ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編>
結局、予定のコースを継続することになる。この頃はまだ「エスケープルート」なんて大事な登山用語など、まるで知らなかった。
入山峠に着いた時は、完全にグロッキー状態だった。ガス欠(空腹)でもあったので、予備食のコーンフロッグやエビせんなどを口に入れるが、唾が涸れて渇ききった口内に溜まるばかりで、ノドに入っていかない。
水筒の麦茶でなんとか流し込むが、麦茶も残り少ないから、せいぜい一口か二口しか飲めない。残りの行程からみても、まだ飲み水を切らすわけにはいかない。
それでもほんの僅かな量とはいえパワーの元を補給し、休息をとり少しは元気を回復して腰を上げる。ぐずぐずしていたら、山中で日が暮れてしまう。それだけは何としても回避しなければ、と気だけが急いている。
峠からは、広い林道が盆堀部落に通じているが、マップを見るかぎり、どうしても刈寄山経由の方が近く感じるので、やはり予定通りのコースを進むことにした。
刈寄山への登りは距離が短く、予想に反して呆気ない感じで登り着いた。「やったぁ!」これで本日の山行は終わった。
と、ホッと安心したのが間違いの元だったのか?最後の最後で大きなミスを冒す羽目になった。
生来のオッチョコチョイと、極度の疲労から「もうどうでもいい」という半ば放心状態で、正確な判断力・注意力が鈍っていたこと。地図でコースの確認を怠っていたこと等が上げられる。
刈寄山の狭い山頂は、四方を雑木に囲まれて展望はまったく無い。静寂だけが支配する無人の世界。自分一人だけの空間である。その事を意識すると、急に淋しさが身に染みて、人恋しの欲求が身内から湧き上がってくるのだった。
これまでのコースは、必ず山頂を縦断するように通過してきた。だから規定観念が、コースは山頂を通り抜けるもの、とばかり思い込み、まさか刈寄山はコースから外れた場所にあり、同じ道をピストン(往復)するなんて、夢にも思わなかった。そして、気が急くままに山頂から微かに踏み跡らしき、落ち葉が厚く積もった斜面を下りはじめてしまった。
正しいコースは、山頂の手前100mほどの分岐まで戻らなければならなかった。そこには、しっかりと行き先が標示された道標もあり、往路で通過する際に一目見定めていれば、こんな失敗を引き起こすことも無かったのだ。たしかに目の端で、道標の存在は感知していたのに、極度の疲労が、道標を確認する注意力まで奪っていた。
頭のどこかで、先程の山道に合流するのでは?などと、安直で身勝手な希望的推測もあった。フカフカの落ち葉と柔らかい腐葉土の急斜面を、半ば滑り落ちるように快調に降る。途中で踏み跡が消失したり、倒木で進路が塞がれたり、明らかに今までの道とは様相が全然違うのに、まったく気付かずに10分ほど降ってしまった。
眼下にテラス状の平坦地が見えてきて「ヤッタァ!コースに合流出来たぁ」と会心の笑みが浮かんだ。しかし、つかの間の喜びは、一瞬にして絶望へと変わっていた。テラスに降り立ってみると、そこには登山道など何処にも無かった。そして行き止まりでもあった。
テラスの縁は、更に傾斜が一段と厳しさを増し絶壁となり、雨水の通り道らしき溝が一直線に、遥か地の底まで落ちていた。これにて進退極まってしまった。落ち葉の中にガックリと膝を落とす。「遭難」の二文字が脳裏をよぎった。奥多摩辺りの低山で遭難事故を起こすなんて・・・・。
つまらない妄想に時を費やす暇は無い、自分のミスはミスとして、また頂上まで戻らなければならない。だけど、疲労はこのうえないピークで、精神的にも最悪な状態にある。もう半ば夢遊病患者の様相だったと思う。
登り返しがまた地獄の責め苦のように辛かった。地面が柔らかいので、一歩登っても半分はグズグズと滑り落ちてしまう。木の根や枝にしがみ付いて必死の登攀となった。10分の降りを登り返すのに30分、頂上にやっとの思いで辿り着いた途端、見栄も外聞もなく大の字にぶっ倒れてしまった。
地面に仰向けに身を横たえ、木の間越しに空を仰ぎ見て、疲れきった身体を休めながら、しばし自分のアホさ加減を反省する。山歩き失格だと思った。
また、なんでこんな苦しい思いをしてまで、山に登らなければならないのか?家で扇風機にあたりながら、ゴロゴロしていてもいいのに・・・。でも、どんなに辛い思いをして「もう山は止めた」と思っても、一夜が明ければ、また山が恋しくなる。永遠に正解が答えられない命題である。
僅かに残っていた貴重な麦茶も一気に飲み干し、ついに底をついてしまった。それにいつまでものんびり休憩しているわけにはいかない。グズグズしていると、本当に山中で日が暮れてしまう。
問題の分岐まで戻り、くだんの道標を恨めしげに見た。此処からの降りは相当厳しく、まるで麓まで下りきってしまうほどの急勾配の連続だった。
微かに刈寄川のせせらぎが聞こえてくる頃、急坂の途中で疲れ果てた身体を投げ出すように倒れ込んでの小休止。まさに恥も外聞も無いといったところ。
いかに日照時間が長い夏場とはいえ、辺りはなんとなく薄暗くなってきた。18:30頃まではブルドーザーやダンプカーのエンジン音が聞こえていたので、うまくすれば沢戸橋くらいまでヒッチハイクできるか?と甘い期待をしていたが、18:30を過ぎるとパッタリエンジン音が止んでしまった。仕事が終わったらしい。
それでも事務所で電話が借りられれば、タクシーを呼ぶことも出来る。どこまでも楽天家らしい甘っちょろい考えである。
川のせせらぎが確実に大きくなっている。いきなり目の前に細い流れが白い奔流となった沢が現れた。もう我を忘れて小走りに駆け寄り、倒れ込むように流れに口を突っ込み、夢中で沢水を飲んだ。
氷水のように冷たくて甘い水だった。こんな旨い水を今までに飲んだ記憶が無い。まさに甘露・甘露であった。少し人心地がついたところで、空っぽだった水筒になみなみと水を満たし、改めて思う存分腹がいっぱいになるまで飲み尽くした。なんと1リットル入りの水筒に2杯も飲んでしまった。3杯目の水を水筒に満杯にして再び歩き出す。
自分でも分からない人間の身体の不思議さ、完全にグロッキーだったはずの身体に、僅かながらも元気さが蘇えっていた。沢伝いにしばらく降ると、いよいよ林道に出て目の前に砂利採集所が現れた。先程のエンジン音が聞こえてきた所だ。しかし、真っ暗になった事務所には人の居る気配は無く、施錠されて電話を拝借する希望も絶たれた。
此処からは未舗装ながらダンプカーも通行できる林道だが、沢水が溢れて泥濘んでいるうえ、車の轍で凹凸になっていて、山道より道悪で歩き難いことこのうえない。辺りはいよいよ薄暮が迫り、非常時のヘッドランプを何時ザックから出そうか思案しながら、道を選って歩を進める。
作品名:ノンフィクション/失敗は遭難のもと <前編> 作家名:おだまき