青は藍より出でて、藍より青し(後編)
そうだ。丈ノ進は心栄えの立派な侍であるからこそ、縁の無い亜衣を預かってくれたのだ。そんな彼にいかがわしい疑いを抱く事こそ失礼極まりない。
己の浅慮を反省する亜衣をじろりと一睨みした丈ノ進は不機嫌そうな表情を変えもせず、事の詳細を問い質した。
「して、次郎吉は姫になんと言った?奴が言った事、洗いざらい申せ。」
「それは・・・その・・・今朝のような事があったからと言って、丈ノ進さまを拒絶する事のないように、と諭されました。」
亜衣はよほど恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして、もじもじと着物の裾を弄りながら明かし始めた。
「丈ノ進さまはお優しいので、私が嫌と申せば、それ以上は手出しせぬだろうが、新婚の亭主が女房を抱けず、悶々とした夜を過ごすのは可哀相だから、いっそ今夜は思い切って、私の方から閨へ誘って差し上げてはどうか、と・・・」
「ほう・・・」
「その方が、私も嫌な事を早く忘れられるはずだから・・・その・・・今夜はたっぷり可愛がってもらいなさいよ、と・・・」
言いながら、ますます羞恥心がこみ上げてきたのか、亜衣はうなじまで真っ赤にしてうなだれてしまう。
男女の事も未だはっきりとはわかっていない初心な未通娘には少しあからさま過ぎる内容だったようだ。
・・・あいつめ。余計な事を吹き込んで・・・
丈ノ進は忌々しげに奥歯をギリギリと噛み締めた。
何故、次郎吉が忠告を装って、亜衣が丈ノ進に抱かれるように促したのかは分からない。
未だ清い仲の二人に気づき、からかったのだろうか?そんなことをしても、次郎吉には何の益も無いのに。
次郎吉の思惑がさっぱり読めなかったが、しかし、口に出しては、「まぁ、次郎吉は、次郎吉なりに、そなたの事を案じたのであろう。大分見当外れではあるがな。」、と当たり障りの無い事を言っておいた。
丈ノ進は苦りきった顔のまま、深く大きな吐息を漏らした。
「あのな、それがしは別に苛立っているわけでは無い。」
「はい。」
「ただ、夫婦など、それがしにも初めてのことゆえ、どのように振舞えばいいのやら困惑していたのは事実だ。今後、それがしの言葉がきつくなる事もあるだろうが、それはひとえに夫として見えるように振舞うための所業と心得てもらって構わん。いちいち気に病むな。」
「はい、承知いたしました。」
素直な亜衣は、丈ノ進の言葉を一寸たりとも疑わず、神妙な顔で頷いた。
「ここで暮らす間は、妙な男が近づかぬよう、それがしもより一層気をつける。」
「はい。」
「姫が男を知るのは、真実に嫁にいってからで十分だろう。今はこの九尺店に馴染むための女房修行に励むだけでいい・・・あぁ、そうだ、まずは飯の炊き具合だな。毎日の事ゆえ、それがしもそろそろ普通のを食いたい。」
「はい。精一杯努めまする。」
最後は丈ノ進が茶化した風に言ったので、亜衣もここまで張り詰めていたものが一気に氷解したのか、ほっと顔をほころばせた。
・・・まるで花が咲いたようだな。
屈託なく笑う亜衣の表情は可憐で、愛らしく、そんなものを見せられれば、男としてはついその体に手を伸ばしたくなるではないか。
折角の好機を自らの手でひねり潰した後だけに、己の中に燻り続ける邪(よこしま)な想いには失笑を覚えた。
・・・俺も馬鹿だな。
虚勢を張って、手出ししない、と本人に宣言した直後からこれだ。
ほんの一瞬だったが、一線を越えるつもりになっていただけに、のぼせた頭を冷やすには手間がかかりそうだ。
次郎吉は本当に余計なマネをしてくれたものだ、と心底恨めしく思えてくる。
今でもほんのりと残っている亜衣の肌のぬくもりを抉り取るように、丈ノ進は着物の上から二の腕に深く爪を立てた。
作品名:青は藍より出でて、藍より青し(後編) 作家名:のこ