ネコマタの居る生活 第一話
猫たちが思い思いに過ごす、癒し系動画のライブ中継と化したモニターを見るとも無しに見ながら、ネコマタと人間は気の抜けた呟きを漏らしながら、手にした飲み物をすすった。
「ルリちゃんは、紅茶党?」
「羊羹やお饅頭、お煎餅なんかが有れば日本茶党ですし、ケーキやクッキーが有れば紅茶党員です。良い豆が目の前でローストされれば、コーヒー党への入党も考慮します」
「至極尤もだね……お酒はいけるの?」
「醸造アルコールが入っていなければ大概は」
さらっとグレードを倍に跳ね上げてみせたルリに美濃川は苦笑を浮かべた。
ルリは少々口が奢っているらしいが、逆に言えば安酒を飲んで騒ぐ類の人種では無いという証左でもある。
「そりゃ、是非とも一度お近付きの徴に大吟醸でも一献さしあげたいね」
「大吟醸一本より、純米吟醸辺りのお勧め酒を複数持って来て欲しいですね、東北の地酒なんか楽しそうです」
ああ、山田錦は極力外してください、美味しくて当たり前なので。
そうしれっとした顔で言いながら紅茶をのむ猫耳少女。
……こりゃ手強そうだ。
ちょっと発泡日本酒や大吟醸で騙せる口の奢ったお姉ちゃんとは年季が違うな……こりゃ。
「雰囲気的にはワインかと思ったんだけど、日本酒もいけるんだ」
「何事もTPOに応じる物です。強いお酒を煽ってさっと酔う楽しみもあれば、ワインを片手に食事をするのも有りですし、漬け物をつまみながら吟醸酒を傾けるのもまた一興……」
そこで、ルリは紙コップを軽く掲げて見せた。
「そして、タイミングを外さなければ、こういう飲み物だって、何よりも美味しく感じる物ですよ」
「ご尤もで」
タイミング……か。
「アレも、タイミングだったのかねぇ」
美濃川の、思考が漏れだしてしまったような独白の意味が判らないようなルリではない。
だが彼女は、その言葉に直ぐには答えず、紙コップの白い色を透かす、淡い紅の色に目を落とした。
「そうですね、あの一瞬だけの反応と考えると、あの二人の何かが偶然合った、と考えるのが自然ですが……」
ルリは残った紅茶を飲み干し、紙コップを机の上に静かに置いた。
「私はNM波の発生条件をしっかりとは把握しておりませんので、何のお力にもなれませんね」
そういうルリの瞳は、だからこそそれを教えろと言う光を湛えて居た。
言いたいことは判る……判るんだけどさ。
美濃川はどうした物かと、しばし考え込むようにコーラの茶褐色の色を透かして見ていた。
一応、このネコマタとの交渉カードの一つではあるNM波発生の秘密ではあるが、現状、美濃川が抱え込んでいても、大した発展性が無いのも事実ではあるのだ。
まして、アカネコという、猫ではあるが猫を超越した存在とのふれあいの中で、NM波が観測史上最高値をマークした事を考えると、同族たる彼女の助力を取り付ける方が近道の気がする。
「ぶっちゃけちゃおうか?」
「そう願いたいですね」
相変わらず冷静な表情だが、僅かに椅子から身を乗り出すように美濃川の方を向いたルリの目には、未知の事物に対する純粋な好奇心が輝いていた。
「発生要件知ってれば、もう少し効率の良い実験やってると思わない?」
「……」
絶句して、しばし美濃川の顔を見やっていたルリが、ややあってから口を開いた。
「つまり、猫と人間が触れ合ったときに発生する事がある……以上のことは判っていない……んですか」
「うん」
「だから総当たり的に、猫の種類を複数揃えつつ実験していたと?」
「そうそう、須崎君が野良猫を撫でてる時に見つかったから、テスターは彼固定にプラスで、その都度性別や年代を変えた人を足してたんだけどね」
「それでも、結局今日まで、あれだけの高レベルの反応は得られて居なかった?」
「辛い日々だったよ」
「そのくせ、それを取り込んで熱エネルギーに変換する装置の試作は成功してる?」
「凄いだろ」
開き直ったとも、自嘲しているとも、単純に己の業績を誇るとも見える顔で、美濃川は堂々とルリを見返した。
「ええ、色々凄いと思います……」
二ヶ月の観察期間中、時々、この男は確かに天才だと思う事があったが、今日は極めつけだ。
「現状の平均的なNM波じゃ、そいつを更に電力変換しても、LED電球一個光らせるのがやっとだけどね」
「そうでしたね」
それにしたって凄い話ではある……人間と猫が居ればエネルギーが得られると言うのだから、大規模な発電施設も要らないし、現在の売電制度を流用するだけで、クラスタ発電システムが構築出来かねない。
逆に言うと、既存のエネルギー利権集団に、こんな話が漏れたりしたら、それは確かに美濃川や須崎の身に危険が……という事も有り得ない話ではない。
(ちょっと話が大きくなってきそうですね)
明朝にでも長老と少し話をして、アカネコ以外にもエージェントを出して貰うよう交渉する材料は、これで出来たとも言える。
後は、他のモノノケ達が勘付く前に、もう少しネコマタだけが、この話に噛めれば……。
「ところでさ、僕の方からも、さっき出来なかった分の質問させて貰っても良いかな?」
美濃川の声がルリの思考を断ち切る。
だが、そんな事はおくびにも出さず、ルリは美濃川に顔を向けた。
「私の権限で答えられる範囲でしたら……それで何でしょう?」
ルリの目が若干細められる。
「君がここに来た理由が判らないんだよ、ずーっと考えてたんだけど、本当に判らない」
美濃川の言葉に、ルリは気抜けした様子で、その顔を見返した。
「そんなことですか?」
「僕にとっては気になるんだよ、何しろ、今回の件は極秘の計画だったしね」
「ああ……確かにそうですね」
既に漏れてしまっているとはいえ、漏洩源が一つなのか二つなのかというのは、セキュリティにも責任を負う身とすれば、重要事である。
くすっと思いの外柔らかい笑みを浮かべて、ルリは口を開いた。
「偶然ですよ……何しろ大量の猫が実験用って事で、この研究所に連れ込まれましたからね、何か良からぬ事を企てられては困ると、上の方からの指示で私が潜入してみたんですが、みんな文句の付けようが無い程に優遇されている上に、何か面白い研究をやってるじゃないですか……それでついつい好奇心にかまけて居着いてしまったら」
NM波の資料を、ついつい見つけちゃいまして……とルリが苦笑する。
聞いてみれば何でもない話であるが、美濃川としては肩の荷が一つ下りる告白ではあった。
……まぁ、それで肩の荷が軽くなるという物でも無いのが、難問山積の現状の哀しいところではあるが。
「成程……猫の大量購入から足が付いたか」
「ふふ、中々人間には気が回らない部分ですね」
「流石にねぇ……しかしまぁ、君たちネコマタさんとご縁が出来たって意味では、良い偶然なのかな」
「未来は誰にも予測できない物ですけど」
そこで言葉を切ったルリが、笑みとも、皮肉ともつかない表情で美濃川を見上げた。
「そうなると良いですね」
5
機巧兵の二体目を斬り倒したアカネコは、包丁を振り切って若干体勢を崩した彼女に襲いかかる刃の存在を感じていた。
作品名:ネコマタの居る生活 第一話 作家名:野良