紺青の縁 (こんじょうのえにし)
そして事情聴取は他の友人たちにも執り行われた。そんな中で、一つの秘め事が白日の下に晒されたとまではいかないが、当局や関係者の知るところとなった。
それは老舗料亭の女将の花木桜子と画廊経営の滝川光樹の旅行。
二人は車で伊豆の温泉へと二泊三日で出掛けていた。そして、洋子が自殺をした午後五時頃、その帰途にあり、名神高速道路を走っていたと言う。
霧沢が耳にした二人の行動はおよそのところ次のようなものだった。
洋子が誰もいないクラブ内で首吊り自殺をしたその当日、桜子と光樹は京都へ帰るために、朝に伊豆の宿を立ち、午前十一時頃に沼津インンターチェンジから東名高速道路に乗った。
その後しばらく走り日本平パーキングエリアに立ち寄った。
そこで土産物を買い、軽い昼食を取った。
そして午後一時前に出発した。
後はトイレ休憩などを取りながら、日本平パーキングエリアを出てから約五時間強を掛けて京都へと戻ってきた。
京都市街への名神高速道路からの出口は東京寄りの京都東インターチェンジと、大阪寄りの京都南インターチェンジの二つがある。
桜子と光樹は午後六時頃にその大阪寄りの京都南インターチェンジの料金所を通過していた。そして国道一号線へと下り、市内へと向かったと聴取された。
それが事実だとすると、遡ることその一時間前、洋子が自殺した午後五時頃の時間帯は滋賀県の彦根辺りを走っていたことになる。
当然このアリバイに対し、警察は裏を取った。
まず日本平パーキングエリアの土産店の女性店員は「いろいろとお土産の味なんかの説明を求めてこられましたわ。そして二人で二万円くらい買い物されましてね、たくさん買って頂いたものですから、しっかりと憶えていますよ。そうですね、それは午後一時前くらいのことでしたわ」と証言した。
さらにそれに加え、桜子と光樹の二人は名古屋を走り過ぎ、岐阜県の養老サービスエリアにいたことが、同じように土産物店の店員により確認されたのだ。
そして、京都南インターチェンジの料金所の係員は「ああ、このお二人さんですか、支払い時にお札を風で飛ばされましてね、運転席の女性が車から降りて取りに走られましたよ。危ないから私が制止に入り、取りに行きました、だからよく憶えてますよ」と証言した。
これで桜子と光樹の足取りは、沼津インターチェンジ、日本平パーキングエリア、養老サービスエリア、京都南インターチェンジとそれぞれの四つ点が線で繋がった。
これにより桜子と光樹のアリバイは完璧に成立したのだった。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊