風花が舞う日
「鉄平、最近何か良いことでもあったの?一週間前、山から帰ってきてから、とても嬉しそうにしているけど・・・」
やはり、母の目は誤魔化せなかった。鉄平の浮き立つ心理状態が、筒抜けになっていたらしい。
「なんだ、何かあったのか?」
父まで口を出してきた。
「いや、別に何も無いよ。八ヶ岳縦走がうまくいっただけだよ」
「山の写真、出来ているんでしょ?お母さんにも見せなさいよ。そのくらいの権利はあるはずよ。いつも『どうぞ無事に帰りますように』ってご先祖様にお祈りしてるんだから」
「分かった。後で見せるよ」
「鉄平、もうお前もいい歳なんだから・・・」
父のいつものお説教がはじまった。
「分かってるって。僕の山登りは、単なる稜線歩きのピークハンターで、危険な岩登りや沢登りはやってないから大丈夫だよ」
折角の一家団欒が、変な雲行きになってきたので、鉄平は早々に食事を済ませ自室に引き返した。両親は鉄平に言うだけ言うと、そのままテレビの時代劇に夢中になっていた。巳月家は至って平凡で、平均的な日本の家庭だった。
第3章 メールと封書
菖蒲姉妹に速達便で郵送した翌日の午後、会社でコンピューターグラフィックスを最大限に活用したカタログデザインに、夢中で取り組んでいた鉄平のケータイに、メールが届いた。
まずタイトルに、絵文字でピンクのハートマークが、いくつもズラリと並んでいて、いきなりドキッとさせられる。次いで本文では・・・
[ハロー、お元気?写真とレポートありがと。ハル姉と楽しく拝見しました。鳳凰三山OKです。一度打ち合わせでお会いしませんか?お食事なんか如何ですか?ホントは二人きりがいいんだけど・・・、ダメよね。フフフフ。今日は晴れて気持いいですね。ご連絡待ってまーす。ごきげんよう]
絵文字がふんだんにちりばめられたメール文に、初めて接した鉄平は、まるでクイズかパズルのような着信に戸惑いながら、自分なりに翻訳を試みた。それが上記の文章である。
それから更に2日後、残業で疲れ果て遅い帰宅となった鉄平に、心の片隅で密かに待ち望んでいた春奈からの封書が待っていた。鉄平が自宅に戻ると直ぐ母が、
「菖蒲さんという女性から、お手紙が届いていますよ。この方、どういう方?ずいぶん達筆な方ね」
と言いながら、春奈からの手紙を手渡された。
「別に。先日、山小屋で知り合った人だよ」
と答え、さりげなく封筒を受け取ると、母親の詮索の目を逃れるように自室へ引っ込んだ。
見たことも無い高級な和紙の封筒に、谷川岳の記念切手が貼られていた。そして、宛名・所番地は、いかにも書道に長けていると思わせる流麗な筆書きでしたためられ、妹・百恵との性格の違いがはっきり純和風と西洋風に分かれていた。洋風・和風どちらにも充分な魅力があると鉄平は思った。
そして、封書の中身、便箋も今時では珍しい和紙の巻物が使われ、惚れ惚れするような美しい筆致が、鉄平の心を和ませてくれた。
# # # # #
拝復 眩しいほどの夏も間近の頃となりましたが、巳月様にはお変わりもなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。
この度は、思い出に残る数々の写真とともに、八ヶ岳で遭遇した波乱万丈のレポートをご送付下さり、誠にありがとうございました。巳月様の息使いと体温が伝わってくるようで、百恵と二人で楽しく拝読させて頂きました。
特に様々な自然現象や、生物・植物など、多岐に亘る緻密な観察眼を証明したレポートは、同じ日同じ八ヶ岳を歩いた私達ですら驚きと感動の連続でした。
そして、レポートの行間の端々から、巳月様の真面目で几帳面な人となりが伺えるような気がいたしました。
また、私達の不躾なお願いにもかかわらず、早速『鳳凰三山山行』をご提案賜り、恐縮至極に存じます。道中は出来るだけご迷惑をお掛けしないよう頑張りますので、ご先導役よろしくお願い申し上げます。
なお、日程などは全てお任せいたします。巳月様のご都合で決められて結構でございます。
楽しみがひとつ増えて、春奈は嬉しゅうございます。
向暑の折からくれぐれもご自愛下さいますよう。
乱筆乱文にて失礼いたしました。 草々
巳月 鉄平様
春奈 拝
# # # # #
鉄平は、まず夢中で一気に読み終わり、更に春奈自身の口から語られるさまを想像しながら、ゆっくりと筆の流れを追い、何度も繰り返し目を通すのだった。
春奈からは、『鉄平の方で勝手に計画を立てていい』とだけ伝えてきて、事前に会いたいとは書いていない。百恵からは『直ぐにでも会いたい』と伝言があった。あるいは春奈は、百恵が鉄平に『会いたい』と連絡するのを承知していて、敢えて意思表示をしなかったのか?
どちらにしろ鉄平は、大まかなスケジュール表を作成すると、百恵にメールで連絡を取った。北区滝野川が住まいの自分と、狛江市成城に住む姉妹の中間点を選び、[今度の日曜日の正午、新宿・中村屋で会いたし。お二人のご都合は如何?]と。まるで電報文そのままである。
間髪を入れず、百恵から返信メールが届いた。
[今度の日曜日の正午、新宿・中村屋一階の喫茶店で、ハル姉とお待ちしてまーす]
鉄平は文面に<姉>の文字を確認して、何故かホッとしていた。
第4章 初デート
僅か数日後の日曜日が、鉄平には一日千秋の思いに感じられるほど長かった。仕事が終わり家に帰ると、会うための口実だった大まかなスケジュールに手を加え、分刻みの詳細な日程表に仕上げていった。
勿論、区間区間の所要時間も、女性の脚を考慮して割り増してある。あとは、実施日を入れさえすれば、完全なスケジュール表になる。
待ち兼ねた日曜日、鉄平は約束の時間より30分も早く、待ち合わせ場所に着いていた。喫茶店の一番歩道寄りに近い、全面ガラスのところに席を占める。
喫茶店前の新宿通りは休日歩行者天国で、クルマは完全にシャットアウト。今日ばかりは車道を大手を振って闊歩出来る。それにしても、通行する人の数が多い。その人の群れの中に彼女達を探す。
やがて時計の針は12時を回ったが、待ち人はいっこうに現れる気配が無い。さすがの鉄平も「来ないのでは・・・」と不安に襲われる。百恵のケータイに電話しようか、しないかしばし迷っていると、ガラス越しに満面に笑みを湛えた二人が、ひょっこり現れた。百恵は首を傾げたポーズで手を振っている。
百恵はジーパンの裾を無造作に引き千切ったような短パンにピンクの大胆なタンクトップ姿。春奈は清楚でシンプルな純白のワンピース姿だった。
ノースリーブで朝顔のように裾広がりの、真っ白なフレアースカート姿の春奈は、まるでスクリーンから飛び出してきたオードリー・ヘップバーンのように輝いていた。二人とも眩しいくらい美しく目立っていた。
「ゴメンナサイ!巳月さん。コンニチハ」