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東奔西走メッセンジャーズ 第二話

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「野良だけに……ですか?」
「そういう事、判ってきたじゃない」




「さて、終業終業」
 嬉しそうにそう呟いて、先輩は野良屋の2階の、自室に登っていった。
 壁の時計は17:47分を示している。
「……終業時間まで、厳密には後13分有るよな」
「な゛ー」
 生誕時から、命を掛けてフレックスタイム制で押し通して来た筋金入りの生き物は、軟弱な俺の言葉をせせら笑うような鳴き声を発してから、定位置のソファに大儀そうに登って丸くなった。
「ま、いっか、個人商店みたいなもんだし」
 そう呟いてから、俺は入り口に掛かる安っぽいプラスチック札をClosedに引っくり返した。
「相席宜しいですかね?」
「んにゃ」
 鷹揚な返事を聞いてから、俺は野良の前のソファに腰を下ろした。
(香港マフィアの大物、猫大人(にゃんたーれん)つっても通じそうだな……)
 この図体に短足と来たら紋付か怪しいチャイナだな……間違ってもスーツは似合わん。
「さて、本日は君の80km走破記念に乾杯しましょーか、ほれ持って持って」
 馬鹿な事を考えていたせいか、何時の間にか2階から降りてきた先輩に、全く気が付かなかった。
 その彼女から、良く冷えたアルミ缶をひょいと渡される。
 手にした缶の軽さと、フニャリとした手触りに、慌ててもう一方の手を添える。
 どうもアルミ缶は、この持った時の頼りなさが好きになれない。
「多少は呑めるって言ってたよね?」
「まぁ、人並み程度には」
 俺の場合、弱いというより、味でも雰囲気でも、酒類を嗜む事の良さが見出せなかったってだけの話しであって、別段ビールの2、3本で酔っ払う程弱いわけではない。
「大丈夫大丈夫、こんなの疲労回復用のビール風味のアルコール入り炭酸でしか無いから。美味しいビールは寧ろ冷やさずゆっくり呑む物だけどねー」
「ソーセージとポテトをお供に……ですか?」
「誤りたるドイツのイメージって奴ね。実際は摘んでもブレッツェルかナッツ程度で、ビールは単独で呑む物だよ。ほい野良はこっちね、んじゃ乾杯」
「乾杯」
「ぶにゃー」
 ぺっこんという冴えない音は気にしないのか、先輩はくっと缶を傾けて美味そうに喉をこくこくと言わせていた。
 その隣では、野良も余禄に与ったというべきか、なにやら木切れみたいな奴を強靭な顎を誇示するように齧っている。
 猫用のおやつか何かかな?
「ふにゅー」
 楽しそうな二人……いや一人と一匹とは対照的に、俺は最初に軽く口を付けてから、缶に視線を落とした。
「お祝いして貰って申し訳ないですが、80km程度って、実は大した事無いんですよね」
 手の中で缶を弄んでいる俺をちらりと見てから、先輩は俺とは対照的に、CMに採用しても良さそうな位絵になる姿で缶を再度傾けてから、曖昧な表情で口を開いた。
「……まぁ、ね。この街に転がってる自転車中毒患者に対しては、確かに自慢にもならない距離ではあるわよ」
「やっぱり、そうですよね」
 馬籠商会での紫乃ちゃんの反応を見ていたが、80kmと言っても眉一つ動かなかった様を見た時に、この街に於いては、いかにこの距離がありふれた代物なのかを、雄弁に物語っているように思えたのは、正しかったという事か。
 やれやれ、ちょっと行けると思うといい気になってしまうのは悪い癖だ。
 俺はまだまだど素人で、この街じゃ多分、下から数えた方が早い自転車乗りでしか無い。
「はっきり言っちゃえば、今日のライドでは、君の乗り方も自転車のセッティングも、自転車乗り的には50点も上げられないような物だったわよ」
 ……やっぱりね。
「ま、でもね……自分には誇って良いと思うわよ」
「にゃ」
「え?」
 顔を上げると、先輩はこっちを見て、穏やかに笑っていた。
「つまりね、今の事を逆に言えば、君はセッティングも碌に出来ていない自転車と、基本的な乗り方もマスターしていない状況下で、体力と気力だけで80km走破したとも言える訳。例えば、今日は途中からサドル上げた状態で走ったけど、次回、サドルの上がった状態で走り出したら……どう?」
「そう……ですね」
 行きのダメージも有って、帰りの後半ではサドルにちゃんと腰掛けることも出来ず、滅茶苦茶なペダリングになってしまった部分は有ったにしても、何とか帰って来られたのは、その辺りが多少はマシになったから。
 もし、行きからあの条件だったら、もっと楽に帰って来られるだろうと、自信を持って言える。
「判ったみたいね、君は確かにど素人だけど、その分伸び代がたくさん有るわけ」
「伸び代……ありますかね」
「私はそう見てるけどね」
「うなー」
 野良もそう思うんだ?と言いながら先輩が珍しく優しい手付きで、ブタ猫の喉をくすぐる。
「何処に君の限界が有るか……なんてのは流石に判らないわ。ただ、全くの素人が初期装備の入門用アルミのクロスバイクで、乗り始めてから2日目に80km走破したのよ。胸を張れとは言わないけど、一日に100kmを走って翌日に響かなければ、メッセンジャーとしては何とかやってけるんだもの……自信位は持っても罰は当たらないわよ」
 そう言って、先輩は笑いながらビールを掲げた。
「だから、お祝いもして良いのよ、ほれ、湿気た顔してないで、嫌いじゃないなら君も飲みなさい」
 範を示すように、先輩は惚れ惚れするような姿で、手にしたそれを飲み干した。
 乗せられてるのかもしれないし、初日からそんなに厳しいことを言われないってだけの事かもしれない。
 けど、俺はとりあえず、その言葉を信じてみる事にした。
 手にしたビールを、不安や懸念を纏めて飲み込むように傾ける。
 口の中に広がる、この苦味が美味いとはまだ思えないけど、疲れた体に炭酸が沁みこんで行く感触は心地よかった。
「どう?おっさんっぽいけど、運動した後の一杯は美味しいでしょ」
 本人はどう思ってるか知らないけど、先輩に関して言えば、スタイルから仕草まで、全部がその辺のCMの女優より格好良いので、おっさんっぽさは皆無。
「う゛にゅーふい」
 ……反面こちらはアルコールは入ってないはずなのに、妙にご機嫌な野良は、スルメをツマミにしている親爺の如き有様で、例の枝を齧っている。
(なんでこう、いちいち親爺臭いかね……この猫は)
「そうですね、思ってたより美味しいです」
 俺の、イマイチ素直じゃない返事に、先輩は苦笑を浮かべただけで何も言わず、自分のビールの追加分を取りに行く為だろうか、空き缶を手に立ち上がった。
「ほれ、あんたは飲酒タイム終了」
 ついでに野良が齧っていた木片のような物を取り上げる。
 餌を取り上げると、いつも先輩に食って掛かるブタ猫だが、今日はそんな事も無く、取り上げられた枝を目だけで追いながら、なにやらコゲ茶色のスライムのような有様でソファに沈殿して、喉を鳴らしている。
(駅のホームでヘベレケになってる連中って、こんな感じだよな)
「野良はすっかり酔いつぶれているみたいですが……何です、それ」
「円華ちゃんがくれた、新鮮なまたたびの枝」
 ……納得というか、予想以上の効果があるんだな。
「前には葉っぱでラリってたわね」
「……先輩、それちょっと誤解を招きます」
「にゅーふーん」