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海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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 午前11時の駅前はまばらな人影だった。一博は駅前のロータリーのバス停が見える歩道の脇に車を止めた。予定では美香はバスでやって来るはずだ。昨日のメールから美香の返事はなかったがきっと来ると予想していた。来なければ残念だけど仕方ないと思うことにしていた。
 恋愛はどこかで賭けに出なければならない。いや、必死にならなければならないというか運にすがらないと進まないとこもある。一博は美香が来ることに賭けた。
「いい大人がここまで必死になってんだ、頼むよ美香、来てくれよ」
 自信とは裏腹に何とも頼りない独り言だ。

 白いバスがロータリーに入って来ると終点である駅前で停まった。乗客が降り始めた。美香は最後尾から降車して来た。一博は美香を見かけるとホッと胸をなでおろした。その後、急に鼓動が激しくなった。美香の顔を見ると息苦しくなる。まともに息ができない。そして抱きしめたい感情に駆られる。
「俺ってこんなに美香のこと好きだっけ・・・」一博は自身に笑った。

 美香は一博の車を見て一瞬逃げ出そうかと思った。また会いに来てしまった。
でも「ドライブだけなら」と自分に言い訳をしていた。会いたさが先だった。
 一博の車に近づくと心臓が高鳴り始めた。嬉しさと何かへの期待か。
「おはよう。待った?」
 美香はドアを開けてシートに座るとそう言った。
「おはよう。いや、ぜんぜん。来てくれたんだ」
「ドライブだけでしょ・・・」
「そうドライブだけ。付き合ってくれてありがとう」一博は笑って答えた。

 

 車は駅前のロータリーを回り南へ向かって走り出した。6月の晴れ間は真夏ほど暑くはないが車内はエアコンが必要だった。見慣れた景色が後ろへ遠去かる。
 しがらみや家庭という縛りからも解放されるようだ。美香は知らない景色が目の前に現れるたび自由を手にしたような気になった。
 一博が音楽をかける。70年代の昔の洋楽だ。
「なんかなつかしい曲ね。これっていくつの頃だっけ」美香が聞いた。
「ちょうど中学生の頃。深夜番組をよく聞いてた頃さ」
「そうそう、あの頃はラジオをよく聞いてたわね」
「リクエストしたことあるんだ。あの人気の番組に」
「へぇ、どうだった。採用された?」
「あぁ、あこがれのマドンナに贈りますって書いて手紙を出した」
「誰、私?」美香がふふっと笑う。
「そう、美香様。曲はビリージョエルだった」
「へぇ、そうなんだ。知らなかった。聞けたら良かった」
「その曲かけようか」
「うん」
 
 一博はコンソールボックスからMDを取り出すと入れ替えた。
 流れてきたのは聞き覚えのある歌だった。しばらく二人でその曲を聴いた。
「ねぇ、一博。もしかしてこんなやり取り他の女ともしてない?」
「えっ?」
「みんなに僕のマドンナだって言ってんじゃないの」
「違うよ。そこまで女たらしじゃないし、もうずっと一人きりをやってる」
「ほんと〜〜。なんか怪しい」美香はいたずらっぽく笑った。
「イメージ悪いんだな、俺って」
「だって浮気っぽいって有名だもん」
「イメージ先行ってやつか・・まいったなぁ。そう思う本当に?」
「ううん、ほんとはどうでもいい。目の前の一博が私にやさしければいい」
 一博は運転をしながら美香の顔を見た。歳は取ったが綺麗な顔立ちで今は温和な顔をしている。なんだかうれしそうな顔をしている美香を見たら自身も嬉しくなった。
 好きな人の笑顔を見ることができるのは幸せなことだ。一瞬加奈子の笑顔も浮かんだ。あいつも昔はこんな笑顔をしていた。どこでこうなってしまったんだろ。つくづく人間の気分はいい加減で長続きしないものだと一博は思った。