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東奔西走メッセンジャーズ 第二話

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「所で、先輩は一日に何キロ走れるんです」
 参考までに、と言った俺に、ビール片手に戻ってきた先輩は難しそうな顔を返した。
「フルサポートが付いた状態だけど、それなりの速度を維持してなら300km走ったっけ、その先も行けただろうけど、練習時間がそこで終ったし、翌日にダメージが残らない距離としてはそんな物でしょうね」
 ……想像も付かない距離だった。
「言っておくけど、スタミナ勝負じゃ、私夕那ちゃんの足元にも及ばないからね、彼女なら山登り込みで400km位は走って、翌日もスタミナを維持できるでしょうから」
「あの……夕那さんが?」
 妖精と言っても通じそうなくらいたおやかで、可憐な風情を漂わす彼女の、どこにそんなスタミナが。
「かつては私を引っ張って山登りしてたクライマーだからねー、物凄い丈夫よ」
「クライマー?」
 不得要領な顔で問い返した俺に苦笑した先輩が、一息つくようにツマミのナッツを口に放り込む。
「自転車レースにおける、レーサーのタイプの一つよ、大雑把な分類だけど、弱点の少ない万能型のオールラウンダー、山岳コースが得意なクライマー、平地での速さや、ゴール前なんかの、ここ一番での加速を重視したスプリンターって感じね」
「で、夕那さんがクライマーだったと……先輩は?」
「面倒な事にオールラウンダー扱いだったわ、本人は坂登るのが嫌いだったからスプリンターのつもりだったんだけどね」
 嫌いという言葉に嘘は無いだろうが、苦手ではなかったんだろうな。
 冗談めかしながら、ビールに口を付けた先輩の顔を見ていると、何となくそんな風に思う。
「その分類で行くと、俺はどうなりそうでしょう?」
 満足に走れもしない素人の癖に、とは思ったけど、酒に紛らすつもりでそんな事を口にしてみる。

「オールラウンダー」

 だが、返ってきたのは静かな一言だった。
「え……?」
 真摯……というには余りにも鋭すぎる視線で俺を一撫でして。
「それしか無いわ」
 呟くようにそう言うと、何時の間に飲み干したのか、ビールの缶とおつまみの皿を手にして、先輩は音も無く立ち上がって、給湯室に歩み去った。
「……得意になれそうな奴が無いって事……だよな、野良よ」
 だが、こちらはすでに高鼾をかいて幸せそうな睡眠に移行してしまっており、俺の言葉など聞いても居ない。
「オールラウンダー……」
 先輩と同じタイプの……自転車乗り。
 たった三つのタイプの中から選ぶんだ、重なったっておかしなことはない。
 おかしい事なんて何も無いのに。
 いつもの先輩の顔でそう言ってくれれば、何か言い返せたのに。
 何となくだが、胸苦しさを覚えたおれは、手にしたビールを喉に流し込んだ。
 それでも、この感触はどこにも行ってくれない。
 言葉が胸に刺さった。
 本当に胸に刺さって……そして抜けそうもない言葉を、俺は人生で初めて聞いたのかもしれない。
 それは鋭い警句でも、心を抉るような悪罵でも、沁み込む様な名言でもなくて……ただの単語一つ。
「オールラウンダー」
 もう一回呟いてみる。
 呟いてみて判った。
 これは俺の標(しるべ)になる言葉。
 この言葉が俺の心から抜ける時は、この稼業を辞める時か……もしくは。
「無いな……もう一つは」
 独り言と共に、僅かに残っていたビールを腹に流し込んで、俺は給湯室に向かった。
「ご馳走様でしたー」
「ほいほい、アルミ缶は洗って乾かして、最後に潰してから資源ゴミに出さなきゃいけないから、洗ってそこの水切りに引っくり返して置いといてー」
 この街、ゴミの分別が面倒なのよねー、と言いながらこちらを向いたのは、いつもの先輩。
「そりゃ難儀ですね」
「他人事じゃ無いわよー」
「俺は自前で買ってまで呑みませんので」
「生きてりゃ、何かしらゴミは出るもんよ」
 そう言いながら、ナッツの入っていた袋を丸めて、2mほど離れたビニールゴミの回収袋にひょいと放った。
 手首のスナップの利いた、綺麗な投擲から放られたそれは、放物線を描いてゴミ袋の中に吸い込まれる。
「お見事」
「ダーツやるようになってから勝率が多少上がったわねー」
「ダーツ……」
 似合わない事も無いだろうけど、イマイチ、ダーツバーなんかに居る先輩の姿は想像しづらかった。
「ええ、ターゲットを工夫すると、良いストレス解消になるわよ。お勧めはちゃんと針が付いてて、コルクのボードに刺さる奴ね」
 にまり。
「怖いですね」
 その表情が特に。
「元々武器だからね」
「武器……ですか」
「どうもね、一度ギリギリの勝負事に首突っ込んじゃうと、こういうのが好きになっちゃって困るわ」
「ははぁ」
 別に、それ以上話しを発展させる気は、先輩には無かったらしい。彼女は俺に背を向けて、ナッツを盛っていた皿を洗剤で洗いだした。
 どっちかというとぬるま湯人生を歩んできた俺には、イマイチ、ピンとは来ない話ではあったけど。
「ねこまんまに晩御飯、何か残ってるかなー」
 そんな事を呟きながら、皿の水を切る先輩の横顔は、いつもの暢気そうな顔。
 ただ、この人は……なろうと思えば、今でもそのギリギリの勝負の世界に戻れる人でもある。
 さっきの表情を見て、俺は何となくそう思った。
(流石に教授の友人やってられるだけはある……怖い人だな)
 


「さて、終業したけど、君はこれからどうするの?」
 先輩はそう言いながら、給湯室に置いてあるタイムカードを押した。
「また、ねこまんまの2階の厄介になります」
「晩御飯は?」
「先輩と同じくです」
「……あのねぇ、野良屋の店員だからって、残り物を当てにして生きる所まで野良猫に倣う事は無いのよ」
「はぁ、それじゃ先輩は残り物が無かった時はどうしてますので?」
「んー、そもそも残り物だと何が有るか判らないから、大体は自炊の足しにするだけよ。面倒な時とかは、夕那ちゃんの所に駆け込む事が多いかな」
 自炊してるんだ。
 かなり失礼な事を考えてしまったが、どうもこの先輩だと、夜毎にあちこち呑み歩いてる姿の方が想像しやすいんだよな。
「夕那さんの店……えーとストレイシープでしたっけ、営業は何時までです?」
「女の子二人で営業してる喫茶店だからね、夕方6時閉店、オーダーストップは閉店30分前」
 駄目じゃん。
「……先輩のそれは、個人的なコネと仰るのでは?」
「そうとも言うわね」
 俺の参考にはならないなぁ……。
「まぁ、安くて量を食べさせてくれるお店はあちこちにあるから探してみたら?何しろ肉体労働者が溢れかえってる街だからねー」
 確かに……これだけ体を使う稼業じゃ、しっかり食べて置かないと保たないだろうしなぁ。
「そっちで先輩のお勧めはありませんか?」
「んー……そうねぇ、私はあんまり行かないから、人のお勧め情報になっちゃうけど……」
 そう言いながら、先輩はプリンターのストッカーから紙を一枚引っこ抜いて、ヘベレケになっている野良の隣に腰を下ろした。
「円華ちゃんお勧めの店だと山家亭(やまがてい)ね、丼と定食の典型的な定食屋さんだけど、鹿とか猪なんかも季節によっては出してくれるみたいよ。こっちが忍さんから聞いたネパール系のカレーショップでシュクーリア」