紺青の縁 (こんじょうのえにし)
滝川は霧沢のような貧乏学生ではなく、その身だしなみはセンスが良く、なかなかのイケメンだった。そのせいか女子学生からの人気も高かった。しかし、それを鼻にも掛けず、男としては割に純で気の良いヤツだった。
そんな男だっためか、どちらかと言うと何事にも拘らなかった霧沢と割に馬が合っていた方なのかも知れない。
だがなぜ突然に、滝川と言う名前が管理人の口から飛び出してきたのだろうか。霧沢はその名前を聞いて黙り込んでしまった。
そんな様子を見ていた管理人、霧沢に心中複雑なものが何かあると感じ取ったのだろう、「霧沢はん、良かったら、ちょっと部屋を覗いて行きませんか?」と尋ねてくる。
「えっ、そんなことしていいのですか?」
霧沢はいきなりの話しで戸惑っていると、管理人が「この事故、なんとなく腑に落ちないんでっしゃろ。それで友達の死の現場を確認しておきたいと訪ねて来やはったんやね。秘密、……、秘密にしておきますがな」と恩着せがましく囁く。
霧沢は、管理人にここへ来た意図を図星で言い当てられてしまったと、この時思った。そして、もうこうなってしまえばその言葉に甘えて、宙蔵の最後の場所を確認しておこうと思い、「じゃあ、よろしくお願いします」と声を潜めて返事をした。
そしてその後、管理人に誘導されるままにマンション内部へと入って行った。
するとどうだろうか、まず玄関の下駄箱の上にあった道具箱はどこかへと片付けられてしまっていた。
さらにリビングへと進んでみると、ほんの半月ほど前に来た時と同じく、やっぱり散らかっていた。
だが、あの時にはなかったものがリビングの壁に保(も)たらかされてある。それは十枚ほどの大きなキャンバス、多分40号の1メートルものだろう。
「宙さんは紫陽花を描くと言ってたよなあ、なんでこんな大きなキャンバスが十枚も要るんだよ」
霧沢がいかにも不思議そうにしていると、横から管理人が「ああ、それでっか、警察からこっそり聞いた話しなんですが、事故前の夜に、仏様と奥様がここで食事しゃはったらしいですわ。それが終わって、その夜の十時頃ですな、滝川さんが、以前から注文を受けてはったらしいんですけどね、それってキャンバスって言うんでっか、それらを届けに来やはったということらしいでっせ」と言う。
霧沢はこの話しはちょっと辻褄が合わないと思い、思わず聞き返した。
「じゃあ、展覧会に出品する作品、翌朝じゃなくって、その前夜に……、新たなキャンバスを夜の十時に届けに来た時に、なんで滝川さんは、その引き替えに出品作品を持ち帰らなかったんでしょうね?」
管理人は、友人としてそういう疑問を持つことはごもっともだという顔をして、ふんふんと聞いている。そしておもむろに、まるで霧沢を納得させるかのように、「これも警察の担当官から聞いた話でっせ。仏さん、その時はまだ出品作品が決まってなかったようですな、それで一晩待ってくれと言うことになったらしいんですよ。霧沢はん、なかなか難しいもんなんですなあ、どれを展覧会に出すかって」と話し、後は大きく「ハハハハハ」と笑う。
そしてその笑いを無理に終わらせ、霧沢に意味ありげな視線を投げ付けてきて、ねちっと言い寄るのだ。
「霧沢はん、もうよろしんとちゃいまっか。霧沢はんの気持ちも、まあわからんこともないですが……。どっちにしろでっせ、仏はんは、ロックの掛かった密室内で亡くならはったんやし、それに、みんな真夜中の二時や三時には完璧なアリバイがありまんがな、そうでっしゃろ。それにこっちもね、もうこれ以上の厄介はゴメンでっさかいな、頼んまっせ、霧沢はん」
そして管理人はしれっとして、「さっ、こちらへどうぞ」と霧沢を寝室の方へと誘導してくれた。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊