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青は藍より出でて、藍より青し(前編)

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そして、逃げる事もできずに身を竦ませていた最後の一人へと目を向けた。切れ長の涼しい目元にはまだまだ拭いきれない憤怒が灯っている。
「ひ、ひぃぃっ!!」
「もう一度聞く。これは誰に頼まれての狼藉だ?」
丈ノ進が木刀の先端を男の喉元に突きつけると、歯の根も合わぬほどガタガタと震えた男は、それでも己の命をつなぐ為、必死で喉の奥から声をつむぎだした。
「た、頼まれた訳じゃねぇ。俺たちゃただの地回りの下っ端だ。こいつはほんの・・・ほんの出来心で・・・」
「・・・・」
「で、で、でも、まだ何もしてねぇんだ。ほら、この通り・・・」
男は今にも泣きそうな顔で草むらに転がっている亜衣を指し示した。
確かに、縛られてはいるが、亜衣の着衣に目立った乱れは無い。丈ノ進は男たちの方も見回した。安蔵だけ着物の前がはだけているが、股間から無様にさらけ出されるものはない。
「あんたのご新造さんが、あんまりにも綺麗だったから、つい・・・でも、もう2度としねぇ。だ、だから命だけは・・・」
・・・手篭めにしようとしただけか。
震える手を擦り合わせての懇願に、丈ノ進は全身に込めていた殺気をふっと解いた。
この界隈を縄張りにしている地回りの事はよく知らないが、どうやらこの3人は本当に下っ端で、深い考えも裏も、何も無い連中のようだった。
「・・・行け。」
「へいっ!」
命じられ、丈ノ進の気が変わらぬうちに、とばかりに男は慌てて身を翻した。その丸めた背に丈ノ進が低い声で言い放つ。
「仲間を忘れているぞ。」
「へいっ!!失礼しやしたっ!!」
男は安蔵を助けおこし、まだ呻いている若い男の肩を担ぐと、転ぶような足取りで立ち去っていった。
「・・・下衆が。」
男たちの背中を忌々しげな舌打ちと共に見送ると、丈ノ進は片膝をつき、未だ草むらの中に転がっている亜衣を助け起こした。恐怖で身が強張り自力で起き上がる事もままならないのだ。
上半身を抱き起こすと手と口を塞いでいた戒めをすぐさま解いてやる。
「・・・大事、無いか?」
その顔を覗き込むように見やると、すでに涙を溢れさせていた亜衣は声も上げられぬまま丈ノ進の胸にしがみついてきた。
「う・・・うぅ・・・」
じわじわと心に広がる安堵と未だ拭えぬ恐怖を訴えるように、亜衣は丈ノ進の体に爪を立てる。その細い体のどこにそんな力があるのかと驚かされるほど強く指を食い込ませるから、丈ノ進の胸にも無事だった安堵と愛しさがじわりとこみ上げ、小刻みに震えるその体を反射的に抱きしめていた。
「お師匠、そんなに格好いいと、またご新造さんが惚れこんじまうよ。」
不意に、子供の笑い声が背後から響いた。
背の高い草を踏み分けて半太がこちらへ近づいてくる。その後ろには次郎吉までいた。
「こ、こら!見世物じゃない。あっちへ行け!」
途端に顔を真っ赤にした丈ノ進が叫んだが、教え子は師匠の言葉に聞く耳を持たなかった。
抱き合う二人の周囲を冷やかすようにニヤニヤ笑いながら周ってみせる。
「なぁなぁ、初めて増上寺で会ったときもこうだったのかい?『お助けいただいてありがとうございます。是非お名前を教えてくださいまし。』『名乗るほどの者ではない。』『ですが、お礼を差し上げたいのです。』『礼などいらぬ。欲しいのは・・・そなただ。』」
「黙れっ!!」
耳にたこが出来るほど聞かされている木っ恥ずかしい馴れ初め話を再現され、丈ノ進は頭ごなしに叱り付けたが、半太はすでに腹を抱えて笑い転げている。
長屋の女房連中に迫られ、亜衣がつい漏らしたその会話は、丈ノ進にとって、できる事なら闇に葬りたい恥辱でしかない。しかし、だからこそ、教え子たちはここ数日、事あるごとに師匠の口真似をしてからかってくるのだ。
次郎吉もにやにやと口元に笑いを浮かべながら、丈ノ進の佩刀を差し出した。木刀一本で駆けて行ったのを心配して家の中から持ってきてくれたらしい。
「念のためお持ちしたんですが、必要なかったみたいでやすね。」
「・・・・」
「おいらが鈴虫を捕まえに来ていてよかったね。感謝してよ。」
「・・・そうだな。」
確かに半太が虫取りに来ていて、偶然この神社に居合わせてくれなければ、今頃亜衣は言葉に出来ぬほどのひどい目に合わされていただろう。しかし、子供にこれだけ好き放題にからかわれると素直に礼を言う気にもなれない。
丈ノ進は受け取った刀を腰に差しながら、無理やり立ち上がった。そして、それでも尚、胸にかじりついてくる亜衣へ怒ったような目を向けた。
「お前も武家の女だろう。これしきの事でいちいち騒ぐんじゃない。」
丈ノ進はとにかく亜衣の体を引き剥がそうと試みたが、怯えきっている彼女はむしろ離されまいと爪に力を込めるからどうしようもない。
それに、立ち上がってから気づいたのだが、用水路に落ちたときに濡れた着物がぴったりと貼りつき、亜衣の娘らしい丸みをおびた体の線が腰の辺りに浮き出ている。
「う・・・」
見なくていいものを見てしまった丈ノ進は赤面の度合いを増し、若干ムキになって亜衣の肩を押してみるが、それも傍からは、新婚さんがじゃれているようにしか見えず、亜衣が襲われた理由をいまいち理解しきっていない半太の笑いを誘うだけだった。
「うわーい、みんなにも教えてやろっ!お師匠が悪い奴らをばっさばっさとぶった斬って、そんでもって、助け出したご新造さんをぎゅー、ってやってたってさ!!」
「半太っ!!」
「へへへ。旦那、そろそろ人通りも増えやすぜ。お熱いのは程ほどに。」
「うるさいっ!」
「そいじゃ、あっしらはお邪魔のようですからお先に。」
笑いながら二人は去っていく。心配している長屋のお連たちにも早く亜衣の無事を伝えてやらねばならないのだ。
「全く、あいつらときたら・・・」
忌々しげに漏らす丈ノ進は、二人の姿が背の高い草かげの向こうに消えるのを合図に、ふうっと肩の力を抜いた。
・・・とにかく、かどわかしでなくてよかった。
てっきり、亜衣をつけ狙う連中の仕業かと思ったが、ただの女癖が悪いチンピラだったようだ。
丈ノ進は、引き剥がす事は諦め、代わりに、まだ震えている亜衣の頭を、少しためらいつつもなだめるように撫でてやった。
「あいつらはただの地回りだ。お前がフラフラと歩いているから妙な気を起こしたのだろう。」
「・・・・」
「もう2度と襲ってこないから、案ずるな。」
亜衣は未だ言葉も出せぬようだったが、丈ノ進の言葉に応じるべく、小さく頷いた。
膝に力が入らず、自分の体すら支えられないものだから、今は全体重を丈ノ進の胸に預けてきている。
自分を頼り切ったそのしぐさが可愛くないはずは無い。
こうやって亜衣を抱きしめるのは初めてだった。小柄な彼女を胸の内に抱きしめると、その肩幅の小ささや、柔らかな温もりを改めて実感させられる。
・・・これで何か想うな、という方が間違っているのではなかろうか。
丈ノ進は、参ったな、としきりに唇を噛み、苦りきった嘆息を虚空に向けてそっと吐き出した。
今日は曇りの一日らしく、分厚い雲が空を覆っていたが、その雲の合間から朝日が差し込み、寄り添ったままの二人を柔らかい日差しで包む。
初秋の爽やかな風が背の高い草を揺らしてそっと吹き抜けていった。