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海野ごはん
海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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「あのさ、メールって不思議だよね」美香が流れる景色の正面を向いて言った。
「なんで?」
「だって、まだ数回しか会ってないのに一博のことがわかる。メールでいろんなことを話し合ったから心が分かり合えるのかな」
「そうかもしれない。面と向かって言えないことが平気で言えるもんな」
「そう、聞きたい事も聞きたい時に聞ける。家だったら絶対出来ない」
「じゃ、家の中でメールで会話すれば」一博が笑って言う。
「無理。無理・・・」一瞬、健三な不機嫌な顔が美香の頭に浮かんだ。
「でもさメールって証拠が残るんだぜ」一博が言う。
「証拠?」
「そう不倫の証拠。ちゃんと消してる」
「まだ不倫してないし、消さなくちゃいけないの」
「だって見られたら、やばいだろ」
「あ〜彼ね、見る筈ないわ、私に興味がないみたいだから」
「そこまで冷めた家庭なの」
「一博だって言えないでしょ。この前は泣きそうに白状したくせに」
「そうだっけ・・・」
「やっぱり消した方がいいのかな。いつも寝る時読み返すのが私の楽しみなんだけど。一博がやばい?」
「あっ・・ううん・・どうでもいいや。美香がいいならいい」
 一博も健三の顔が浮かんだが別に張り合う気はない。ただ目の前の美香がいつも笑っていてくれさえばいいと思った。好きになったら悪い都合はどこかに押しやることにしていた。


 それから二人はしばらく懐かしい音楽を聴いて海沿いの道をドライブした。
 お昼のランチは海沿いのレストランにした。お昼時なのに客は少なかった。主要幹線道路から外れた田舎の海沿いは観光地でもない限り人気はない。
 一博と美香はおすすめのランチを注文した。客がまばらなのがもったいないくらいおいしかった。
「おいしいもの食べて好きなお嬢ちゃんといると最高だな」
 一博は食べながら言った。
「お嬢ちゃん?さっきはマドンナでいろんな言い方があるのね」
「お姫様でもいいかな」
「おばさんよりましだわ」
「美香・・」そう言うと一博は差し向かいにいる美香に身を乗り出してキスをしようとしてきた。テーブルを挟んで食事をしていた美香は驚いたが笑って一博のキスを受け止めた。食べ物と二人の唇が交じり合う。触れ合っただけなのに二人とも昼間から電気が体の中を走った。

 キスをした後に美香は「バカね」と言った。
 一博も笑ったまま美香の顔を正面から見た。大人になったら何でもできる。中学生のようにキスだけでおどおどしない。自然にキスをしたい時にできる。そしてそれを受け止めてくれる相手がいる。こんな関係をいつまでも続けたいと一博も美香も思った。


 レストランの昼食を終えると、岬に向かう道を登り展望台の駐車場についた。
さほど有名でない展望台は誰もいなかった。二人とも暑さを避けエアコンの効いた車の中から太陽に輝く海を見た。先ほどから沈黙が続いていた。
 一博がサイドブレーキのギアを引いて車を完全に停車させると、それを合図かのように二人は抱き合った。体の存在を確かめ合うようにお互い背中に手を這わせた。無言のまま抱き合い求めるように唇を探しあった。
 押し付けるように唇をつぶしあい舌を絡める。隙間がなくなるほど唇が密着しあう。時々息継ぎをするように唇を離してはまたそれを繰り返す。舌先が歯の並びに沿って舐めるように動き回る。お互いの唾液は混じり合い行き来する。いつ以来のこんな濃厚なキスだろう、いや、今までずっと経験してなかったかもしれない。背徳感が入り混じるキスは今迄に増して危険で甘い味がした。
 疲れるほどの気が入ったキスを繰り返していると、車がこちらに登ってくる音がした。一博はきつく抱きしめていた美香の体を放すと気を取り直した。
 登ってきた車は初老の夫婦だった。車を止めるとひとしきり海を眺めまわし数分も経たないうちにまた下って行った。

 ハンドルに両手をかけた一博は正面の海を見ながら美香に言った。
「ホテルに行こうか・・・」
「・・・・」美香は何も言わなかった。
 一博はサイドブレーキを解除するとギアを入れ車を動かした。
 美香はずっと黙ったままだった。
 田舎の海沿いを走っていると白い建物が見えた。看板にはカタカナでホテルの名前が書いてある。少しスピードを落とした一博は無言のまま美香の返事を待たずホテルの個別の駐車場に入れた。
 薄暗い駐車場は秘密の場所にふさわしかった。
 
 エンジンを切ると急にしんとなった。沈黙が襲う。二人ともためらうように外に出れなかった。ドアを開けることができなかった。美香が言った。
「一博・・・私・・・引き返せなくなるよ」
「・・・・」
「いいの・・・」
「・・・・いいさ、全部おれが引き受ける。覚悟は出来てんだ」
「・・・・私、私・・」
 美香の声は小さくなっていた。ためらいの波が押し寄せてきた。急に 一博にしがみつきたくなった。美香は一博に向くと細い腕を一博の腰辺りに回して胸の中に顔をうずめた。あの時の匂いがした。一博の胸に偶然だけど飛び込んだ時の香りだった。ギュッと力を入れて抱きしめた。
 一博も美香を強く抱きしめた。無言で包み込んだチカラは美香を守りたい優しさだった。嘘偽りなく人を愛せるのはこんなにも狂おしいものかと思った。
 そして二人は静かに車のドアを開けるとホテルの玄関へと歩いて行った。