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ネコマタの居る生活 第一話

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 とてとてとドアから出て行く少女の背中と尻尾をぼーっと見送っていた透だったが、時間の事を思いだして自分の手の中のネクタイに目を戻した。
 ……手入れして上げると、こんなに違う物なんですねぇ。
 そんな感慨にふけりながら、下着代わりの袖無しのTシャツを着てから、ワイシャツに袖を通す。
 いつもの、肌に馴染むような感触も悪くないけど、この若干よそよそしい感じは、それはそれで、これから仕事に行くという気分になって、悪くない。
 自分が確立した居心地の良さという物を犠牲にして、初めて成立する心地よさという物が有ることを、久しぶりに思い出した気がする。
 まぁ、そうは言っても、こんなのは今日限りの話だ。
 しゅっと通したスーツの袖も、綺麗にブラシが当てられており、まるで新品の如き輝きを見せていた。
 ネクタイを締めてみて、歪んでいないか確認するために覗き込んだ鏡の中には、ついぞ見たことのないくらいまともな社会人らしい自分の姿があった。
 これだけ違うなら、定期的に家政婦さんに来て貰うかなぁ。
 らしくない事を思いながら鞄を手にして玄関に向かうと、アカネコは何かの包み二つを前にして、透を待っていた。
「おお、とーる殿、準備は宜しいのか?」
「ええ、アカネコさんは?」
「お主ら人間と違ってのう、我らは至って身軽な物じゃでな」
 そう言いながら、ポンと目の前の風呂敷包みを叩いてみせる。
「そちらの包みもですか?」
 もう一つの包みを指さす透に、アカネコは笑みを返した。
「いや、こちらは最前申したお主用の弁当じゃ」
 どうぞ、と差し出された弁当を透は受け取って、鞄に入れた。
 透の鞄のサイズを把握して居たのだろうか、お世辞にも収納性が良いとは言えないビジネス鞄だったが、その包みはすんなりと中に収まった。
「ありがとうございます。所でアカネコさん、つかぬ事を伺いますが」
「何じゃな?」
「アカネコさん達は、普段その姿で出歩いているんですか?」
 透の言葉に、アカネコは何処か謎めいた……そう、猫が笑ったらかくあろうというような笑みを返した。
「ふふ……さような真似をしておれば、今少しお主ら人間も我等の事を知る所であったろう?」
「……ですよね」
「疑問を抱かれるのは当然じゃが、我等としてもこれでご縁が切れてしまう方には秘密にしておきたい事も有るでな。答えは差し控えさせて貰いたい」
 靴べらを差し出しながらのアカネコの言葉に、透は頷いた。
「ご尤もです、失礼な詮索でした」
 履いた革靴も、当然のようにピカピカに磨き上げられていた。
「余計なことじゃが、皮はマメに手入れしてやるが良いぞ、馴染んだ方が履きやすいでの」
 手入れクリームが全く減っておらぬようではな……と若干皮肉そうな目を向けられて、透は再度赤面した。
「そ、それじゃ出ましょうか?アカネコさん、お先にどうぞ」
 玄関を開けると、アカネコはドアを押えている透を見上げて、軽く手を上げた。
「うむ、さらばじゃとーる殿……息災での」
 そう言うと、透の返事も待たずに、彼女は猫らしい身ごなしでするっとドアの外に出ていった。
「え、ちょっとアカネコさん?」
 慌てて飛び出した透だったが、目の前の道路にもどこにも、赤い着物を纏った、小さな彼女の姿を認める事は出来なかった。
「いやはや、流石に猫ですね」
 狐につままれたような気分で、透は玄関の鍵を掛けてから歩き出した。
 近所の綻びかけた桜も、足が踏みしめるアスファルトも確固たる昨日と変わらない現実なのだが、どうも頭の中がフワフワと心許ない。
「やれやれ……」
 夢の中から現実に自分を戻そうと、透は少しの間足を留めて、気持ち良く晴れた空を見上げて深呼吸した。
「……ああ、そういえば」
 新鮮な酸素と一緒に、正常な思考が幾許か戻ってきた証だろうか、透は肝心な事を思いだし……今更それを確認する事が出来ない事に苦笑を浮かべた。
「結局彼女が何だったのか聞きそびれちゃいました……ね」
 猫耳と猫尻尾が生えていて、体長60cm前後、隙無く着物を着こなした可愛い少女。
 ネコマタ一族とか言ってたけど……ホント、なんだったんだろう、あの子は。

2

「須崎主任……」
「はい」
「良いんでしょうか……私たち、その……仕事中なのにこんな事を」
「良いんですよ」
「でも、何か罪悪感が……」
「まぁ、気持ちは判らなくも無いんですが……ほら、もっと撫でて下さい」
「あ、凄い気持ちよさそう」
「良いですよ、時々軽く爪を立てたりして変化を付けたりして下さい」
「あは、気持ちいいのかな、身をよじって」
「……この反応はたまりませんね」
 ゴロゴロ
「猫好きには天国ですね、この仕事」
「そうでしょうねぇ」
 ぷゅー。
 寄ってきたマンチカンの子猫に膝の上を侵略されながら、透は今日から、彼の部署を助けて貰う事になった傍らの女性に目を向けた。
「新条さんが猫好きで助かりますよ」
「家が賃貸の上にペット不可で涙を飲んでいたんですよ……須崎主任はご自宅が一戸建てで良いですね」
「僕も猫は好きですが、残業多いし家族も居ないから、可哀想で中々飼えないですねぇ……あ、新条さん、センサーずれてます」
「あ、いけない。何処ですか?」
 彼女や透の体には、センサー類があちこちに取り付けられている。
 尤も、この部屋に居る分には全部無線でデータはやり取りされる、コードに行動が掣肘される事が無い為か、さほどの不快を感じる物ではない。
 透が指さしている場所からすると、ヘアバンドに付けられた頭部のセンサーだろう、手を伸ばそうとした彼女を制して、透は彼女の方に身を寄せて来た。。
「位置的に、ご自分では直しにくいと思います」
 ちょっと失礼、と言いながら透がヒョイと彼女の頭に手を伸ばす。
 ふっと、透の割と整った顔が近すぐ近くに来られて、新条さんと呼ばれた彼女、新条有理(しんじょう ゆり)の心臓の鼓動が一拍跳ね上がった。
(あ、やっぱり肌綺麗だなぁ、主任)
 有理さんもお年頃の女性である、所内でも有名な美青年である主任と二人きりという状況では、彼の事を意識するな、という方が無理である。
 彼女の反応からすると、アカネコの透への評価は、不当に低かったと見るべきかもしれない。
(あれ?)
 ふと、目の前の彼の胸元を飾るネクタイに目が止まる。
 いつも変な柄のよれよれネクタイを締めているのが、美形にミスマッチだし、女慣れしてなさそうで寧ろ愛嬌があると評判だったのに、今日はワイシャツの淡いグリーンに合う、渋いチャコールベースのタイ、しかもシワ一つない綺麗にブラシの当たったそれ……。
(え、これってもしかして?)
 まさか主任……。
「すみません、直りましたよ」
「えっ?あ、はい」
 主任の言葉に、ぼーっとしていた意識が急速に現実に引き戻される。
(やだ……私何を考えて)
「すみませんね、変な物付けて貰っちゃって。お邪魔でしょうけど我慢してください」
「い、いえ、これも仕事ですから当然です」
 頬が赤いのを誤魔化すように、有理は傍らのペルシャに顔を向けて、猫じゃらしを振った。
 
 そう、透も有理も遊んでいる訳ではない。