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海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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 美香はカラオケなんかしばらく来たことがなかった。前回はいつだろう?思い出そうとしても思い出せないくらい昔だった。婦人会?町内会?どっちにしても隣近所の寄り合いの時だったような気がする。
 さて、何を歌えるだろうか?
 知ってる歌というか歌える歌は昔の歌しか知らない。それさえまともに歌えるだろうか。

 美香が選んだのは「てんとう虫のサンバ」だった。確か結婚式の時歌ったやつだ。我ながら古いと思いながらも楽しく歌った。美香も気持ちよかった。日頃、仕事と暗い家の往復ばかり。今まで旅行もしてなかったのですごく羽を伸ばした気になった。同時にカラオケの歌を見ると知らない歌ばかりで、自分の歳もずいぶん取ったものだと感じた。歌なんか忘れていたような気がする。それに比べて加奈子はどんどんいろんな曲を歌うし、知っている。なんだか悔しい気がした。

 二時間が過ぎようとした頃、普段飲まないお酒を飲み過ぎた美香は気分が悪くなった。はしゃぎ過ぎと酒のせいだろうか。自分が自分でなくなる気がした。
「ちょっと気分が…外に出てくる」と言って、健三の歌の途中に扉を開けて外に出た。
 健三は相変わらず下手な演歌を歌っていた。
「ちょっと見てくるわ」と言って一博も出て言った。
 店の中は頼りない手拍子をするママと、調子に乗って歌う健三、そして加奈子の三人になった。

 健三のカラオケが流れてくる店の外では美香が外の風にあたっていた。曇り空のちょっと涼しい夜、風が木立の葉を揺らしていた。
「大丈夫か」一博は美香の側に来て背中をさすった。
「ちょっとはしゃぎ過ぎたみたい・・・・」
「飲ませすぎたかな」
「ううん、楽しくて自分の抑えが利かないの・・・こんなの久しぶりだから」
「俺も美香と一緒にいれてうれしいよ」
「ねぇ〜一博・・・」美香は一博の方を向いて言った。
「加奈って歌もうまいし魅力的だね・・・」
「・・・・・・」
「なんだかかなわないよね・・・負けそう・・・」
「そんなことないよ・・・・」
一博は美香の手首を握りしめた。


 店の中はなんだか人数が減り白けた雰囲気だった。加奈子はきっと、なんかあるとピンときた。健三はお構いなしに下手な歌を歌ってる。
 加奈子は「ちょっと見てくるね」と健三に言った。健三は片手をあげるだけでこの状況がわかっていない。
 加奈子は何かを期待するように店のドアをそっと開けて、すっと外に出た。
 暗闇の中、向こうで二人の黒い影が見えた。きっと美香と一博だ。
 加奈子は腰をかがめ、物陰から覗き込むように二人を見た。

 
 一博は美香の手首を取り、自分の方に美香の手を回させると顔を美香に近づけた。
ちょっとボォ〜としてた美香は「あっ」と言うと、一博の唇が自分の唇に触れるのが分かった。
「だめっ」美香は唇を離そうとしたが、熱い電流のような気の流れが全身に走り力が抜けた。
一博の唇は柔らかく久しぶりの感触だった。また「あっ」とため息に似た切ない吐息が漏れた。
 一博は美香を抱きしめるようにキスをした。級友の妻という背徳感がまた自分自身を興奮させる。衝動的なキスほど快感はほかにない。一博も熱い電流に身を任せた。

 覗いていた加奈子も「あっ」と小さな声を出した。自分で仕組んだ筈なのに実際目の前で夫のキスを見ると興奮した。それも知ってる美香と。
 嫉妬の気持ちと未知の世界に引きずり込まれたような、呆然と見送るしかない無力感に異常な興奮を覚えた。
 ほんの三秒五秒だろうが雷は想像以上に、加奈子の身を貫いた。心臓が止まるかと思った。 それもまた盗み見をしているせいだったからかもしれない。
 健三の下手なカラオケが小さく流れているのが空しかった。加奈子はすぐさま引き返した。