十六夜(いざよい)花火(前編)
少し商店街から離れた高台に最近化粧直しをしたような白いお城が建っていた。
5階建て位の高さだろうか、天守閣は展望台のようになっていた。
「登ろうか」加奈子は健三の手を引っ張った。白くて小さく冷たい手だった。
「加奈子の手って冷たいな・・・」
「あら、心があったかいからよ。よく言うでしょう。心も冷たい女がいい?」
「いや・・・」
別にそこまで言ってないし…健三は加奈子の引っ張る手をぎゅっと握り返した。
妻である美香以外の手に触れたのは何年振りだろう。いや美香の手さえ最近は触っていない。ずいぶん長い間女性の手に触れてなかったことを思い出した。
城へと続く石の階段を加奈子に引っ張られながら健三は登った。
城の下に立つと結構大きい感じがした。天守閣はさらに上だ。ここからでさえも町の中が見渡せた。海の水平線が光っている。
「上まで行くのか」健三が聞いた。
「もちろん。全部見渡せるわよ。さっ、行こう」
天守閣は意外と小さい部屋だった。8畳くらいだろうか。そして部屋の回りをぐるりと腰高の木製の手すりが囲っていた。
「わぁ〜凄い。海の向こうまで見えるね」
もやに隠れて頭だけを出してる半島の向こうの山並みが見えた。眼下には城下町が広がっている。まだ水を入れない水田や畑が町の向こうに規則正しく並んでいた。
「望遠鏡があるよ」
加奈子は子供みたいにはしゃいで望遠鏡に近づいた。
「20円・・中途半端なお金。いっそ10円か100円でもいいじゃない」
健三はポケットから小銭を出すと加奈子にじゃらじゃらっとあげた。100円玉が混じった小銭だった。
「ほら使えよ」
「ありがと。でもこんなにいらないよ。3分で20円だもん」
「そうか・・・」そう言ったきり健三は外の景色じゃなく天守閣の中を見物しだした。
海風が通り気持ちがいい。加奈子は望遠鏡に小銭を入れると中腰で覗きだした。
港に漁船がたくさん見える。結構大きく見えるもんだと加奈子は思った。実際、街中の人間の顔も見えるくらいだった。
加奈子は港から海、海から島、島から足元の街へと望遠鏡のレンズを向けた。町の中心街らしき商店街が見えた。鯉のぼりがたくさんつりさげてある。田舎の小さな温泉町だから人影はいなかった。ず〜っと望遠鏡で商店街をなめるように見ていくと男女の姿が見えた。
「あれは?」
もしかしてと思いながら加奈子はレンズの向こうに写る二人を凝視した。服装からして美香と一博のようだ。はっきり見えないが確かに腕を組んでいる。立ち止まって話をしてるようだ。何を話してるのだろう・・・加奈子はあたりを見てみた。するとラブホテルの看板が飛び込んできた。
「あっ!」
思わず声を出してしまった。
「ん?どうしたんだ」と健三が聞いてきた。
「あっ、いやちょっと」加奈子は望遠鏡を背中で隠すようにして健三の方に振り向いた。
「なんか見えたのか」
「えっ・・あっ・・いやさっきのカキ小屋がよく見えたもんだから・・・」
「そんなに見えるのか・・どれ」と言って健三が近づいてくる。
加奈子はわざと望遠鏡を海の方向に回した。
健三は面白そうに望遠鏡を覗くと町の方を見た。
「おっ、よく見えるな〜。すげえ〜」と言ったところでカチャンと音がして切れた。
「なんだ、もう切れたぞ」
今度はつまらなさそうに自分で手すりから乗り出して町を見始めた。
「俺、目がいいからなんでも見えるぞ」と健三が言うと加奈子はどきりとした。
別に自分が悪いことしてるわけじゃないが、予想通りというか自分の夫・一博が美香を・・・。いやいやただあそこで見かけただけかもしれない。
あれからどうしたんだろうと気になった。
ハッとして加奈子は
「なんでも見えるの?」と聞いた。そして一博と同じく身を乗り出して町の方を見た。
「車が見えるとか人が見えるとかぐらいさ。それ以上は見えない」健三は言った。
加奈子は先ほどの商店街の近くのラブホテルを探してみたが全く分からなかった。
「美香たちは見えるかしら」加奈子は聞いてみた。
「そこまで見えないさ。でも案外この近くにいたりして・・」
加奈子は自分のことのように安心すると、健三があまり外を見ないように
「降りよう」と言った。
「もう降りるのか」
「座りたくなっちゃった。ほら下のベンチで休もう」
加奈子は健三の手を取り促した。城の中の暗い狭い階段を下りた。ベンチは城前の木陰に並んでいた。
作品名:十六夜(いざよい)花火(前編) 作家名:海野ごはん