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ネコマタの居る生活 第一話

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 その前に、何処から湧いて出たのかと思えるほどの、柔毛に包まれた都市の肉食獣達が集まっていく。
「おう、すまねーにゃ、わざわざご足労願ってよ」
 にぁー。
 全員……いや全猫が気にするなという声を上げてから、喉を鳴らす。
 これだけの数の猫が立てる喉声は凄まじい、ゴロゴロと地響きか遠雷のような音が辺りに響く。
「で、聞きてぇんだけど、ここって人間の名前でにゃんちゅーんだ」
 にゃん。
「ふぅん、ヨコハマちゅーのけ……ところで、すまにゃーけどもうちょっと細かい名前知ってる奴いねーけ?」
 にゃにゃ、ふにゃにゃにー。
 困惑したような鳴き声が低く拡がる。
(やっぱ知らねーかな……)
 でも、かなり大雑把とはいえ、現在位置の名称が判ったのは儲け物だ。
 ふなーお。
 そんな事を思って耳の後ろを後足で掻いていた子猫の前に、年寄った感じのトラ猫が歩み寄ってくる。
「ん、どしたい爺様?にゃんか知ってるのけ?」
 なーご、ごろなーご。
「ふんふん、ほうほうにゃるほろ……」
 ふにゃー。
「了解っ、恩に着るじぇー」
 ぺろぺろ、感謝を示すように黒の子猫はトラ猫の耳の後ろを舐めてから再度背筋を伸ばした。
「わざわざ集まってくれて感謝するじぇ、何か困ったときはネコマタ族のミーオが力になるからよ」
 にぁー。
「じゃ、解散、今日もウマい飯と暖かい寝床が共にありますよーに」
 ごろごろごろ。
 柔毛の一団は、ひとしきり喉を鳴らすと、現れた時同様に素晴らしいスピードで、各自のテリトリーに帰っていった。
「やっぱ、年寄りの知恵は馬鹿にできにゃーな」
 いや、多分君の方が年上だと思うぞ、ネコマタ君。
 猫たちが居なくなった路地裏で、黒の子猫が背中のリュックを下ろして、器用にその口を開き、どうやって収納していたのか判らない程のサイズの地図を取り出した。
「にゃんにゃにゃー……んーと、ヨコハマのミナミク……あ、ここにゃ、でニイハルがここ……にゃんだ近いじゃにゃーか」
 そうだな、君が食い道楽やってなければ、もうちょっと早く辿り着けたと思うぞ。
「ほーがくは北西、北西……よしこっちにゃ」
 目の上のヒゲが微妙に揺れる。
 流石に変な猫である、コンパスを内蔵している訳では無かろうが、どうやら、これで方角まで判るらしい……。
「さーてと、方向も距離も判ったし、意外と近そうだにゃ……行くべ」
 んしょんしょと小さなリュックに地図をしまった黒猫が、それを背負い、とてとてと可愛らしい足取りで大通りに歩みだす。
 右見て、左見て……首を傾げる。
 可愛らしい様子に、道行く人間が彼女を見ては目を細めて通り過ぎる。
 中には喉元でも撫でようというのか、手を伸ばす輩も居たが、見ず知らずの連中に触らせる趣味は彼女には無い、軽やかに、かつさりげなくその手をかわして歩きながら、再度路地裏に入り込む。
 そこから、黒い子猫は走り出した。
 肉食動物の癖に、草食動物の如き安定したスピードで、人通りの無い道を走り抜けていく。
「まにあうかにゃー……間に合わないと師匠が怖いんだけどにゃー」
 ……いや、もう既にかなり手遅れです。


 食事も終わり、出勤準備に掛かろうとした透は改めて驚かされる事となった。
「これも貴女が?」
「左様、当座の物のみだがアイロン掛けをした、時間があれば洗濯の上で軽く糊もしたい所であったがな」
 キチンと畳まれたハンカチや靴下を取り出していたアカネコが、当然と言いたげに頷く。
「恐縮です」
 さらば、僕の愛着有るよれよれワイシャツとスーツよ。
 こんなパリッパリに折り目正しいシャツに袖を通すのは何時以来だろう。
 研究室に入っちゃえば、スーツは脱いで白衣になっちゃうし、
「しかしなんじゃな、まだお若いとは言え社会人じゃ。今少し身だしなみには気を配ったが良いぞ」
「申し訳ありません、その辺無頓着でして……」
 謎の生き物に正論で説教された、そして反論できない事が二重にもの悲しい。
「まぁ、独身で身だしなみにさほど興味がなければそんな物かも知れぬな……誰かその辺りの面倒を見てくれる良い人は居らぬのか?」
「……居るように見えます?」
 透の情けない反問に、猫耳少女は至って謹直な表情でしばし考えてから、言葉を選ぶように口を開いた。
「家の惨状を見る限り、そうは見えぬのう」
「はっはっは、ご名答です」
 乾いた笑いを浮かべながら、透は彼女の見解を首肯した。
「大して口惜しくも無さそうじゃの」
「ええ、まぁ」
 負け惜しみという訳でも無く、実際、あんまり興味無い。
 少なくとも労力、時間、金を掛けてまで他人と結婚という形で共同生活を送り、何れは子供を育てるという人生上の契約に、さほどのメリットを見出せないと言うのが正直なところ。
 その辺りは、自分の両親を見ていて育まれてしまった家族観ではあったが、こればかりは致し方ない。
「ちと体つきは貧相なれど、ご面相が悪い訳でも無いし、稼ぎも良さそうなのに、妙な御仁じゃのう」
「あんまりその気自体が無いんですよ」
「ふうむ」
 妙に淡々とした様子の透を、どこか訝しげに眺めていたアカネコだったが、何かに思い当たったのか、表情に微妙な嫌悪を浮かべて僅かに後ずさる。
「どうされました?」
「とーる殿……お主、もしや衆道の気でも有るのか?」
「しゅどう?」
 主導、手動、主動……この辺が僕の仕事に関わりのある「しゅどう」だけど、どうも該当する単語じゃなさそうだな。
「どういう意味です?」
「どどど、どういう意味だなどと婦女子に尋ねるでないわ!」
 いや、貴女が口にした言葉でしょうに、そんなに盛大に赤面されても困る。
「はぁ、では後で調べておきます」
「そ……そう致せ」
 顔を背けて必死に落ち着こうと、何やら呟いているアカネコの様子が可愛らしかったので、透は声を立てずにすこし笑った。
 だが、幾らフレックスであっても、ここで何時までも猫耳少女とじゃれている暇はない……笑いを収めた透は少しかがみ込んでアカネコの高さに視線を近付けた。
「あの、アカネコさん」
「な、なんじゃ?」
 頬を染めた少女の整った顔が透の方に向けられる。
「着替えをしますので、ちょっと席を外して頂けませんか?」
 流石に女の子?らしい生き物の前で下着姿になるのは恥ずかしい。
「これは気の利かぬ事であったな。ではちと外すとしよう……そうそう、タイはこれが似合うと思うが如何か?」
「そうですか?」
「我はそう思うたがのう……お主はどれが良いと思ったのじゃ?」
「いえ、ネクタイなんて目に付いた物を締めて居ましたので、合わせて選ぶなんてした事が無かったんです」
 嘆かわしいというような表情を一瞬見せたが、アカネコもこれ以上は諄く言う積りは無かったらしい、可愛らしい顔に微苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「ではまぁ、騙されたと思って締めていくがよい、職場の女性の受けも違う筈じゃぞ」
「はぁ……そっちはどうでも良いのですが、折角選んで下さったので、これを締めていきます」
「ふふ、拘りがないせいか逆に素直じゃのう」
 差し出されたネクタイも埃が払われ、綺麗に伸ばされていた。
「では、我は玄関で待っておる、用意が出来たら出ると致すか」
「はい」