ネコマタの居る生活 第一話
「けっ、確かに薬にでも頼らにゃ、彼氏どころか一緒にメシも食って貰えそうもにゃーもんな、インケン女」
「だっ、黙れぇぇぇぇぇぇっ!」
逆上した様子のヘキレキの声が外部スピーカーを盛大にハウリングさせる。
その様子をみて、ミーオはニヤリと笑った。
「にゃんだ、図星かよ、イカズゴケのヒスばばーとか確かに最悪だしにゃー、部下の鼠にセクハラとかしてんじゃにゃーか?」
「きーーーーーーっ、許さん、許さん、許さーーーーーんっ!雷華よ」
火球を解き放とうと、鉄鼠の手が、呪印を結ぶ。
「死……」
その、ヘキレキの乗り込むコクピットの側面モニターが、真昼のような輝きに包まれた。
「な……」
「にゃんだ?」
この光は……
「こ……これは、この光は……」
術を解き放つ事も忘れ、ヘキレキは呆然とその光をみやっていた。
忘れようがない……否、忘れたいのに忘れさせて貰えない。
血と、圧倒的な敗北感と、屈辱を彼女の魂の奥底まで焼き印した灼熱の光。
同じ光を見るミーオにも、この光に確かに見覚えがあった。
だが、それは最早、この世界で見ることは叶わない筈だった光。
同族たる彼女ですら、戦慄を伴う、圧倒的な力が開放された証の光。
「……師匠……にゃのけ?」
「さてと、僕はこれで宿舎の方に引っ込むけど、ルリちゃんはどうするんだい?」
「実験室の方で休ませて貰ってます」
居心地良いんですよ、あの部屋。
そう口にするルリは、既に猫の姿を取っていた。
「そういえばさ……ルリちゃん達って、その姿と、少女姿と、どっちが楽なの?」
つまらないことを気にするんですね……そう溜息混じりに呟いて、ルリは美濃川の方を向いた。
「最前までのネコマタ姿の方が、より私たちの本来の姿には近いので、力はあちらの方が安定します……ただ、猫の姿の方が気楽なんですよ」
「気楽?」
「ええ、人と話しをしなくても良いじゃないですか」
「……ルリちゃん、会話嫌いなの?」
「楽しい人と話すのは好きですが、嫌いな率の方が高いんです」
「ご尤も」
その辺りの機微は何となく美濃川にも判る。
「それだけ、自分と響き合う人は大事って事ですよ……私たちは子供を成せませんから、精神的な繋がりが全てなんです」
「え……子供出来ないの?」
驚く美濃川に、ルリは僅かに苦笑を返した。
「そうですよ、長生きした猫たちの更にその中の数パーセントが、私たちの仲間としてネコマタになるだけです。ネコマタがネコマタを産む事は無いですね」
「そうなんだ……」
「はい、だから私たちは、師弟、友人、信頼、愛情、そういう物を一番大事にします……私たちには金銭などに代表される類の物質的な利害関係も血の繋がりによる血縁関係もありませんから、逆にそれ以外には繋がりが無いんですよ」
「精神が肉体を凌駕している……という事かな」
「恐らくそうなんでしょうね、私たちはを肉体が滅びる事より、そういう繋がりが裏切られたり、その人の存在を忘れる事を惜しみます……勿論、固体の消滅たる死は哀しい物ですけどね」
「……そっか」
儚く気高い生き物なんだな……それだけに、彼女たちは綺麗なのかも知れない。
そういう思いとは別に、美濃川には、今のルリの話の中に、幾つか引っ掛かる物を感じていた。
いや、常にNM波と、BNジェネレーターの事を考えていた美濃川の脳には引っ掛かるべき場所があった……と言うべきか。
「雑談ついでに、与太な質問を返して宜しいですか?」
「ん?なんだい?」
「NM波って……何の略称なんです?」
ルリの質問に、美濃川が、苦笑して髪の毛を引っかき回した。
飛び散るふけを、露骨に嫌がりながら、ルリは美濃川から距離を取って、彼を見上げる。
「言わなきゃだめかな?」
「出来れば聞かせて下さい」
そのルリの言葉に、美濃川は観念したように目を閉じた。
「……猫萌え(Neko Moe)」
「……は?」
「もう一度だけ言うよ、猫萌え〜な波だ」
聞くんじゃありませんでした……そう言いながら、ルリが天井を見上げて……何か厭なことに思い当たったように、美濃川に視線を戻した。
「まさかとは思うんですが……BNジェネレーターも?」
人類と……そしてネコマタの救世主になるかもしれないエネルギージェネレーター。
「ご明察、煩悩(Bon Nou)ジェネレーターだ」
「……もう嫌です、この研究所」
ぐったりした様子でうなだれるルリに、美濃川がだから言わん事じゃないと言いながら、アカネコに持たせたBNジェネレーターをモニターしている機械に、なにげなく目を向けた。
「はい?」
「どうしました?」
「いや……故障したっぽい」
「?」
ぴょんと、飛び乗ったルリの眼前に、完全に振り切れたBNジェネレーターの反応グラフがあった。
「一応伺いますが……上限値の設定は?」
「……聞いてどうするの?」
「良いから」
聞き返すルリの声に、隠しようのない興奮と喜悦を感じる。
血が騒いでいるのだろうか……彼女の瞳が、いつの間にか真っ赤に染まっていた。
その様に、今までルリから感じなかった獣を感じ、気圧される物を感じながら、美濃川は口を開いた。
「出力をVA換算した目安だけどね……百メガVA」
「そうですか」
馬鹿げた数値設定……そう笑われるかと思ったのに、ルリは寧ろ拍子抜けしたような顔で、その数字をあっさり受け入れた。
(思ったより早かったけど……起動したんですね)
「博士」
ややあって、美濃川を振り向いたルリの瞳は、穏やかなラピスラズリの色を取り戻していた。
それと同時に、普段の落ち着いた彼女も……また戻ってきていた。
「……何だい?」
「これで正常ですよ、モニターを続けましょう……残業です」
ルリの瞳は、何かを確信して、静かに煌めいていた。
「正常です……ふふっ」
今まで感じていた痛みも、苦しさも、何も感じない。
「我は……滅んだか」
身を起こす……傍らを見ると、透が泣き濡れた顔に、今は呆けたような色を浮かべて、アカネコを見つめていた。
「透殿?いかがした」
「……」
何か言いたそうに口をぱくぱくさせながら、彼女の体を指さす透の様子も妙だが、何より己が発した言葉に違和感を覚える。
舌足らずではない……
それに、今まで見上げていた透の顔が随分と近い。
「……うん?」
視線を下げると、白い体が目に入る。
ふくよかな胸部に、すんなりと細い腰、量感を湛えた下半身から、すらりと長い足に続くライン。
……随分と昔に見慣れた体のような気がするが……はて?
「あ……ああああ」
「何じゃ、透殿、呆けたような事を申しておる暇があったら逃げよ」
魂になっても会話が出来るとは重宝だ……これも修行の成果なら嬉しい物だが。
「あ、アカネコさんなんですか、本当に?」
「間違いなく我じゃぞ……幽霊になって姿でも変わったかのう」
「いえ、だって……幽霊なんですか……寧ろ生々しいというか」
周囲にどう思われていても、須崎君も若い男性である。
正直、今のアカネコの姿は目の毒過ぎる。
「うん?」
目を逸らすような透の様子も妙だが、自分の体の様子もやはり変だ。
作品名:ネコマタの居る生活 第一話 作家名:野良