プリンス・プレタポルテ
黙々と作業を進めている割には、いつもよりずっと動きが遅く、手つきもじれったいほど丁寧だった。気遣われているのだろうか。アメリカと違い、アーネスト・ファウラーの愛人―彼の妻はまだ離婚届に判を押していなかったから―という呼び名で気分を害することはなかったが、少女が一人で滞在している姿は、ロビーを覗いても他には見えなかった。ここはハバナでもかなりランクの高いホテルで、宿泊客の姿形もそれにふさわしい整ったものばかり。正直はじめの頃、ベアトリスは身につけた服の子供っぽさに赤面し、アーネストが慰めてくれるまで部屋から出るのも憚られたほどだった。
恐ろしくて到底開ける気にならないカーテンの向こうで建物が崩れ落ち、窓ガラスがびりびりと音を立てて震える。テレビでやっている戦争映画と同じものが繰り広げられているのだ。彼女は銃声が響くようになって以来一度たりとも窓辺には近づかない。これはアーネストの忠告であったし、何よりも、考えるだけで背筋が凍ってしまう。
「静かね。ホテルの中は」
だから、出来るだけ窓際を見ないようにするため、背凭れに枝垂れかかり、よく動く青年の肩に集中している。初めて会ったときはプレスされていたブレザーも、今では余裕もないのかよれて皺になっていた。戦争なんて、何一つ綺麗ではない。眼に映るもの全てが日に日に汚くなっていく様は、彼女には耐えられるものではなかった。
「みんな部屋の中に閉じこもって、退屈してるでしょうね」
捲れたネグリジェの裾から覗く脚は、案の定うっすらと痣が出来ている。子供のような青さが恥ずかしくなり、乱暴に薄い布を引っ張った。
「階のロビーにいらっしゃる方もおられますよ」
カバーを勢いよく枕から引き剥がし青年は答えた。
「そうなの」
「ええ、9時前にもなると一階のラウンジは紳士の皆様で混み合います」
「朝からお酒なんて」
言ってからミネラルウォーターの隣に並ぶウイスキーを思い出し、頬を赤らめる。彼女はウイスキーなどとても飲めなかったが、アーネストは外を歩くときも、決してスキットルを手放さなかった。嫌われるのが怖くて、控えたほうがいいとはとてもじゃないが口に出来なかったが。けれど、傍を離れるたびに目で分かるほどの速度で減っていくボトルを見るたび、ベアトリスは針を飲み込まされたような気分にならざるを得なかった。
作品名:プリンス・プレタポルテ 作家名:セールス・マン