小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
セールス・マン
セールス・マン
novelistID. 165
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

プリンス・プレタポルテ

INDEX|67ページ/82ページ|

次のページ前のページ
 

 焦点の合わない目なのに閉じることすら出来ず、彼女はひたすら無感動に自らの命が風に揺れ続けているのを感じていた。空腹も、喉の渇きも、明らかに身体は警鐘を鳴らしているはずなのに、察知できない。そういえば、今朝蛇口を捻ったら、水が出なかった。ボーイの訪れなんかに舞い上がった罰かもしれない、と、沈み錯綜していた意識も、今はすっかり沈静化して水底のように大人しい。
 瞬きすることすら放棄しがちになり、痛くなるほど乾いた眼の奥で、ベアトリスはアーネストがポケットからエンゲージリングを取り出す姿ばかりを何度も何度も映し出していた。イギリスの男は、跪いて愛を誓う。アーネスト自身、何度も映画でやったみせた。けれど、現実に、彼女の前で、アーネストはその長い脚を折る。いつも美女に送る爽やかな笑顔ではなく、とてつもなく真剣な表情で。
 彼女は愛されている。少なくとも今のところは、世界中のどんな美女よりも、アーネストの視界の中心にいる。そう信じていた。勿論ベアトリスも、彼を愛している。それは事実だということは分かっていたが、この数日余りにも同じ台詞を繰り返し続けたせいか、感情は痺れ、言葉を出すのは退屈で、むしろ鈍い痛みすら覚えている。
 愛を誓うアーネストの姿は、時には騎兵隊、時には緑色のロビンフッド、また普段の彼の格好のときもあるが、台詞は似たようなものばかり、甘い台詞で、ただし具体的な言葉は思いつかない。
 フィルムを繋ぎ合わせたかのように、同じシーンばかりが頭を巡る。そして、それに反応することもできない。時間の感覚もなく、興味も持てずに、腹の底に重く響く破裂音で、またひとつ命が消えたことを悟るだけだった。シーツを握り締めようとした手も、余りの浮腫みに指が曲がらない。
 部屋の中にあるものは何一つ動かない。外の景色ばかりが、明らかな崩壊の序曲を奏でている。その調べがこれ以上大きくなったときとは、彼女の命が絶える瞬間である。しかし、そのことすらも霧の向こうの出来事のように、現実感がなかった。ハバナに来たときから、アーネストと出会ったときから、ロサンゼルスにやってきたときから、自分が現実の中にいるのかどうかさえ、彼女は分からない。夢なのかもしれないと思ったことは数え切れない。だが、夢にしては余りにも生臭い。