紺青の縁 (こんじょうのえにし)
かって霧沢は、ルリから何回ともなく「なぜなの?」と尋ねられた。そして今、大人になった愛莉が同じ言葉で「なぜなの?」と問うてくる。
その愛莉の「なぜなの?」は、母の洋子がなぜ首吊り自殺をしてしまったのか、それが理解できない、きっとそういう問い掛けなのだろう。
洋子の遺書にはプリントされた活字で「疲れた」の一言だけがあった。霧沢にも愛莉の「なぜなの?」の答が見つからない。
「正直に言うとね、お父さんもよくわからないんだよ」
霧沢はじっと黙り込んでしまっている愛莉に、無念ではあるがこんな返事しかしてやれなかった。
愛莉はそんな父を気遣ってか、「お父さん、わかったわ、その内に理解できる時がきっとくると思うわ」と殊勝に言ってくれた。
霧沢はそんな愛莉を見ながら思うのだった。いつの日か、必ず娘の愛莉のためにその答を見付けてやろうと。
「さっ、このお話しはこの辺で終わっておきましょ、それで愛莉ちゃん、私たちに何をプレゼントしてくれたの? これ、開けるわよ」
ルリは無理に明るい口調でそう言い放ち、筒に結ばれてある赤いリボンを解き始めた。そして丁寧に包装紙を外し、筒を開き一枚の織物を取り出した。
それは西陣織の金襴緞子(きんらんどんす)の壁掛けだった。その図柄は現代風であり、四季折々の花々がふんだんに散らばめられ、織物の面全体が艶やかなものだった
「わあ、華やかで素敵だわ、愛莉ちゃん、これどうしたの?」
ルリが思わず声を上げた。愛莉は母・ルリのこんな反応に、自分の暗い気持ちを吹っ切るかのように真正面を見据える。
「私、学生時代から今の会社でアルバイトしてたでしょ。その間ずっとこのデザインを創作してきてたのだけど、職人さんがね、これどうするんだと訊くから、お父さんとお母さんにプレゼントしたいのと言ったらね、親切に俺が織ってやるよと言ってくれはってね。今回やっと出来上がったの。私の初めてのデザインが、この金襴緞子の織物になったのよ」
愛莉はそう話し、満足そうに笑う。
霧沢は「愛莉、素晴らしい作品だね」と感激しながら、それを手に取ってもう一度よく眺める。そこには、霧沢とルリの学生時代から今日までのいろいろな出来事、それらの周りで咲いていた花々が織物に織り込まれてある。
祇園の枝垂れ桜に白川の宵桜、そして御室桜も。
さらに三室戸寺の紫陽花に、植物園のチューリップまである。
そして驚くことに、青薔薇まで優美に咲き誇り、気品良く全体がデザインされている。
「愛莉、ありがとう、これはお父さんたちの宝物になるよ、大事にするからな」
霧沢は愛莉にそう感謝しながら、はたと思い付いた。
「そうそう、愛莉に、お父さんからのお返しでプレゼントがあるよ、ちょっと待っててね」
霧沢はそう言い残し、さっさと二階へと上がって行った。そしてしばらくして一枚の絵を持って下りてきた。
それはママ洋子がクラブ内に不釣り合いながらも飾っていた〔青い月夜のファミリー〕の絵。
その絵は、宙蔵の死後、一旦女将の桜子により買い上げられ、料亭の京藍に保管されていた。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊