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海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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 三崎町は人口3万人の漁港の街だ。健三は漁港を囲む堤防で仕事をしていた。花火大会は明日の夕方8時に始まる。炎天下のコンクリートの上に鉄パイプで土台を組み、そこにステンレスの打ち上げ筒を頑丈にセットしていた。汗は顎の先からサウナのようにしたたり落ちてくる。携帯電話が鳴った。中井からだった。
「健さん、お客さんが来てますよ。井田さんという女の方。どうしましょうか」
 健三はきっと一博と美香のことでだろうと思った。この忙しい時にそんな話などしたくない。
「夕方まで手が離せないから、7時半にまた来てくれと言ってくれ」と健三は言った。
健三のいる場所は港から100mほど離れた、浮島のような堤防だった。加奈子と会うには、わざわざ小舟で海上を移動しなくてはならない。それに、そんな話より仕事の方がましだった。


 夏の夜は遅くにやって来る。8時近くになってもまだ明るさがあった。健三は小さなエンジンが付いたテンダーから降りると中井達がいるトラックにやってきた。
「あれ、井田さんは?」健三が中井に聞いた。
「時間があるのでホテルで待ってるそうです」
「どこのホテルだ」
「うちらが泊まってるホテルですけど・・」
 健三は教えたのかという顔をして、中井を見た。
「よし、明日の朝は8時に集合だ。解散。お疲れ様」健三は汗で湿った作業服を脱ぐとシャツに着替えた。それから近くにある加奈子が待つホテルに向かって歩いた。
 
 フロントに着くと加奈子から伝言があった。「電話ください」と。それから携帯電話番号が書いてあった。健三は先に風呂に入ろうか迷ったが、かけることにした
「もしもし」久しぶりの加奈子の声だった。
「あっ、俺、有田だけど」
「健ちゃん?仕事終わった?」
「ああ、もう帰ったのか」
「ううん、いい所だから泊まることにした。明日の花火も見て行こうかと思って」
「家には帰らなくていいのか?」
「あっ、れっ・・・知らなかったっけ。もう離婚したんだ」
 籍は抜いてなかったが加奈子はそう言った。
「離婚?・・・・」
「そう、おたくの美香さんといい事になったから、別れた」
「・・・・・」
「もう、ご飯食べた?」
「いや、まだだ」
「一緒に食べようか?今フロント?」
「ああ」
「じゃ、降りてくる」
 加奈子の電話はそこで切れた。降りてくるってここに泊まってるんだ、あいつ。
 健三はフロントに井田という女性が来たら10分だけ待ってくれと伝言を頼んだ。どうも汗臭くていけない。健三は自分の部屋に帰ると急いでシャワーを浴び、また1階のフロントに戻った。
 
 加奈子はそう大きくない待合室のソファーに座って待っていた。白いワンピースは清楚に見えるのだが、胸元が大きく開いて、はじけるような肉の谷間が見えていた。健三は加奈子はこんなに胸が大きかったのかと少し驚き、嫌がおうもなく目に飛び込んでくる谷間に少し恥ずかしくなった。

「待ってたのよ。今日一日待ちっぱなし。忙しいみたいね」
 加奈子が言った。
「なんで来たんだよ〜」
「相談、相談・・・ねぇ〜飲みに行こう。居酒屋でいいからさ。暑いから生ビール」
「・・・・」健三は加奈子に押し出されるようにホテルを出た。
 海沿いの道路を歩くと、白い船が横並びにずらりと着岸していた。湿気を含んだ風は内陸部の風より涼しく気持ちがよかった。ホテルから300mほど歩くと営業中の文字が書いてある赤い提灯が見えた。
 健三は加奈子の横で何も言わずついてきた。何の話を切り出して来るんだろう・・健三はあまり聞きたくない話を聞かなければならないのかと少し憂鬱だった。

 店の中はまあまあのお客の入りだった。壁には大漁旗や墨書きのメニューが所狭しと張ってある。若い店員に通されたテーブルは分厚い木で作られた民芸風のテーブルだった。
 加奈子は生でいいよねと言うと健三の返事も聞かず注文した。そして冷たく冷えた生のジョッキは待たされずにすぐに来た。
「かんぱ〜い。えっと・・離婚にかんぱ〜い」と小さな声で言いながら加奈子は健三のジョッキに自分のジョッキをぶつけてきた。
「・・・・・うれしいみたいだな・・・」
 健三はビールを一口飲むと言った。
「うん、とっても・・」
「なんで?・・離婚したかったのか」
「別に・・・ただ、ああなったら、離婚するしかないじゃない。健三は?」
 加奈子は健三が美香に書いた離婚届を知ってるくせに聞いてきた。
「・・・・」
「どこまで知ってるの?」加奈子は健三の顔を覗き込むように聞いた。
「・・・・」押し黙る健三。
「聞きたい?」
「・・・・」
 ちょうど店員が食べ物の注文を取りに来た。健三はとりあえず魚料理を3品ほど頼んだ。
「なんで、ここに来たんだ」健三が加奈子に聞いた。
「う〜〜ん、気分転換。健ちゃんの花火が見たくなって来た」
「・・・・本当は?」
「・・・・誘惑しに来た・・」ペロッと舌を出す加奈子。
「へっ?ゆ〜わくぅ〜・・・」
 健三は思いがけない言葉に大きな声を出してしまった。そして、その言葉と同時に視線が加奈子の胸に行った。

「なんで俺がお前に誘惑されなきゃいけないんだ・・・」
 胸騒ぎじゃないがいきなりの言葉に少し心臓がドキドキした。
「健ちゃん寂しくない・・・?」
 加奈子ははにかんだような顔で健三に言った。
「別に。・・なんだそれは・・捨てられたもん同士、仲良くなろうってことか・・」
「そんな言い方ないじゃない。ただ聞いただけよ」
「・・・・・」
 健三も加奈子も目の前のジョッキに手をやると、相撲の仕切りのように、お互いの動作に合わせて飲んだ。ジョッキの底が天井を向くほどビールを飲んだ。
「フゥー」加奈子は飲み干したジョッキを持ち上げると店員を探し
「もう1杯!」と言った。
 すかさず健三も
「もう1杯!」と同じようにジョッキを持ち上げて言った。
「健ちゃん・・・明日の花火はどれくらい上がるの」
「5000発だ」
「ふぇ〜、凄い。準備大変だね」
「ああ」
「真下から見れるかな」
「だめだ。危ない」
「・・・そんな危ない所で仕事してんだ」
「好きだからな」
「女より好きなんでしょ・・」
「・・・」健三は加奈子の顔を見た。
 何を言いたいんだ・・・健三は何か美香といろいろ話したのかなと思った。
「美香にあったのか?」
「会うわけないわ」加奈子は嘘をついた。
「ねぇ〜、健ちゃん。一博に寝取られてプライド傷ついた?」
「・・・・別に、プライドなんかねえよ」
 実際は少しそんな感じは持っていた。しかし、妻の浮気は自分のせいであることも納得していた。ほとんど美香のことは構ってなかったし、ほったらかしだった。

 世間で浮気は悪いと言われるが、される方にも原因がある。よっぽどの恋愛病患者じゃない限り、人は放っておかれたら寂しくなりどこかに誰かを求めたくなる。それが3年、10年と続けばなおさらだ。
 健三は自分が悪いのだと納得していた。人を責めるより自分を責めるタイプなのだ。ストイックに生きる人間は悪く言えば自分の事しか見ていない自己中なのだが。

「普通だったら切れるんじゃないの。美香のこと嫌いだったの?」
「・・・・なんも言いたくねえ・・・」
「・・・・」