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ゆびきり

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中から俺より背の低い母ちゃんに似た切れ長の眼と白い肌、そして真っ黒な髪を思い切りよくさっぱりと切り揃えた男の顔が出てきた。そして、その男は俺の顔を見て、馬鹿に親しげに笑うと「ようこそ、慎太」と言った。
何で俺の名前を知ってるんだと疑問符つきで立ち尽くしている俺の背を、顔を真っ赤にした母ちゃんはぐいぐいと押して玄関に押し込み、パタンとドアを閉めた。そして更にぐいぐいと背を押してくるので、俺は慌てて靴を脱いで玄関に上がりこんだ。
そして勝手知ったる何とかで、母ちゃんは今度は俺の手を引っ張ってその家のリビングまで引きずって行った。何をそかなにムキになっているのかと、目の前にある母ちゃんの真っ赤な耳から、リビングの中へ視線を移した俺は、そこにぽつんと立っていた男の顔を見て魂が抜けるかと思う程に驚いた。
「なっ…と…と…父ちゃん?」
母ちゃんは俺の手を解くと、父ちゃんの横にちょこんと並んだ。そして二人でまた、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
ただ口をぱくぱくさせる事しか出来なかった俺は、その時自分の隣に立ったちっちゃい男をぎょっとしながら見下ろした。
「に…兄ちゃん?」
俺の言葉に、兄ちゃんはにっこりと笑って子供みたいにうんっと答えた。
もうパニックも頂点を越えてしまった俺は、母ちゃんの旦那さんに会いに行くという余所行きな気持ちもどっかに行ってしまい、ソファにどっかりと座り込んでしまった。
それから二人は交互にどうしてこうなったのか、二人の偶然の再会から話して説明してくれたのだが、俺には何一つ頭に入って来なかった。
二人の馴れ初めとか、そりゃただの惚気だろっ、ごめんねって言うなら嬉しそうに話すなとか、今更より戻すぐらいなら何で離婚なんかしたんだよとか、あの時の涙の別れやら、一人で寂しくて心細くて大変だったんだぞとか、もう色んな罵倒がぐるぐると頭の中を駆け巡っていて、二人の話どころではなかった。
俺はこの家に来てもう二十回ぐらいついただろうため息を大きくつくと、唸りながら頭をぐしゃぐしゃと掻き毟った。
そんな俺に、父ちゃんと母ちゃんは二人仲良く一緒にびくりとして口を閉ざすと、またごめんなさいと声を合わせて謝ってきた。じろりと目を上げた俺の目に、二人の手がきゅっと硬く握り合わされているのが見えた。
子供なんて、何て損なんだと、俺は声を大にして叫びたかった。父ちゃんも母ちゃんも好き合って、それが幸せなら許すしか無いじゃないか。あんな手見せられたら、何も言えないじゃないかっ。俺のもやもやした気持ちが、ぐっと押しあがって来て爆発しそうになった時、ただにこにこと俺の隣に座っていただけの兄ちゃんが俺の腕をそっと取ってくれた。
「慎太もさ、混乱してるみたいだからさ、とりあえずさ、また後で話ししよう。慎太、俺の部屋に来いよ」
俺は天からの救いのような気持ちで先を行く兄ちゃんの後を歩いた。それでも俯いた顔は上げられなかった。
「慎太が来るって聞いてさ、俺慌てて掃除したんだよ」
そう言って通された部屋は、どこを掃除したんだというぐらいに汚かった。物を積んだだけなのは掃除とは言わない。俺はあまりの汚さに引っ込んだ涙を誤魔化すようにただ「まだ全然汚ねぇよ」と呟いて、ベッドの上に腰掛けた。兄ちゃんはそうかなぁと言いながら俺の前に立つと、さっきからずっとにこにこしたまま、俺のくしゃくしゃになった髪をやわらかく撫でてくれた。
「慎太、お前さぁ太った?」
十年近く会って無かった弟に「大きくなったなあ」じゃなくてそれかよっ、しかも一体何時を基準に太ったってなるんだよと、俺は兄ちゃんの馬鹿さ加減にほとほと呆れた。
俺は甘く美しい思い出を何度も反芻しているうちに、ある時ふと兄ちゃんは物凄く馬鹿なんじゃないかと思うようになっていた。俺が父ちゃんと母ちゃんがリコンしたらどうしようと泣いた時、兄ちゃんは確か小学校五年で一緒に泣くような年じゃない。さよならの日だってそうだ。思春期入りたての中学二年になっても、あんな恥ずかしい仲良し指切りを弟とできる羞恥心の無さも信じられない。俺は兄ちゃんに中二の自分を重ねては、あんなこっ恥ずかしい約束なんてしてしまった事に何度ベッドの上を転がったか分からない。中二なら、同じ恥ずかしいにしても、もっと大人な約束の仕方があるだろう。
「兄ちゃんってさ、本当はすげぇ馬鹿だろ」
俺の言葉に兄ちゃんは少し首を傾げると、にやりと笑った。
「大丈夫、お前より賢いから」
「どこが、だよ」
「俺の大学、お前のとこより上だもん」
上目遣いにどこだと問うと、ぺろりと俺が諦めた国立大の名前を言った。思わずむっとした俺の髪を、兄ちゃんの手は飽きることなく撫で続けている。それが昔とちっとも変わってなくて気持ち良いなんて、悔しくて口にも出せなかった。
「それよりさ、慎太、約束覚えてる?」
やわらかく撫でているだけだった兄ちゃんの手が、俺の髪をきゅっと握った。恥ずかしい思い出に赤くなる顔を背けようとしたが、髪を握った兄ちゃんの手がそれを許してはくれなかった。
「慎太、俺は、ずっと覚えてたよ。慎太と最後に仲良し指切りしたの」
俺の顔を見下ろしながら、兄ちゃんはにんまりと笑うと、これ見よがしにぺろりと真っ赤な唇を舐めて見せる。その舌の艶かしさに俺の体かかっと熱くなった。
「あれはずっと好きでいようって、そういう約束だよな、慎太」
痛いぐらいに俺の髪を掴んでいた兄ちゃんの手が緩み、すとんと俺の横に座ったかと思うともの凄い力で抱き締められた。
「ずっとずっと、俺は慎太が好きだった」
温かくて力強い腕の中で、俺は微かに香る懐かしい兄ちゃんの匂いに気付いた。
俺はずっとこの腕と匂いに包まれて眠っていた。切ないぐらいに懐かしい身体に、俺はおずおずと腕をまわした。昔はしがみつくようにしていた兄ちゃんの大きな身体は、今では俺の腕の中にすっぽりと収まってしまうぐらいに小さかったが、意外なぐらいにしっくりとしている。
「兄ちゃん」
俺の声に、兄ちゃんは俺の身体を抱いたままコロンとベッドに横になった。
「慎太」
耳元で聞こえる兄ちゃんの声が優しくて、俺は兄ちゃんの身体を抱く力を強くする。安心して、とろけそうになって、俺は今まで一番欲しかったものが何なのか知った。
「慎太」
兄ちゃんの声に呼び覚まされるようにして、俺は自分の中のあらゆるものを爆発させた。
兄ちゃんの肩に顔を埋め、思い切りその身体にしがみついて泣いた。ずっとずっと俺はここで泣いていた。
俺はどこででも、誰の前でも、心の底から笑えるし、怒ることも憎むことも楽しむこともできる。だが本当に泣くことができるのは、兄ちゃんの、啓の腕の中だけだ。ここでしか俺は、泣けない。子どものように、大声を上げて泣きたいだけ、泣きたいように啓の腕の中で泣いた。
俺が泣いている間、啓は昔と違って一緒に泣くことはせずに、ただずっと俺の名前を呼んでくれていた。
そして父ちゃんと母ちゃんも、昔のように泣き声に驚いてやって来たりはしなかった。
作品名:ゆびきり 作家名:toma