紺青の縁 (こんじょうのえにし)
これは霧沢が推理してきた筋書きからはかなり違ってきた。
「それって、誰が声を掛けてきたの?」
「さっきも言ったでしょ、沙那さんが後ろから、私を止めてくれはったんよ」
真由美にはそんな犯行に及んだことへの自責の念と、そして留まることができた幸運、それらを同時に感じ入る複雑な心情が窺(うかが)われる。
そして霧沢は、「私にはやっぱり人を殺めることはできなかったわ」と、沙那がルリに漏らしていたというその言葉を明確に思い出した。その横では化粧が崩れないようにと、真由美がティッシュで溢れ出る涙を拭き取っている。
「それで私がオドオドしてると、桜子さんが目を醒ましてしもうたんよ。そして沙那さんが手にしてはった注射器を、突然取り上げてね……」
真由美はこう明かしながら、手の中にあるティッシュを無意識のまま丸め込んでいるが、話しの方は止めない。
「桜子さんは元々勘が良かったから、多分誰かにいつかこんな目に合わされると、それとはなしに気付いてはったんやろね。それで桜子さんにも少しの良心は残っていたのか、最後に、私たちが加害者にならないように、早く行ってしまいなさいと言うてくれはってね。それで私たちもう恐くなってしもうて、さっさと三河安城駅で下りてしまったんよ」
霧沢は事実はそういうことだったのかと改めて思った。
だが現実には、桜子は三河安城駅を出てから殺害されてしまった。
となると、一体誰が?
霧沢はその犯人が思い当たらない。そんな時に、真由美が顔を青白くさせ、一言だけぽつりと漏らすのだった。
「私、見たの」
霧沢はそれが理解できず、「何を見たの?」と短く聞き返した。
「沙那さんと私が、三河安城駅を降りる時なんやけど……、もうとっくに別れてしもうてた元夫がね、……、そう、龍二がね、その車輌に乗っていたのよ」
真由美はその後じっと押し黙ってしまった。霧沢にも言葉がない。二人の沈黙が続いていく。
そんな沈黙を破るかのように、店のドアが突然開いた。そして一人の若い女性が入ってきた。
「お母さん、大丈夫かしら?」
そう言いながら霧沢たちの前までやってきた。霧沢はその女性を見て、すぐに真由美の娘だとわかった。かってチーママだと紹介された頃の真由美にそっくりなのだ。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊