十七歳の碧い夏、その扉をひらく時 <第二章>
急に背後から男の低い声がした。ドアが開き、西園寺が心配そうな顔を覗かせている。
「おっ、悠君じゃないか。元気にしていたかい?」
西園寺が俺に向かって右手を上げた。フレンドリーに振舞っているつもりだろうが、かえって軽々しい。知り合って間もないのに母さんにプロポーズをするなんて……。コイツの魂胆は何なんだ? 後ろから殴ってやりたい衝動を抑えながら、西園寺の背中を睨みつけた。
「菜々子と話しているのか? パパに代わりなさい」
西園寺は小夜子の手から携帯をそっと取り、「もしもし、菜々子か?」と低い声で話し始めた。その途端、恐らく電話が切れたのだろう。西園寺は少し困惑したような顔を浮かべたまま「すまんな」と言い残し、部屋を出て行った。
「あの」
俺も数歩遅れて螺旋階段を下り、西園寺の背中に向かって声を発した。
「なんだね?」
「本気で結婚するつもりじゃありませんよね」
「あぁ、そのことか」
「まだそんなに母のこと知らないですよね」
「たしかに君の言う通りだ。僕たちは知りあって間もない。本気じゃないと思われるのも無理ないな」
「俺は反対ですから」
「そうか。じゃあ理由を聞かせてもらえるかな」
西園寺はにこやかな表情のまま言った。
「自分の頭で考えたらどうです?」
「僕に嫉妬してるんだろう。お母さんを独り占めしたいのに取られて悔しいのかな」
ニヤっと笑った西園寺の顔が俺の怒りに火を注いだ。
「恋愛にうつつ抜かしてる場合じゃねぇだろ。まず自分の娘をどうにかしろよ。プロポーズの前にもっとすることあんだろ。母親が死んだのは菜々子のせいなのかよ」
「片桐君!」
小夜子が螺旋階段の途中で足を止め、恐怖に凍りついたような顔で俺の名前を叫んだ。
「小夜子、お前が言ったのか」
「ママの話になったものだから……」
「なんでお前はペラペラと他人にうちの事を話すんだ」
「おい、人の親に結婚申し込んどいて他人ってことはねぇだろ」
「片桐君、もういいんです。ごめんなさい」
小夜子は今にも泣き出しそうな顔をしてサツキを呼んだ。そしてサツキに促されるまま、俺は西園寺家の門を後にした。
俺は自分の行動が理解できなかった。以前の自分ならあんなに怒鳴ることもなかったろうに。何に対しても無関心がポリシーだったし、他人との関わりはなるべく避けてきた。人間なんて嘘と見栄で塗り固められた下らないものでしかないからだ。それなのに西園寺家の問題に自分から首を突っ込むなんて俺はバカだ。大バカだ。あんな家、あのまま放置しておけば良かったんだ。西園寺家がどうなろうと俺には関係ない。
家に着くと、母さんが玄関まで走ってきた。座って靴ひもをほどく俺の頭を、母さんが後ろからそっと撫でる。
「ごめんね。お母さんには悠ちゃんだけよ」
「俺は反対だから。あの男もきっとまた傷つけるんだ。母さんを捨てるに決まってるんだから」
「わかってる。悠ちゃん、わかってるわ」
<第三章につづく>
作品名:十七歳の碧い夏、その扉をひらく時 <第二章> 作家名:朝木いろは