プリンス・プレタポルテ
17.グレゴリオ
デスクの上に乗せられていた手紙の束を引き寄せ、右手でペーパーナイフを探す。徐にひっくり返して差出人の名を眼にした途端、グレゴリオの眉はいつも通り顰められた。アメリカにいたときから、しつこく手紙をよこす小さな映画配給会社の長い名前が、癖のある字で綴られている。返事を出さない自分も悪いが、余りにもしつこい。そのまま屑篭へ放り込もうとしたが、手を動かそうとする前に反対側の指が象牙の柄のナイフを探り当てる。冷たくすべりの良い象牙から覗く、銀色の刃を明かりに翳した。先端に残る微かな曇りが、ついた血を無理やり拭い取った跡のように見えた。けれど、ペーパーナイフで人は殺せない。少なくとも今の自分には。
渋々と彼は椅子に腰を落としなおし、勢いよく封を切る。タイプされた味気ない手紙は、日に日に丁寧さを増している。こんなところの住所まで調べ上げて手紙を送りつける位だから、その熱意も並大抵のものではない。だが、幾らその文面が礼を尽くしたものであったとしても、紙の嵩が増えるたび、グレゴリオの自尊心は確実に傷つけられていった。
三ヶ月前、グレゴリオは55の誕生日を迎えた。スターとしての絶頂はとうの昔に過ぎ去り、今は趣味程度の仕事しか入ってこない。
『俺との付き合いがなければ、お前は今でも場末のダンサーさ』
シーゲルが悪戯っぽく笑いながら口にしたとき、グレゴリオはただ静かに微笑むことしか出来なかったが、今ならば返す皮肉は幾らでも思いつく。
『お前との付き合いがなけりゃ、もう少し長い間仕事をやってられたはずだがな』
幼馴染の面影は若々しい壮年のまま変わることがなく、白く染まった髪と深い皺の中で幾らグレゴリオが口にしようとも、到底覇気として勝るものではなかった。シーゲルのセンセーショナルな死が新聞の第一面を飾った次の日には、早くもタブロイド紙に稀代のギャングスターへ多額の資金を投資していた「相棒」グレゴリオの顔写真が大きく載せられていた。夢の国から持ち出された瞬間すえた匂いを放つ現実が、グレゴリオの栄光を凌駕したのは、スクリーンの中で一つの人生が終わるよりも短い時間だった。
作品名:プリンス・プレタポルテ 作家名:セールス・マン