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ネコマタの居る生活 第一話

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 事実として眼前で起きた事では有るのだが、そのスピードと力は、およそ、小柄な三毛猫のそれとは思えない、もっと大型の肉食獣のそれ。
「この調子じゃ、フレームレート上げてあっても、ろくな映像とれなかっただろうなぁ……」
 動物撮影用の特殊なハイスピードカメラ借りてくるか。
 なにやらブツクサ呟きながら、美濃川が手近な紙を引き寄せて、胸ポケットから取り出した三本セット百円程度で売っていそうな安物ボールペンで何やら乱雑に書き散らし始めた。
「えーと、この間が0.3秒、湯飲みの重量が、中身込みで、恐らく300グラム前後と推定……」
 そんな呟きと共に、数式が並んでいく。
 どうやら、美濃川なりに、この三毛猫の身体能力を、ざっとではあるが数値化しようとしているらしい。
 その邪魔をしないようにだが、いつの間にかルリもモニターや美濃川の手元の紙を、交互に興味深そうに覗き込んでいた。
 
 そのルリと美濃川の耳に、一つの音が飛び込んできた。

 それまで計算に没頭していた美濃川とルリの顔が同時にその音を発した計測機械に向けられる。
 文字通り椅子を蹴った美濃川が、むしゃぶりつくように、その機械の前に立つ。
 哀れなオフィスチェアが後の机にぶつかる鈍い音が響くが、そんな物は既に、彼とルリの耳には入らない。
 その音こそ、この二ヶ月間、砂漠で水を求めるように彼が渇仰していた物が検出された証。
「……幻聴じゃ無いよな?」
 テスター、須崎透。
 NM波、基準値超え、数値計測不可。
「は……はは、何だこりゃ」
 みゃ……。
 美濃川とルリがその数字を見て絶句した。
 それは、まるでロケットでも打上げたかのように一瞬だけ急激に跳ね上がり、そして今はまた元の位置に戻ってしまっているグラフ。
「機械の故障じゃ無いだろうな……」
 まるで数億円の宝籤が当たってしまった人間が、夢が覚めることを恐れながらも、当選番号を何度も確認するように、美濃川は、半ば訓練された無意識の動きで、機械類のセルフエラーチェックを走らせていく。
 センサーとの通信……OK
 制御プログラムエラー……OK
 回路異常……OK
 次々と機械の正常動作を告げるログを見ながら、美濃川の視線は、もう一つのモニターに向けられていた。
 須崎透が、件のアカネコの小さな頭を撫で、アカネコもまんざらでは無さそうな顔で喉を鳴らす姿が映し出されたそれに。
「このコンビなのか……」
 僕が待ち望んだ……いや、期待値以上のNM波を発生させた組み合わせ。
「そうだ……須崎君に」
 慌てて所内端末を取り出そうとする、その美濃川の手が、何か柔らかい物に押えられた。
「失礼、少々それは待っていただけませんか?」
 美濃川は、自分を制した見慣れた小さな手と、本来人語を発しない筈の顔を、しばしマジマジと見やってから、驚きよりも、何か得心が行ったというような顔で端末から手を離した。
「……やれやれ、まさか、これは全部夢でしたってオチかい?」
 そりゃあんまりだよ……と言いたげに美濃川が唇の端を持ち上げるような笑みを浮かべる。。
「ご心配なく、全て現実ですよ……お望みなら力一杯引っかいて差し上げましょうか?」
 澄んだ落ち着いた声を発する小さな顔が、今は隠す気も無いらしい、明確な知性を湛えた皮肉っぽい瞳を美濃川に向けた。
「美白を極めた珠の肌なんで、傷を付けるのは勘弁してくれよ。代りに、ホントに美濃川さんったらニクイ人、とか言いながらきゅーっと抓ってくれないかい?」
「私の肉球は、あんまりその用途に向いてないです……後、その時代錯誤な妄想は止めた方が良いですよ」
 そこまで言って、ルリは軽く前足でヒゲを捻った。 
「それにしても、私が喋ったというのに、余り驚いていませんね」
 こんな馬鹿げた現実を素直に受け入れるような人間は稀であろう……が、この美濃川という男は幸か不幸か極めて稀な方の人間だった。
「君くらいの知性が、たかが人間の言葉程度を理解していないとは、元から思ってなかったんでね……流石に声帯構造上、喋れるとは思ってなかったけど」
「光栄ですね」
 人類如きに認められても足しにはなりませんが……という冷めた雰囲気を言外に漂わせながら、ルリは猫なのに、確かにくすっと笑って見せた。
(……リアルチェシャ猫か)
「先ずは自己紹介ですね、ネコマタ族のルリと申します、お世話になっていながら御礼が遅れて失礼しました」
「いえいえ、それにしてもネコマタとはね……尻尾は一本のようだけど?」
 透と違い、この男にはネコマタという妖怪に関しての基礎知識の持ち合わせが有るらしい。
 歳経た猫が、妖魅となり、有る者は変化する術を覚え、有る者は祟り為す力を得たモノ。
 そして、彼らは力に応じて何又かに別れた尻尾を持つという。
「二又尻尾の猫がその辺をほっつき歩いていたりしたら、現代じゃ“呟いったー”やら“フーズフー”で直ぐに拡散されてしまいますよ、私たちはそこまで間抜けではありません」
「はは、ご尤も。所でさ、もし君らが伝承通りに化けられるなら、妙齢の美女にでも化けてみてくれないかな?」
「それは科学者の好奇心ですか?」
「それプラス、人類のオスの欲求かな」
「……検討するまでもなく却下します。まぁ、それ以前の問題で、私たちは人間サイズへの変化は出来なくなってしまって久しいんですけどね」
 今ではこんな有様です。
 そう言ったルリの体が目映い光に一瞬だけ包まれたかと思うと、美濃川の前には、60cm位の、銀髪の癖っ毛が可愛らしい、深く青い瞳をした少女が立っていた。
 シンプルだがセンスのいい服装の上に、ご丁寧に白衣まで羽織っている。
 そして、頭部には、元のルリと同じアメショ柄の耳が髪の間から覗き、お尻からは二又の尻尾が伸びていた。
 頭身は、人間の少女を小型化したというより、所謂デフォルメキャラのそれに近い。
「猫の姿のままよりは、まだしも会話し易いでしょうけど、どちらが良いですか?」
「ふうむ……僕としてはこっちの姿の方が有り難いな、可愛いし」
 色々な感情を込めて、美濃川が嘆声をあげる。
 生きて動くSDキャラとか、最高じゃないか、しかも猫耳尻尾付き。
 グゥレイト!
 心の中でガッツポーズを決める美濃川。
 要はこの男、こういう人間である。
「どうも……」
 そんな美濃川の性癖は、二ヶ月の観察で把握していたらしい、可愛いと言われて寧ろ身の危険を感じた様子で、ルリは僅かに美濃川から身を離した。
「今では、私たちはこの姿か、猫の姿位しか取れないんですよ」
「ふぅん……何かあったの?」
「色々ありましてね」
 それ以上言いたく無さそうなルリの様子ではあったが、美濃川は好奇心もあって、少し突っ込んでみた。
「その色々は話して貰えないのかな?」
「今回の件には必要ない話ですので」
 素っ気ない声に、若干の棘が混じる。
「そうかい……」
 まぁ、友好関係を続けていればおいおい聞く機会も出来るかも知れないし、今はルリの話したい分だけ聞いておく方が良いだろう。
「……それじゃ、挨拶も終わった事だし」