LCACがやってくる
それにしても何故こんなに急なのか?
それに対してはある記者が「2月からは日生台演習があって、福岡防衛施設局はそれにかかりきりになるからじゃないか」と疑問に答えてくれた。それに3月からは沖縄の問題が本格的になる(これは沖縄防衛施設局が対応するらしいが)。
そうなのか。逆に言えば、もし私たちが勝っていたら、あるいは勝てないまでもこんなに簡単に受け入れなければ、大分での反対運動にも、そして沖縄の反対運動にも、どんなに大きな励ましになっただろう。いや、それどころか、状況が大きく変わっていた可能性さえあるのではないか。
沖縄の名護の新しい飛行場はオスプレイという垂直離発着機が新たに配備されるという。LCACとオスプレイはセットとして揚陸艦に積まれて空と海から敵をたたく。いかに素早く効率的に局地戦に勝つか、というのが冷戦後の新たな世界戦略なのだそうだ。
LCAC基地は予算規模としては名護市の百分の一ほどの小さなものだけれど、やはりここ横瀬と沖縄はつながっているのだ。今更ながら私は「勝つべき戦いだったのだ」と悔やんだ。「勝てる時には勝っとかなくちゃね」と言われていたのに。
私たちの運動は本当に小さなものだった。「住民総決起集会」もデモも、「人間の鎖」も、垂れ幕さえもなかった。そもそも、私は誰かもっとこの町で有力な立場にある人が大きな運動を起こしてくれるものと思いこんでいたのだ。私たちの運動はそのきっかけにすぎないのだと。ただ、地元の住民の一人として、嫌なものを嫌だと言い続けただけだ。前にも書いたように、マスコミの報道は私が当惑するほど大きかったから、外から見た人は大規模な住民の反乱が起きているようにさえ思ったかもしれない。(ただ、だからマスコミを大いに利用しようという考え方には私は反対し続けた。私は誰にも利用されたくないし、利用したくもないし、特に報道というものには、誰かに簡単に利用されるようなものであって欲しくなかった。)
私たちの運動があと一歩で勝てるところまでいったのは、自民党という巨大な力のなりふり構わぬ圧力がなければ勝てていたのは、だから「たまたま」だったと思う。
仮に、今ここに大きな起きあがりこぼしがあったとしよう。そして私がこれを向こう側に転がそう、と思ったとしよう。その場にいる他の人たちに私は呼びかける。「ねえ、みんなで力を合わせればこいつを向こうに転がすことは可能なんだよ。」でも、誰かがこう言うだろう。「いろんな考えの人がいるんだから、みんなが力を合わせるなんて無理だよ。君もこいつに押しつぶされないように気を付けた方がいいよ。」
でも、ごく稀に、起きあがりこぼしは頭を下にして立っていることがある。このときはわずかの人が力を合わせるだけで向こう側に転がすことができる。
だが、別の集団が同時にそのことに気づく。彼らは反対側からこちら側に転がそうと必死になる。起きあがりこぼしはゆらゆら揺れる。
負けた側が押しつぶされる。起きあがりこぼしはもう安定してしまい、せいぜい小さく揺らすことぐらいしかできない。
世の中の流れのそんな瞬間に、私はたまたま居合わせたのだろうか。そして居合わせたのが私でなくもう少し優れた人だったら、ほんのもう少し多くの人を巻き込むことができる人だったら。
作品名:LCACがやってくる 作家名:つだみつぐ