょ」
「そうしますか」
「あでででででで……」
目が覚めてみると、随分久方ぶりの筋肉痛。
足が満遍なく痛いのはともかく、腹筋と背筋の辺りも微妙に違和感があるし、上腕にも張りを感じる。
「なるほど、全身運動……だ」
文字通り身を以って知る、自転車のエクササイズ効果というべきか。
こう痛いと寝ているのも億劫だ。
(店にある薬品は、ちゃんと台帳に記入してくれれば自由に使って良いからね)
こうなる事を見越していたのか、昨晩、先輩が別れ際に、微苦笑しながら言った言葉が身に沁みる。
はい、使わせてもらいます……しかも結構大量に。
立って歩くのも辛い、という程でもないが、あちこち庇っているせいか、歩き方が若干ぎこちなくなる。
「おはよう……と、中々大変そうだね」
階段の手すりに掴まって、踏み外さないように慎重に降りてきた俺を見やって、オーナーは、苦笑しながら調理の手を止めた。
「はは……は、運動不足のツケですかね」
「不慣れな運動をあれだけやれば、余程のアスリートじゃなければ大概そうなると思うよ……ほい、朝食にどうぞ、お茶とおにぎりと浅漬けだけど」
「すみません……あ、おにぎりは買いますよ」
財布を出そうとする俺を、軽く手で制してから、オーナーはお椀に味噌汁をよそってくれた。
「まぁ、ここでの寝起きも明日までの事だし、その間の食事くらい用意するよ……というかね、昨日の晩もそうだけど自分の朝食を少し余分に作っただけだから、気にしなくて良いよ」
まぁ、そこに掛けて、のんびり食べていきなさい、とまで言われてしまうと、こちらとしてはその言葉に甘えるしかない。
結局、昨晩はこの店の残り物にありつけずに落胆するまりな先輩共々、オーナーのご好意で晩御飯のご相伴に与る事になったのだが……胃袋的に、この人にはどんどん頭が上がらない状態になっているような気がする。
「何から何までお世話になりっ放しで申し訳ありません」
「気にしなくて良いよ、新人が栄養失調になったなんていうと、ねこまんまの看板に傷が付くからね。所で、何か一品付けるかい、サービスするよ」
アジのゴマ焼きとか、玉子焼きといった、朝に丁度良さそうなお惣菜が良い匂いを立てている。
ついつい誘惑に負けそうになったが、俺はこれまでの生活サイクルを優先することにした。
「いえ、朝食は軽めで、早い昼ご飯で多めに食べる事にしてますので」
ふぅん、というような顔をしていたオーナーが、何かに思い当たったのかニヤリと笑った。
「なるほど、学食を中心にしてればそうなるか」
ばれたか。
割と専門性の高いバイトをしていた事もあって、貧乏という事は無かったが、片親で奨学金貰いの身では、外食に掛ける金など勿体無いだけである。
「学食以上にコストパフォーマンスが良い食堂は流石に無いだろうなぁ……どこか良い所、まりなちゃんに教えて貰ったかな?」
「そうですね、とりあえずですが5箇所ほど」
「そうかい、まぁ、この稼業だと配送先次第じゃ馴染みの店まで戻れないなんて事もザラにある、良い店をあちこちに探して置くと良いよ」
「なるほど……」
「それに、仕事を抜きにしても、自分好みの隠れた店を見つけに行くのも自転車の楽しみの一つさね、良い店有ったら僕にも教えてよ」
「オーナー、外食されるんですか?」
自前でこれだけ美味しいもの作れるのに。
「意外かな?毎日こうやってるとね、他人の作ってくれたご飯が無性に恋しくなる物さね」
……どうやら、ご飯を作ってくれる類の良い人は居ないらしい。
「それ抜きでも他にも味やらレシピを盗みに行くとかね、色々理由も有って外食はちょこちょこしてるから、良い店が有ったら宜しく頼むよ」
「了解しました」
そう言いながら、昆布のおにぎりを頬張ってから、熱い味噌汁に口を付ける。
出汁がどうこうは判らないけど、薄味ながら美味しい豆腐と葱だけの味噌汁。
この人が盗みたくなる味やレシピねぇ……そりゃ難題だ。
「おはよう、良くベッドから這い出してきたわね」
「なーご」
朝食を済ませて野良屋に来た俺を、先輩の苦笑を含んだ声が迎えてくれた。
どうも、先輩は朝は食べる派らしい、結構な量のパスタと格闘中であった。
ソースのグリーンが鮮やかなところを見るとバジリコかな。
「おはようございます、こう痛いと、寝ててもあんまり変わりませんので……あの」
「はい、湿布一袋と塗るタイプの筋肉痛の薬、後はテープが一巻ね。台帳には記入したから全部使って良いわよ」
紙ナプキンで口を拭いながらの先輩から、コンビニのビニール袋に入れられたそれら一式を手渡される。
「ありがとうございます」
察しが良いというか何というか……あれ、薬以外にも何か入ってる。
「これからシャワーを浴びてくるの?」
「ええ」
作品名:東奔西走メッセンジャーズ 第二話 作家名:野良