青は藍より出でて、藍より青し(前編)
「しゃあねぇ。それじゃあ、恨みっこなしのくじ引きだ。ちょっと待ってろ。」
安蔵は主犯格とはいえ、3人の間にそこまでの上下関係があるわけではない。腕っぷしが若干上なだけなのである。
そのため、くじになりそうなねこじゃらしを探している間、他の二人が抜け駆けしないように、安蔵はご丁寧に亜衣の着物をきちんと襟元まで閉めてやった。あまりに扇情的な格好をさせたままで置いておくと、この二人は安蔵の言いつけなどすっかり忘れて、我先にと欲望剥き出しの牙を彼女の柔肌に突き立てるに違いなかったのである。
「しかし、ここらじゃ見かけねぇ顔だな。」
安蔵を待っている間、手元を押さえている男がしげしげと亜衣を見つめた。
先ほどから亜衣の手を触っていて、妙な違和感を覚えている。
黒の半襟をつけた茜色の粗末な着物で、身なりは間違いなく長屋暮らしの町衆の女なのだが、その手が柔らかすぎるのだ。
町中に住む女なら、水仕事をしているから若い娘であっても大概が荒れた手をしているのに、彼女は滑らかでふくよかな掌をしている。
「・・・ん?もしかして、こいつは最近嫁にきたっていう・・・」
記憶を捻り出すように首をひねっていた男は、思い当たる節があったらしく、突然、うわっ、と悲鳴をあげて亜衣の体から離れた。
なぜ今まで気がつかなかったのだろう。町娘らしからぬ体つきの色白の若くて美しい女、といえばこの界隈でただ一人しかいないではないか。
「あぁ?お前ぇ、こいつを知ってるのか?」
ねこじゃらしを探すのに気を取られ、暢気な口ぶりで応じた安蔵の言葉に震えた声が重なる。
「ま、まずい。逃げよう。あの亭主にみつかったら俺たちゃタダじゃ済まされねぇ。」
「え?!」
「どんな奴なんだ?」
「少し前にこの辺で強盗騒ぎがあっただろ。女子供でも容赦しねぇでぶっ殺すような連中だ。その時、町方に追われて長屋に逃げ込んできた残党を3人、その亭主が一人であっという間に斬り捨てたって話だ。」
「そ、そんなに強いのか?!」
「手習いの師匠なんてやってる浪人のくせに、普段も剣ばっかり振り回してるらしいぞ。そういえば、なんとかっていう剣の免状も持っているとかいないとか・・・」
「ひえええっ。」
男の怯えは年若の男にまで一気に伝染した。これまで亜衣の足を抑えながらも、待ちきれないようにちらちらとその裾をめくっていたくせに、突然何もかもをなかった事にするかのごとく、ぱっとその手を離し立ち上がった。
男たちはこの近所の地回りだったが、賭博場で下足番をやっているような下っ端でしかなく、それ故、凄腕の浪人を相手になどできるはずも無いのだ。
「なんでぃ、みっともねぇな。臆病風になんぞ吹かれやがって。」
ようやくねこじゃらしを3本見つけて戻ってきた安蔵は、先ほどまでの興奮はどこへやら、今はただただ逃げ腰になっている仲間に呆れ返っていた。
「でも命あってのものだねだぜ。」
「俺たちのせいだってばれたら、そんな腕の立つ浪人なら見過ごすはずはねぇ。仕返しに殺されちまうぜ、きっと。」
「お前らなぁ・・・」
安蔵は、急に手かせ足かせがなくなったのをいい事に、とにかく逃げだそうと男たちの間をこっそりと這い出していた亜衣の襟首をぐいっと掴んで引き戻した。
「っ!!」
「おいおい、まだ用は済んでねぇよ、お嬢ちゃん。いや、ご新造さんなのか。まぁ、どっちでもいいけどよ。」
安蔵はもがく亜衣を無理やり抱きかかえると、自分の着物の帯を解いてその細い手首を後ろに縛りあげ始めた。
すっかり腰の引けた二人は女を押さえつけるには、もう当てにならないのである。
「なぁ、お前ぇら、俺様を誰だと思っていやがる。紅辰のヤスっていやぁ、泣く子も黙る凄腕よ。袋の鼠の盗人を殺したくれぇでいい気になってるような素浪人風情に遅れなんかとるもんかい。」
「けどよぉ・・・」
「あぁ?なら、どうするんでぃ。こんないい女を放っぽり出して、このまま尻尾を巻いて逃げるってのか?お前ぇらの股間にぶら下がってる立派なもんはお飾りかい。」
「う・・・」
安蔵に揶揄された二人は困惑げに顔を見合わせる。
彼のいうとおり、女の魅力は格別である。今を逃せば、これほどの女、二度と触れることも出来ないかもしれない。
こんな話をしながらも、亜衣を縛り終えた安蔵の手は、そのまま彼女の裾に滑り込んでいる。恐怖で身を震わせながらも亜衣は膝をきっちりとあわせて、必死で男の侵入に抗っているが、安蔵はむしろそれを楽しんでいるようだ。
「なんだよ、いつも亭主とよろしくやってるんだろ。へへへ、そんな初めてみてぇな顔してねぇでもっとよがってみろよ。」
「・・・っ!!」
縛られた女を弄ぶさまを見せ付けられ、男たちは体の芯からこみ上げてくる仄暗い欲望に身震いした。
「・・・そうだよな。何か面倒になったら、親分に泣きつけばいいか。」
「親分も腕は確かだもんな。浪人の一人くれぇならなんとか・・・」
二人は目を見合わせ、互いを安堵させるように頷きあった。
しかし、彼らはこのすぐ後に、この時決断し切れなかった己を悔いる羽目になる。
二人が再び腰を落として戻ろうとしたその時だった。
背の高い雑草を踏みつけ、乗り込んできた長身の男がいきなり木刀を一閃させたのだ。
「ぐわっ!」
一番若かった男が振り向きざま袈裟懸けに鋭い一撃を受け、短い悲鳴と共にそのまま仰向けにばったりと倒れた。
「うわっ!」
突然の闖入者に、残り二人の男は亜衣を放り出し、文字通り飛び上がった。
「ううぅ・・・」
木刀で撃たれた男は、あばらでも折れたのか、転がったまま息をするたびに苦しげに呻いている。
しかし木刀を構えた男はそんなものには目もくれず、残った二人に低い声で誰何する。
「・・・貴様ら、何者だ?誰に命じられた?」
丈ノ進だった。
ここまで全力で駆けて来たせい、というよりは、気の高ぶりを抑えきれないらしく、肩を揺らすように息をついている。
亜衣が後ろ手に縛られ、口も細紐で封じられているのを目の当たりにし、その鋭い切れ長の目は今にも二人の喉笛に噛みつかんばかりに殺気立っているのだ。
それでも丈ノ進は二人を探るように、木刀を八相に構えたまま二の太刀を振るってこないので、安蔵は腰が引けたままながら問い返す。
「な、なんでぃ、お前ぇは?!」
「・・・そいつの亭主だ。」
丈ノ進が、一拍の間をおいて渋い顔で返答すると、「や、やっぱりぃ・・・」、と安蔵の傍らで一番年かさの男が腰から砕けるようにへなへなと尻餅をついた。
「びびるな。俺を何様だと思ってやがる。紅辰のヤスって言やぁ泣く子も黙る凄腕だぁ!」
安蔵は自分自身を叱咤するような、それでも恐怖心を拭いきれていない妙に甲高い声を上げた。そして、前のはだけた着物の懐へと手を伸ばした。丸見えになっている下帯には匕首を挟んである。丈ノ進の握っているのが刃の無い木刀であった為、まだ抗う術はあると踏んだのだ。
しかし丈ノ進は一気に踏み込み、安蔵が匕首を抜いて構えた瞬間の手首を力任せに撃ちつけた。
「ぐへっ!」
骨の砕ける嫌な音がし、匕首を取り落とした安蔵が苦痛に顔を歪める。
「紅辰?知らんな。」
もはや剣を使うほどでもない、と踏んだ丈ノ進は、手首を押さえて悲鳴を上げる安蔵を忌々しげに蹴り飛ばす。
作品名:青は藍より出でて、藍より青し(前編) 作家名:のこ