紺青の縁 (こんじょうのえにし)
霧沢は、愛莉の結婚の一年前、そして桜子の事件の半年前に、こんな会話がルリと沙那の間で交わされていたのかと驚いた。
「その愛莉に幸せを作って上げるっていうのが、沙那さんがその半年後に京都駅で言った、心配しないで、また何とかするからということなの?」
霧沢がルリに確かめると、ルリは「そういうことだったかも。多分、私たちから愛莉を譲り受けることになるだろうから、言ってみれば義理の娘となる愛莉に幸せを作って上げなきゃならないと、一所懸命考えてたんでしょうね」と言い、自分で深く頷く。
しかし霧沢はまだ充分に理解できず、「沙那さんは、愛莉をどのようにして幸せにするつもりだったんだろうね」と呟き返した。
これを受けてか、ルリはしばらく沈黙していたが、覚悟を決めたかのように霧沢に向き合ってくる。
「それはね、あれだけ気丈だった沙那が、このリビングで泣き崩れるものだから、もう泣かないでと言ったらね、……、私たち親たちと、それと子供たちのために、忌(いま)まわしい過去を全部消して上げるわ、と話すのよ。それで、過去を消すってどういう方法で消すのと聞いたらね、沙那は袖を上げて、見せてくれたわ」
霧沢は何のことかわからない。
「沙那さんから何を見せてもらったんだよ?」
するとルリは声を潜めて囁く。
「注射の跡よ。私、それが痛々しくって、どうしてこんなことするのよと訊いたら、沙那は笑って言ってたわ、……、いつかチャンスある時のために、静脈注射の練習をしてるのよってね」
「それって、揺れる新幹線の中で注射をうまく打つための練習だったのか?」
これに対し、ルリはきつい口調で返す。
「沙那自身も元々そういうことはできないと、もちろんわかってたわよ。多分自分の中だけでストーリーを組み立てて、単に自己演技をしてただけなのよ。だって、事件のあった日、京都駅で別れる時に、沙那は涙ぐみながら……、もう一言言ったのよ」
霧沢が「何を?」と訊くと、ルリは一段と声を落とした。
「沙那が……、私にはやっぱり人を殺めることはできなかったわ、と」
これを耳にして、霧沢は思わず「うっ」と言葉を詰まらせた。
そして、「それで沙那さんは、過去を消すために、改めて何とかするからと考え直したということなのか?」と一人呟き、顎を摩るだけだった。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊