小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ノンフィクション/失敗は遭難のもと <後編>

INDEX|4ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

  スタートの渋の湯では、小雨がぱらつき傘をさしたが、黒百合平では、頭上が晴れてきた。しかし、周囲は濃いガスに包まれていた。低い雲の中にスッポリ収まっているらしい。

  巨岩がランダムに積み重なった「高見石(2,260m)」では、眼下に神秘的な水色の「白駒池」が俯瞰できた。登り返した「丸山(2,330m)」山頂からは、高見石だけが見えた。

  「麦草峠(2,140m)」はお花畑、色とりどりの高山植物が、疲れた身体に一服の涼風となって、癒しのサインを送ってくれる。八ヶ岳を横断する道路があり、バス停もあるから一般の観光客も大勢訪れていた。

  「茶臼山(2,383m)」山頂は風が冷たい、とメモ書き。しかし歩行時間は13:40、予定よりジャスト1時間早く歩いていた。快調・快調。宿泊予定の「北横岳ヒュッテ」まであと3時間少々。

  その調子で「縞枯山(2,402m)」もなんなく通過して、雨池峠への降りで、アクシデントが発生した。なにも危険らしい難所ではなく、普通の樹林に覆われた登山道だった。段差のある降りで、アッという間に自分の身体が宙に舞っていた。

  前のめりに倒れ、前転一回転して背中から地面に落下していた。背中のザックが衝撃を受け止め、ショックを和らげてくれた。でも、何故そんな態勢で転倒したのか?自分でも説明がつかなかった。

  透明人間か?山の天狗様?にでも投げ飛ばされた???慌てて身体の異常を調べる。左腕に擦過傷、左薬指に血がにじみ、尻の打撲がすべてだった。歩行にはまったく支障がない。一安心した。

  一安心はしたものの、精神的なショックは大きかった。今までの元気はどこかに影を潜め、気弱な気持が全身を支配していた。雨池峠に降りて時間は14:45だったが、もう登る元気が出なかった。しかも遠雷まで聞こえてきてはもう・・・。

  向かった先は、峠の近くにある「縞枯山荘」。この山荘に逃げ込んでしまった。その点八ヶ岳は、山小屋銀座といわれるほど、山小屋が何処にでもある。助かったぁと思った。

  翌日は朝から強風が吹き荒れ、頭上は晴れていても周囲は靄に包まれ、やっぱり雲の中を歩く。笹薮が露で濡れている。雨具のズボンを穿いた。

  最初のピークは「雨池山(2,325m)」、次の「三つ岳」は岩峰。宿泊予定だった「北横岳ヒュッテ」を横目に見て、「北横岳(2,473m)」に登頂。続いて「大岳(2,382m)」もクリアーして、また降り。

  この時、単独で足の速い男性が追い越して行った。よせばいいのに、負けじ魂?に火が点いて足を早めた。滑った、また身体が宙に浮いた、落ちた。

  登山道が雨水で大きくえぐれて、数メートルの崖のようになり、立ち木が崖際に倒れずに残っていた。気が付くとその立ち木の根っこにまたがるような状態になっていた。両足は宙に浮いたままブラブラしている。

  まったく情けない姿をしていた。もし、この立ち木が無かったら・・・、考えるだに恐ろしい結末になっていただろう。今度は横腹を強打し、両腕に擦過傷を負っていた。昨日の今日もまた、今まで経験したことが無い出来事に、どうしようもないパニックに陥っていた。

  机上プランでは、「北横岳ヒュッテ」に泊まって7:00発を予定していた。実際には、2時間ほど手前の「縞枯山荘」泊だったので、1時間強早い5:48に山荘を出発した。

  そしてヒュッテ通過が7:32、32分の遅れになっていた。その遅れを取り戻したい焦りの気持が、心の何処かにあったようだ。

  その後、双子池 ⇒ 双子山(2,224m) ⇒ と辿り計画通り11:00に大河原峠に到着した。残るは北八つの最高峰「蓼科山(2,530m)」のみになった。時間的にも予定通りだから、何も問題はないはずなのに、すでに負け犬の心境になっていた。自分でも信じられないほど、弱気な惨めな自分がいた。

  登山地図を広げても、エスケープルートばかりを模索していた。そして縦走コースから逸脱した。「天祥寺平」のお花畑で昼食、竜源橋⇒プール平と下った。

  言い訳になりますが、後日「蓼科山」には足跡を残しました。その時、天祥寺平のお花畑で、美しい濃紺のミヤマオダマキに出会った。高山植物の中でミヤマオダマキが一番好きな花になった。

平成2年8月12日(日)夜行、1泊2日歩く

  もうひとつの転倒事故は、「北八つ」より遡ること2年前、尾瀬の「燧ケ岳」登山のことです。東武鉄道の尾瀬夜行を利用した夜行日帰りプランでした。

  浅草駅23:50発の尾瀬夜行で、会津高原駅に翌朝3:20着。そのまま車中で仮眠して、尾瀬三池直行バスが5:00発。三池登山口に6:30着、単独の身軽さ5分後には歩き出していた。

  この日も小雨模様の天候が、夜明けとともに雨が上がり、晴れ間さえ見られるようになった。西の空に珍しく虹が架かった。でも朝の虹は、天候悪化?の兆候とか誰かが言っていたか?言っていなかったか?

  山道には雨水が流れ、ぬかるんでとても歩き難かった。そのかわり、小潅木のあちこちからたくさんのウグイスの囀りが
聞こえてきた。高山植物の花々もたくさん咲いていた。プロの紀行文なら、ここで草花の名称をズラズラと並べるところだが、自分にはまったくの門外漢で情けない。

  広沢田代から熊沢田代へ、低い潅木帯に入る頃から、乳白色のガスが湧き出してきた。視界約50mほどか、これでは山頂からの展望が期待できない。

  やはり山頂直下の登りが苦しい、つい沢水が美味しくてがぶ飲みしたせいか、急登にバテてしまった。

  双子峰の「燧ケ岳・俎嵓(2,346m)」に登頂が9:55。案の定濃い霧で展望がまったくない。眺望が無くても、登頂記録は残したい。岩場伝いで隣の「燧ケ岳・柴安嵓(2,360m)」にも足跡を残す。狭い山頂は登山者でいっぱいだった。

  皮肉なもんで、山頂を後に下り始めると、一気にガスが消えて、眼下の尾瀬沼がきれいに視界に現れてきた。下りも長く退屈な歩行が続いた。かなり下った樹林の中で、幹回り2mほどもある大木が倒れて、登山道を塞いでいた。ほとんど道と平行に倒れていたので、その巨木の上を歩かなければならない。

 倒木の上に乗り立ち上がって、1歩足を踏み出した瞬間、氷の上でのスリップとまったく同じ感じで「ツルン」と滑った。身体は宙に浮き、横倒しのまま背中から大木の上に落ちる。今回も背中のザックが緩衝の役目を担ってくれた。

  尾瀬沼の沼尻11;50着、弁当を食べて12:20発。残すコースは三平下~大清水まで。プランでは大清水15:00発のバスを予定していたが、急げば1本前の14:30発に乗れる。残りはまだアップダウンがあるものの、平凡なハイキングコース。超スピードで歩き始めた。

  歩き易い木道で距離を稼ぐ。残る距離3,5kmで、残り時間35分。1km=10分、もう半ば駆け足で走った。それをあざ笑うかのように、残り5分でカミナリと雨が降ってきた。バス停には傘を指してゴールイン。14:25着だった。