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ノンフィクション/失敗は遭難のもと <後編>

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昭和63年2月28日(日)歩く          ー第7話・終ー


第8話 ここでちょっと一休み[私の一冊]

  小生は44歳にして待望のマイホームを飯能市に得た。それまでは西多摩郡の都営住宅で、営々と暮らしてきた。その転居と同時に山歩きにも目覚めた。仕事先のお友達に「尾瀬」に誘われたのがきっかけとなった。

  その点、飯能市は最高の立地にあった。奥武蔵・奥多摩・外秩父、いずれの山にも直ぐに取り付けることが出来た。だから普通の1日コースは、半日で歩けた。

  但し、通勤がたいへんだった。勤務先の都内まで片道2時間。これは西多摩の住居からも同じだったから、もう通勤時間の長いのは慣れっこになっていた。でも何故飯能市に?

  飯能駅は西武池袋線の始発駅、帰りも池袋駅が始発駅。たとえラッシュアワーでも、1台見送れば必ず座れる。これが通勤時間を短縮しようと、なまじ途中駅にすると朝の通勤が立ちんぼになる。

  20代の頃から習慣になった長時間通勤スタイルがあった。朝は30分かけて新聞を読み、30分は読書。帰りは30分読書で30分昼寝、というかもう夜だから居眠り。

  この通勤車中の読書のジャンルもまったく一変した。それまでは「SF小説」一辺倒で、他のジャンルは一瞥だにしなかった。空想小説が面白くてならなかった。

  でも、山歩きの魅力に取り付かれてからは、SF小説に見向きもしなくなった。山岳小説に夢中になっていた。文章の端々に山を感じ、山の風景を思い描き、満員電車の息苦しさも忘れるほどだった。

  自宅の玄関ホールに、日曜大工で作った本棚が3本。そして4本。SF物は徐々に隅に追いやられ、山岳小説が大きな顔をするようになった。いつも家の出入りに、山の本の背表紙を見る喜びがあった。

  そんなある時、どんなきっかけか忘れたが、飯能市立図書館で、文集「私の一冊」第19集の原稿募集を知った。以前は「読書感想文集」のタイトルで、毎年発刊していたらしい。

  これはもう、絶対に「私の一冊」を投稿しなければと、自分の拙さも忘れて、原稿用紙を買いに走った。そして書いて送った。制限枚数、原稿用紙2枚、800字以内の小文だった。

  投稿をすっかり忘れた頃、図書館から小冊子が届いた。A5サイズで46ページほどの、薄っぺらな冊子だった。目次には30名の寄稿者の名前とタイトルが並んでいた。自分の名前もあった。

  その冊子の巻頭言を原文のまま転載します。

      「私の一冊」第19集発刊にあたって
              飯能市立図書館長 OOOOOO
 今回も大勢の方々のご協力により、「私の一冊」が発行できますことをまずお礼申し上げます。
 昭和61年に、以前の読書感想文集から一新して刊行いたしました「私の一冊」は、今回19集となります。第1集が出ました年に比べますと現在、飯能市の図書館の蔵書数は当時の2.4倍、日本の出版点数も現在は、年間7万冊以上。これも昭和61年当時の2倍になります。こうした活字文化の氾濫ばかりでなく、現在は、電子ブック、携帯文庫などの利用の伸びも目覚しいものがあるようです。
 さまざまな情報が飛び交う中で、いかに自分に必要な情報を速く、的確につかんでいくかが問われる時代になりました。その中で図書館の役割は益々大きくなっていくと思われます。「図書館は成長する組織である。」とは、インドの図書館学者ランガナータンの言葉ですが、飯能市の図書館も市民の皆さんのご支援、ご教示をいただきながら、時代の要請に応え、成長していきたいものと考えます。
 この「私の一冊」が、皆さまの新たな一冊との出会いに役立てていただければ幸せです。

  そして小生の投稿文は以下の通りです。(以前、日記でご紹介したことがあります。ご覧になられていたら、スイマセン)

       『孤高の人』 新田次郎作 (新潮社)
             飯能市笠縫 おだまき りゅうた

 遅ればせながら不惑の40歳を過ぎてから、初めて山歩きの素晴らしさに目覚めた頃、古本屋で『孤高の人』に巡り合いました。そして、500ページになんなんとする大作を、無我夢中で読み終えていました。
 当時はまだ登山仲間も皆無で、もっぱら単独で奥多摩・奥武蔵の山々を逍遥していた自分と、主人公の加藤文太郎がオーバーラップして、強烈な衝撃と共感を覚え、いっぺんに新田文学のトリコになっていました。
 『孤高の人』は「単独行の文太郎」とか「関西に文太郎あり」とか称されるほど、日本の登山界で勇名を馳せた「加藤文太郎(実在)」の生涯を、新田先生が入念な取材を基に、雄渾な筆致で劇的に描いた作品で、私の座右の著書として友人たちにお薦めしています。
 募集の主旨「私の一冊」からは逸脱しますが、新田先生の著書のほとんどは実在のモデルがいて、納得されるまでの取材をベースに、一気に作品に仕上げていて、その洗練された文章力に魅了されてしまいます。
 先生の代表三部作といわれる「孤高の人」「銀嶺の人」「栄光の岩壁」の他にも、映画化された「八甲田山死の彷徨」、一人の日本人がエスキモー部落を救う「アラスカ物語」や、直木賞受賞作になった処女作「強力伝」。作家として一本立ちする前の公務員時代、勤務先の気象庁で自ら富士山頂気象観測員として体験した富士山物、「芙蓉の人」「怒る富士」「富士山頂」「富士に死す」等々、富士山に関わる著書も数多くあります。
 新田先生の出現で「山岳小説」というジャンルが新たに生まれたとか。こんな数々の新田先生の作品に啓蒙されて、自分でも書きたいという衝動に駆られている昨今です。

平成16年3月1日発刊            ー第8話・終ー


第9話 転倒2題 [北八つ&燧ケ岳]

  お恥ずかしい失敗談です。ものの見事に転倒しました。

  昭和61年6月に一大決心のもと、待望の「南八つ」縦走を単独・夜行1泊で、無事果たすことができました。大きな自信になったことは申すまでもありません。

  そして、欲望はとどまるところを知らず、八ヶ岳完全縦走を目指し、平成2年8月「北八つ」に挑みました。行程は同じ夜行1泊で一人でした。

  南八つはアルペン風の岩稜帯で、男性的な豪快さを感じるコースで、北八つは樹林に覆われた湖沼が点在する、たおやかな女性的なコース、と自分的には位置づけていた。

  その荒々しいコースをすでに走破していたから、はじめからこちらのコースを、甘く見ていたきらいが無くもなかった。意識はしていなくても、事後の反省で思い当たるふしがあった。正直な自分の気持はごまかせない。

  スタート地点は前回と同じで、渋の湯 ⇒ 黒百合平 ⇒ 中山峠。峠を右に行けば「南八つ」、左に行けば「北八つ」。これで八ヶ岳全山縦走が達成できる。

  ※正確には南の「阿弥陀岳」は縦走コースから外れているので、別の日に「新ハイキング」というグループで、夜行日帰りで登りにきた。これを「第10話」にしようっと。

  ※もうひとつ、西天狗もコースを外れているが、東天狗から片道15分だから、ピストンでトレースした。