紺青の縁 (こんじょうのえにし)
植物園の入口まで少し時間は掛ったが、別に慌てることではなかった。春の暖かな木洩れ日、それが差し込む並木道を、三人はまるで五月の風にゆらゆらと揺らされながら歩を進めた。そしてやっと三人は入口へと着き、入場券を買って園内へと入った。
中央正面にある広場は、真っ赤なチューリップで埋め尽くされている。その原色の赤はいかにも派手で、気持ちをぱっと明るくしてくれる。ルリはそんな世界に身も心も埋没させ、はしゃぐ愛莉と遊んでいる。
霧沢はそんな二人の姿を見ながら、洋子のことを思い出した。そして「母親が首吊り自殺をしてしまうなんて、罪なことだなあ」とつくづく思うのだった。そのためか、一人残された幼子の愛莉が止めどもなく哀れに思われる。
「ルリが最初に言ってたように、今日はルリとのデートではなく、愛莉の子守りに徹しよう」
霧沢は改めてそう思い直し、それからは精一杯愛莉と遊ぶのだった。
中央広場のチューリップに埋もれ愛莉と随分と戯れ、そしてそれに飽きて、今度はゆっくりと広い園内を散策する。
そしてそれに充分エネルギーを使ったのか空腹となり、大きな樫の木の下で、ルリが持参してきたサンドイッチをみんなで摘んだ。
風薫る五月、ぽかぽかと暖かく、周りに様々な春の花が咲き乱れている。そんな世界に三人は埋没し、楽しくランチを取る。
霧沢は「こういう有り様を、きっと幸せと言うのだろうなあ」とふと思った。そして、もしこんな様子を外から眺めたとしたら、それはピクニックに来た暖かい家族のようにきっと見えていることだろうと想像した。
霧沢はルリとこの六月に結婚する。そしてその内に、自分たちにも子供ができるだろう。いつの日か、自分たちの子供を連れて、この時節にもう一度植物園を訪ねてみたいものだとぼんやりと思う。
周りでは、絶えることなく家族連れのはしゃぐ声が飛び交っている。きっとそれらがララバイのような優しい歌声になったのだろうか、霧沢が何気なく横を見てみると、愛莉がいつの間にかベンチの上ですやすやと眠っている。さすがに疲れてしまったのだろう。
霧沢はお茶を飲んでランチを終えた。そして、もう一度愛莉の寝顔を覗く。きっと楽しかったのだろう、満足そうな顔をしている。
霧沢はそのほっぺにちょっと触れてみた。幼子のきめ細かで張りのある肌の感触が伝わってくる。
「この子、可愛いね」
霧沢はルリに聞こえそうもない小さな声でぽつりと呟いた。だが一方で考えてみると、愛莉は生まれてこの方、母の洋子と、そして父の宙蔵と親子三人で一緒に外で遊んだことは果たしてあっただろうか。
霧沢はそんなことをとりとめもなく思い、愛莉が不憫で堪らなくなってきた。そんな時に、そばにいたルリが声のトーンを一段と低く落として話す。
「ねえ、アクちゃん、私、アクちゃんに一生のお願いがあるの」
ルリがこう言って、真剣な眼差しで霧沢を見つめる。霧沢は何事が起こったのかと、びっくりする。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊