十七歳の碧い夏、その扉をひらく時 <第一章>
MINに登録して数日経った頃、「承認のお知らせ」というメールが届いた。どうやら管理人の涼(りょう)と呼ばれる人物が、俺の入会を許可したらしい。実の所、さっきまでは入会希望を出したことすら忘れていたが、ネットの世界に足跡を残すことで自分の知らない次元に足を踏み入れたような気がした。
「悠ちゃん、まだ支度できないの?」
母さんがドアをノックした。
「今着替えてる」
俺は手短かに答えると、パソコンデスクを離れた。ベージュのチノパンとブルーのTシャツを素早く脱いでベッドの上に放り投げる。クローゼットの中にかかっている白いシャツに手をかけ、慣れた手つきでボタンを留める。グレーのズボンを履き、紺色のジャケットを羽織り、緑と白のチェックのネクタイを締めてドアを開けた。
母さんは真っ赤な ノースリーブのドレスを身にまとい、白いストールを巻いている。フレアスカートをひらひらさせて、俺の目の前でくるりと回って見せた。
「なんで俺だけ制服?」
「高校生なんだから制服が一番よ。それに県内一の進学校だってこともアピールできるでしょ。ほら、鏡を見て」
母さんは部屋に足を踏み入れ、目の前まで姿見を移動させた。
「ね? 制服が一番でしょ?」
「ま、いいけど。母さんの好きなようにすればいいよ」
鏡の中の母さんは満足げに微笑んだ。
「寝ぐせも直すのよ。あと十分で約束の時間だから、遅れないでね」
母さんはそう告げると、陽気に歌を口ずさみながら階段を下りて行った。
俺は小さい頃から母さんの喜ぶことを意識的にするようにしてきた。世間では思春期になると、子どもは親に生意気な態度を取り始める。いわゆる反抗期というものだ。俺はこの反抗期を体験していない。中学生になっても反抗しようとする気持ちすら起こらなかったのだ。
黄色い帽子を被って幼稚園に通っていた頃、突然父親がいなくなった。母さんはピアノ講師とモデルスクールの講師を掛け持ちしていたので、比較的時間に融通の利く父親が幼稚園の迎えに来ることが多かった。だがその日、父親は現れなかった。日が暮れても、夜になっても姿を見せることはなかった。
作品名:十七歳の碧い夏、その扉をひらく時 <第一章> 作家名:朝木いろは