紺青の縁 (こんじょうのえにし)
「そうか、それにしても、今でもベッピンさんだよね」
そんな霧沢の突然の冷やかしに、ルリが意外に楽しそうに微笑む。
「霧沢君て、学生の頃と全然変わっていないわよね。入学して初めて逢った時、憶えてる? めっちゃベッピンさんやんかと、関西弁丸出しで言ってくれたわよね」
「ふうん、多分、そうだったかもな。だけど今の方がもっとベッピンさんだよ」
霧沢は見え透いたお世辞のようなことをついつい口にしてしまい、一言多かったかなと反省する。それでもルリは「わあ、嬉しいわ。そんなことを霧沢君が言ってくれるのを、私、絵を描きながら、ここでずっと待っていたような気がするわ」と嬉しそう。
「そうなんだ、ルリさんの夢は画家になることだったんだよね。それでまだ描き続けてるんだ」と、霧沢は思い出した。
ルリの絵は油絵だが、透明水彩画のような淡い色使いだった。霧沢はいつもそれに引き込まれ、本当に上手いなあと感心していた。
「そうなのよ、売れない画家を続けているのよ、霧沢君みたいなファンがいなくなってから、なぜか上手く描けなくなったわ。これからは昔のように応援してくれるわよね」
霧沢はすぐさま気障(きざ)に親指を立てて、「できるだけの事はさせてもらうよ」とまじめに答えた。
だが、こんなルリとのやり取りが霧沢にとってたまらなく懐かしい。そして霧沢はこんな談笑を楽しみながら、暗い店内をもう一度見渡す。
カウンターの奥の方にあるすす汚れた壁、そこにヤケに青い一枚の絵が掛けられていた。霧沢はそのしつこいほどの青さになんとなく興味が湧いた。そして椅子から立ち上がり、近くへと見に行く。
そこには、青い月夜の茫洋とした海で、まるで行く当てもなく浮かぶヨットの絵があった。そして船上には、男女二人がその月光に照らされて、抱擁している姿が描かれていた。
「ルリさん、この絵、異常に青くって神秘的な絵だね。少し寂しそうな趣(おもむき)だけど、これルリさんの絵じゃないよね。誰が描いたの?」
「ああ、それね、〔青い月夜の二人〕って言うのよ。同じサークルにいた友達の桜子、霧沢君、彼女のこと憶えてるでしょ」
「ああ、もちろんだよ」と感情を表に出さずに軽く返事をした。
「その桜子のダンナさんが描いたのよ。その抱き合ってる二人は誰なのか、私知らないけど、それをね、単に預かっているだけなの」
何かの事情をルリが隠しているかのようにも聞こえてくる。
しかし、霧沢は桜子のダンナと聞き、「ふうん、預かってるの、どうして?」と思わず聞き返してしまった。「ちょっとね」とルリの歯切れが悪い。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊