ノンフィクション/失敗は遭難のもと <後編>
こんな苦労も、沼田駅でバス下車時に前の人の料金精算で手間取り、目の前で16:16発に乗り遅れてしまった。
昭和63年8月7日(日) 夜行日帰 ー第9話 終ー
第10話 遭難遺体搬送[南八つ・阿弥陀岳]
そそっかしい自分のこと、数限りない失敗談がある、と思い込んでいたが、どうやら底を突いたようです。何の切りがいいのか分かりませんが、第10話で切りがいいし、完結することにしました。
最終話は・・・、読んでのお楽しみとしましょう。
第9話でお話しました「南八つ・北八つ完全縦走」。しかし、縦走コースから外れた南の「阿弥陀岳(2,807m)」だけ、まだ足跡を残していなかった。当然、機会を狙っていたら『あった!』。
その頃は、単独行動よりグループ山行が主体になりつつあった。そのグループは「新ハイキング」。年間購読契約で、毎月機関紙が自宅に郵送されてくる。
その巻末に、翌月一ヶ月分の山行プランが掲載されている。無料でガイドするリーダーが数十名所属していて、それぞれのリーダーが独自のプランを立てるから、その数は一ヶ月で30~40コースにもわたる。なにしろ交通費の実費のみ、貸切バスでもほとんど頭割りの実費で済むから安い。
その中に「阿弥陀岳」の文字を発見した。即座に往復ハガキで申し込みする。申し込みを躊躇って、ハガキの投函が1日遅れると、もう定員締め切りの返信ハガキが戻る。先着順だから、なんとしても登りたい山は、即決即断でハガキを送らねばならない。
それでも人気のリーダーや、人気のコースはメンバーに潜り込むのが難しい。何故なら、月刊誌が送られてくる前の、前月のコースに参加した人が、当のリーダーに直接申し込んでしまうから。これには参ってしまう。
申し込みハガキを出すと、結果が戻るのが一日千秋の思いになる。落選通知には無念の臍をかむ。この「阿弥陀岳」は受付OKの返事が届いた。今もそのハガキは大切に山行記録と一緒に保存されている。
<ハガキの文面>
阿弥陀岳受付No. 16番
8月26日(日)の夜行日帰り山行は、誌面の通り行いますので、費用を郵便振替にて8月17日までに振り込んでください。
郵便振替口座 OOOOOOO 加入者:OOOO
なお、期日までに振込みがありませんと、キャンセル待ちの方に回すことがありますので、ご了承賜りますようお願いいたします。
貸切バスですので雨天決行です。
郵便振替の領収証も取ってある。費用は4,300円・手数料60円だった。この日の参加者は36名で、女性が14名。サブリーダーも決まっていた。
集合場所:JR五反田駅西口広場、25日(土)23:13に貸切バスが発車した。晴れ渡った星空が綺麗だった。バスがスタートして、リーダーから注意事項伝達が終わると、車内の照明が落とされ、就寝モードになる。アイマスクに耳栓、空気枕で寝ようとつとめるが、とても寝られない。ただ、じっと目をつぶるだけだった。
美濃戸口にバスが着いたのが、真夜中の2:32。身支度を整え、不用品をバスに残し歩行開始2:50発。真の闇夜だった。30名以上のヘッドランプが辺りに交錯し、一種異様な場面が展開する。それが一列縦隊となって歩き出した。ザクザクザクと砂利道を歩く靴音が周囲に散っていく。寒さも手伝ってか、身震いが止まらない。
ひっそりと寝静まった「美濃戸山荘」前に4:00ジャスト到着、10分の休憩を取る。まだ黎明の気配すらない闇夜が続く。
5:00に朝食タイム、やっと空が白みはじめ、薄明るくなってきて、周りの様子が薄ぼんやりと浮かびはじめた。
山荘前を出発してしばらく行くと、柳川北沢に沿って赤岳鉱泉に続く道と分かれる。その分岐点に、なにやら看板が下げられていた。それは「尋ね人」のお願い文だった。極寒の2月、このルートから八ヶ岳登山に入った若者を、探しています、見かけた方はお知らせください、と書かれていた。残された肉親の切実な願いが籠められているようだった。
まだ行者小屋までは、緩やかな登りばかり。早朝の寒さも和らぎ、寝不足の身体に朝食でお腹が膨れたら、もう目蓋が重くなって、無性に眠くなってくる。強烈な睡魔に襲われた。隊列のほぼ真ん中辺りを歩いていて、縦列がストップした。先頭が高山植物でも見つけたのか?
その立ち止まった瞬間、立ったまま眠ってしまったらしい。ふっと目を開けると、前を歩いていた人の背中が10mも先を歩いていた。後ろの人は僕が歩き出すのを辛抱強く待っていた。慌てふためいて後を追う。この睡魔には勝てなかった。
美濃戸口を夜中の2:50に歩き始めて、途中朝食休憩などを挟みながら、行者小屋に到着したのが6:55着。4時間が経過していた。普通のハイキングコースの約1日分になる。しかし登山に来て、まだ山に登っていない。行者小屋からが本格的な山登りになる。
小屋に近づくと、小屋前に山男のグループが輪になっていた。なにか?雰囲気が違っていた。山小屋って、単なる登山基地とか中継点ではない。そこは山の中の唯一休息地でもある。いつも開放的な和やかな雰囲気に包まれている。
しかし、今日の行者小屋の前には、ピーンと張り詰めた雰囲気が支配していた。どの山男も表情が硬く、よそよそしい態度が感じられた。輪の中心にいた男性が、周りの男たちに助けられて、大きな荷物を背負って立ち上がった。
その背中のシートで覆われた荷物は、奇妙な形をしていた。斜め上に尖った部分がある。さざなみが広がるように小声が聞こえてきた。「遭難者の遺体だ」。瞬間、全身の血の気が引くように身震いが走った。
そう言われると、シートの中身が想像できた。遺体は二つ折りになり、脚が突き出した格好になっている。雪の中で凍って硬直し、元の姿勢に戻せないのだ。そのまま救助の人の背中で、下界まで搬送される。
僕たちは縦隊のまま横一列になり、出発した葬列に手を合わせるばかりだった。なんと悲しい場面か、なんと虚しい出来事か。
(これは書いている現在のこと)先日、観賞した映画『岳』を思い出した。山で捨ててきてはいけない物が二つある。皆さんに分かりますか。
そうです、一つは「ゴミ」でした。もう一つは「命」です。あたら、これからの若い命を、イヤ、たとえ年老いた命でも、山に捨ててはいけない。肝に銘じたいですね。
気分を一新して行者小屋を後にする。まずは八ヶ岳の主峰「赤岳」と「阿弥陀岳」を二つに分ける「中岳のコル」を目指す。小屋から赤岳に至る文三郎道の崖のようなコースに挑む登山者の姿が見える。まだ雪の残骸も残っている。
中岳のコル8:15着、見上げるような阿弥陀岳山頂を指呼の間にして、ここで2回目の食事をとる。そして待望の阿弥陀岳(2,807m)に9:05登頂した。大快晴に大展望が広がる。記録では10:05発と、山頂に1時間滞在したことになっているが・・・。
作品名:ノンフィクション/失敗は遭難のもと <後編> 作家名:おだまき