プリンス・プレタポルテ
11.グレゴリオ
「そっちはどうだ」
「何をのんきな。おまえこそ大丈夫か」
若い頃、集金の度に女のところへ入り浸ろうとするベンジャミンやグレゴリオを叱責したのと同じ口調で、57歳のマイヤーは55歳のグレゴリオを詰る。
「ああ」
「建物はどうだ。もし損傷してたら、こっちから業者をよこさにゃならん。そっちの連中は信用できんからな」
「今調べさせてるが、幸い今のところ流れ弾すら当たってない」
「そりゃ良かった」
話しだしてから初めて、彼は深々と息を吐いた。
「問題があったら、何でも言ってくれ」
「特には」
2回まわってからテーブルの上に落ちたスロットのコインが、派手な刻印に負けず劣らず大仰な音を鳴らした。思わず顔を顰め、大きな銀貨を掌で覆う。指の動きは鈍い。確かに、これほど皺が寄っていれば致し方あるまい。
「ハイヤーのフロントガラスが砕けた以外は」
かさついた手を見下ろし、グレゴリオは言葉を付け足す。
「気にするな、あれは売りに出すところだった」
「安心した」
「客も無事なんだな」
「みんな機嫌よくダイスを振ってるよ」
「向かいのパライゾからフィリックス・サッキーニでも呼べばいい」
受話器越しに聞こえる咳は痛いほど鋭く鼓膜を震わせる。
「風邪か?」
「いや。ただ最近膝が痛む。リウマチだそうだ」
マイヤーはことさら明るく返した。
「今年のニューヨークは冷えるぞ」
衝撃を抑えきれず、グレゴリオは綺麗なニス掛けの上でコインを指で滑らせた。自覚だけでなく、周りの景観にすらも急かされる。
ニューヨークの寒さなら嫌というほど知っている。昼でも薄暗いリトル・イタリーは、4月の頭までコートとマフラーを手放すことが出来なかった。擦り切れた親戚のお古の上着から脱却し、女に買わせたカシミアの中に埋まる心地よさと優越感、そして、小さな劣等感。幾らマフラーをきつく巻いても、車からクラブまでの僅かな距離だけで、鼻の頭が痺れるほどの寒気。ロサンゼルスや、ましてやこのハバナでは考えられないほどの寒さのニューヨークで、マイヤーは独り書斎に座っているのだろう。グレゴリオには、考えるだけでも耐えられなかった。
「何にせよ、気をつけろよ」
光る貨幣が通った後を細かい引っかき傷が続き、小さく後悔する。
「珍しく殊勝だな。もうすぐミサイルでも飛んでくるんじゃないか」
「まさか」
作品名:プリンス・プレタポルテ 作家名:セールス・マン