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海野ごはん
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十六夜(いざよい)花火(前編)

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「子供は?」一博が聞いてきた。
「二人とも就職して家にはいない。旦那と二人きりだから息苦しくて」
「息苦しい? 二人きりだから楽ちんじゃないの」
「相手によるわよ。もっと一博みたいに喋ってくれる人が良かったなぁ〜」
 本音だった。
「喋るのだけは得意だ。よく、うるさいと言われる」自嘲気味に笑った。

 城下町の歩道の横には鯉が泳ぐきれいな水の用水路が流れていた。石畳の歩道を歩きながら二人はゆくあてもなく歩き出した。
「あのさ、昔ラブレターあげたの覚えてる?」
 一博は色恋の話題がしたくて美香に聞いた。
「覚えてるよ。だけど、もうどこに行ったか無くなったと思う」
「はは、ある方が珍しいよ。内容は覚えてる?」
「そんな昔のこと覚えてるはずがないわ。書いた一博が覚えてるでしょ」
「いや、何を書いていたか思い出せないんだ。多分、好きだとか書いていたんだろね…」
「そりゃ〜、ラブレターだから好きだと書いてるはずだわ」
 遠い日の思い出を懐かしむ美香。
「なんで好きだったんだろ?」
「さぁ〜」
「美香はクラスでも一番可愛かったから、きっと顔かな…」
 昔の事でも女は綺麗だと言われるのはうれしい。美香は一博の言葉が今の告白にも聞こえるからなお嬉しかった。
「でも、今はもうおばさん… 皺も増えたし…」わざと自嘲気味に言うしかない。
「いやいや、美香は今でもそこら辺のおばさんの中では綺麗な方だ。ほらこの間のクラス会、 あの時だってやっぱり美香が一番だなと男同士で言ってたんだぜ」
「え〜、嘘〜、他にもいたじゃない」
「いやいや、断トツで美香が一番だった。ほんとだ」
 そこまで言われると嘘でもうれしいに決まっている。
「加奈ちゃんだって綺麗になってたよ」
「あいつはお金使ってるから…それでも無理だ」
「何が無理なの?」
 一博は「俺の気を引くのはもう無理だ」と言いたかったが、
「いや、あれ以上綺麗になるのは無理だと…」
「自分の奥さんの事そんなふうに言っていいの?言っちゃおうかな〜」
 本人を目の前にして言える筈がなかった。ただ美香は加奈子に負けるはずはないというプライドは正直持っていた。
「ほぉ〜〜、美香だって、さっきはぼろくそ言ってたのに・・・」
 一博は美香の肩をポンと押した。
 その拍子に美香はよろけ歩道の横の用水路に落ちそうになった。

「あぶない!」
 一博は自分で押したくせに見兼ねて、美香の腕をしっかり握り引っ張った。
美香の体は今度は用水路と反対の方向、一博の体にぶつかることになった。
顔が一博の鎖骨あたりにあたり、ちょうど胸の中に抱かれるような格好になった。
一瞬、時間が止まる。1秒、いや2秒だろうかわずかの時間の中に男と女の電流のようなものが流れた。すぐさま離れようとした美香だが一博の匂いに動きを止められた。

 健三がこの間嗅いだ、あの匂いと同じものだ。
 柑橘系なのに甘い匂い。健三には決して身にまとえる匂いではなかった。健三にはない洒落た上品な匂いだった。男性の香水はあまり好きじゃないと思っていたが、実際包まれてみると興奮が体の中を走った。