ネコマタの居る生活 第一話
だし巻き卵も綺麗に巻かれてるし、あれ海老の道明寺揚げよね、ササゲのゴマ和えも外見などが汚くなりがちなのに綺麗に纏まってる。
プロかどうかは知らないが、ちょっと朝作ったお弁当というレベルの物ではない。
「……主任、何か慶弔事でもありました?」
「いえ、そういう訳では、たまたまついでが有るとかで、厚意で作って頂いた物なんですが……凄いですね」
まぁ、残念ながら今日だけの話なんですがね……そう言いながら、透が箸を取る。
アカネコさん……やり過ぎです、これ。
それ以上に不思議なのが、この弁当箱。
家には、こんな凄い食器無かった筈なんだけどなぁ
些かの不審を感じながら、透はその中の筑前煮からタケノコをつまみ出して口に含んだ。
「おお」
あまり食事に喜びを見出したことのない透ではあるが、煙草も吸わないし、脂っこい物が嫌いで、あまりジャンクフードに毒されてもいない彼の味覚は鋭敏その物である。
美味しい物には、今朝の朝食もそうだが、素直な賛嘆と喜びを覚える。
「美味しいですか?」
「お弁当とはとても思えないですよ、私にはちょっと量が多いですし新条さんも如何です?」
「はぁ……それじゃちょっとお裾分け」
ぺしんっ!
その時、軽いが鋭い音が室内に木霊した。
「な……何です?」
「さ、さぁ?」
二人が慌てて立ち上がり室内を見回すが、猫たちも各自静かな物だ……とてもあんな音を立てるような動きも無ければ、何か物が倒れた様子もない。
そもそもが、この部屋は猫が驚かないように、大きな音を立てるような物は置いていないし、床も絨毯が敷き詰められていて、何かが落ちたからといって、あんな音が立つような事もない。
「ラップ音だったりして」
有理の冗談交じりの言葉に、透は怪訝そうな顔を向けた。
「ラップ?食品ラップってあんな音立てるんですか?」
「いえ……あの、何でもないです」
どうも、この主任、オカルト関連の話題は基礎知識から無いらしい。
(こうなるとオカルトネタは大体駄目っぽいかな)
学校で友人と騒いでいれば、様々なオカルト話は一度くらいは話題になる物であるが、主任はそういう経験無かったんだろうか。
ちなみに、ラップ音というのは、何もない空間から音が鳴る現象で、原因の説明としては、建材が乾燥した時の割れや動きで鳴る物だという物から、霊の仕業だという説まで種々雑多。
……が、本気で信じているわけでもない有理にしてみれば、茶飲み話のネタ振り以上の意味はない。
「ま、まぁ気にしてても仕方ないです、昼食の時間も無限じゃ無いですし」
「で、ですね」
何となくだが、微妙な空気になった事も有って、二人はその後は当たり障りのない仕事中心の会話をしつつ、大人しく食事を終えた。
あの三毛猫が、キャットタワーの上から、妙に満足そうに顔を洗いながらその様を見ている事に気が付く事もなく……。
「手作り弁当爆発しろ……」
薄暗い研究室内にネットスラングが木霊する様は、実に不気味である……透との散歩を終えて部屋に戻ってきたルリは、人間なら眉を顰めるように、ヒゲをぴくぴくと動かした。
その合間に、ズルズルとカップラーメンを啜りこむ音が混じる。
人の食事を羨む位なら、先ずは妙に充実していると評判の食堂にでも足を運べば良かろうに……。
やれやれと言いたげな顔で、ルリはモニターの前に軽やかに身を躍らせた。
「おや、ルリちゃんも昼食終わりかな?」
そんなどうでも良い話には取り合うのも面倒というように、ルリは耳だけ振って美濃川に返答し、モニターから視線を動かそうとすらしない。
「テレビもそうだけど、人が自分より旨そうな物を食ってる姿何ぞ面白いかね?」
そねみと皮肉とが嫌な塩梅にブレンドされた言葉と共に、麺とチャーシューを啜りこむ。
至極優雅に尻尾を揺らしながら、人間の営みは大半が愚劣なるが故に、観察眼さえあれば、なんであれ面白い物です……そんな目つきでモニターを眺めるルリとは対照的な言動であった。
「まぁ、仕事だもんね……仕事仕事、仕事とは我慢して金銭を対価に貰う作業なり」
三十とウン年生きてきて、こんな気分になるのは学生時代のバイト以来だけど。
そうボヤキながら、美濃川は、そろそろ伸び始めた麺をつまみ上げた。
まぁ、美濃川が腐るのも無理はない。
彼は本来はこういう地味な作業より、総合的な見地から研究の方向性を見極めたり、未知の研究分野でも注力するべき所の当りを付ける事に独自の臭覚を持つ人物として評価されている。
それもこれも、専門分野外の事にまで、かなり広い知見を持っているが故の事であり、この部屋の中での言動からは想像も付かないほど、彼の専攻分野であるエネルギー波の電力変換理論に関しての何本かの論文は抜群の引用率を誇る、世界的な評価が高い物である。
そんな俊才と言って良い人物が、この地味な作業に従事しているのは、この男自身も、またこの男を使っている側も、双方不本意であろうが、この件に関しては事情を知る人間を極力減らす必要が有るため、致し方ない。
という、行儀の良い理屈で納得できるなら、人類の不平不満は大半が存在もしないであろう。
「理屈で己を納得させられないが故の鬼ぞ……」
有名な陰陽師小説の一節らしき台詞を呟きながら、美濃川は不健康にも汁まで飲み干したカップラーメンを、元ネタの雅やかさの欠片もない動作で机の下のゴミ袋に放り込んだ。
「さっさとモニタリング作業から解放されて、何か開発する仕事に戻りたいよ、どっこらしょ」
まだ三十代後半だというのに、情けない掛け声と共に、椅子に沈み込んだ美濃川にちらりと視線を向けてから、ルリは尻尾を軽く揺らした。
「こんな仕事に従事すると判っていたら、猫語の翻訳機の開発プロジェクトにでも、一口噛んでおくんだった……」
みゅ。
僅かに同意するような様子でルリが口の中だけで鳴いたが、余りに低い声だったため、美濃川の耳にも届かなかっただろう。
最前から不毛なぼやきばかりしているが、美濃川にも判ってはいる。
この実験自体、美濃川が大きな方向性を定めて始めた物であり、その結果が出ていない以上、自分はその結果を踏まえて、次の実験で成果が出るように結果を分析していかなくてはならない。
そして、実験で所定の成果が出ていない以上、自分が見つけてしまったこの理論も先に進めようが無い。
「ルリちゃん、この情けない現状どう思うよ……」
停滞期ですね、彼女は確かにそう言いたそうに小さく欠伸した。
「主任、熱いお茶如何です?」
お茶はお持ちみたいですけど、そうペットボトルに視線を向けながら有理が席を立つ。
「良いんですか?すみませんね」
「いえ、ついでですから。ただ、さっき給湯室を見た感じ、ほうじ茶しか無かったですけど」
「無糖なら大体なんでも良いですよ」
甘い飲み物はデザートですからね、と透が呟いたのを聞いて、有理もくすっと笑う。
「甘いと、寧ろ喉が渇きますからね」
「ええ、尤も砂糖を沢山入れた奴が無性に飲みたくなる時も有りますけどね」
「あはは、私はしょっちゅうです」
作品名:ネコマタの居る生活 第一話 作家名:野良