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海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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 かれこれ花火師として今の親方の所に弟子入りして15年が過ぎようとしていた。それでもまだこの世界では中堅どころだ。俗に「玉貼り3年、星かけ5年」といわれる熟練の技術が要求される仕事であり、年数がものをいう職人の世界である。それに家族経営のような花火工場では親方がいてベテランがいて、なかなか入れ替わりのない世界であるのでいつまで経ってもベテラン職人とはみなされないのである。
 花火師として経験を積み熟練と呼ばれやっと花火大会で目を引く大玉をつくる環境はまだまだ先のことであるのだ。悪くも良くも健三のような職人肌でなければ勤まらない世界なのである。
 綺麗なものにはそれを支える裏方が必要なのは、何も花火に限ったことではないが無駄口をたたかない男が必要なのだ。人生においても同じかもしれない。昭和・大正・明治・江戸と時代を遡る様にしっかり伝統を引き継いだ男たちがいるからこそ、夏の夜の素晴らしい花火を鑑賞できるのである。
 
 しかし、妻の美香にとってはそれが気に食わなかった。高給取りの銀行員と結婚したつもりが、薄給の花火弟子となり、銀行員の奥様から明日をも知れない堅気崩れの妻になってしまったのだ。事情を知らない美香にとっては花火師は縁日を飾る屋台のテキ屋と同じようなものだった。
 さんざん離婚すると言って脅しても健三は意思を曲げなかった。
小学生の子供は事情も知らず「花火だ、花火だ」と言って遊びで作った打ち上げ花火に喜ぶ始末だから、美香の怒りは半減された形になり、これから教育費もいるというのに何をとち狂ってしまったんだろと本気で悩んだ。
 案の定一年もすると貯金も残り少なくなり、亭主の夢のために近くの食品工場にパートとして出なければならなくなった。銀行員の奥様からパート主婦に成り下がった感がして、しばらくは健三と話をするのさえ嫌で頭に来ていた時期があった。
思いもかけない人生を歩き出したのは健三ではなく、連れ添った美香のほうだったかもしれない。

 働き出せば疲れる。それでも家事の一切は美香の役割だ。ついつい大きな声も出してしまう。
何度こんなはずじゃ・・と思ったことか。しかし、それでも健三が愛想のいい男ならいいのだけれど、ぶっきらぼうの無口で堅物風の男に「いたわる」という愛情表現は望むべくもなかった。次第に愛が消えてしまうのは当然だった。
 いつしかキスはしなくなった。夜の交わりもなくなってしまった。美香自身が望んでいるのか健三がそう望んでいるのか、もうどっちのせいでも関係がなくなるほど生活の中から消えていた。ただ、お互い働いて生活に追われ子供の成長に追われ、日々はあっという間に過ぎて行ったのが事実だ。
「旦那さんを愛してますか」と聞かれたら、あの時花火師の妻になった時から捨ててきたと即座に答えるだろう。
健三の夢は美香にとっては悪夢のようなものでしかなかった。