ある字幕翻訳者の憂鬱
うーん、まさに破天荒なスーパーレディだ。律子は、すっかりスカーレットを自立する女性の見本として気に入ったようだ。もちろん、こんな無茶苦茶には振る舞えないが、彼女の意志の強さにあやかりたいと思うのだろう。
だが、ある場面になって、律子は不満というか、怒りを禁じ得なかったらしい。それは、夫が亡くなり喪中の中、レットが訪ね、スカーレットに求婚する場面だ。スカーレットは、レットをけなし、冗談じゃないと拒否するのだが、そんなスカーレットに対し、レットが無理矢理キスをする。すると、スカーレットは、突然、心変わりをして、レットのキスに心奪われたのか、いとも簡単にプロポーズを受けてしまう。
「信じられないわ。まさに男の発想ね。どんな気の強い女も、力づくで迫ればものにできるという傲慢な思い込みだわ」と律子は言った。
それは、彼女の自らの体験から来るものだ。それは、女学校を退学させられた後、親が決めた男との結婚を命じられたのだが、当然のごとく、拒否をした。だが、家長の命令とあれば、結婚を拒めない。相手は、どこかの大金持ちの御曹司だそうだが、見るからに嫌な男だった。
ある日、策略で、家の中で二人きりにされた時、その男は、律子に襲いかかった。たまたま御茶を飲むのために沸き上がったばかりのお湯が入った薬缶がテーブルにあった。律子は、それを取って、薬缶からお湯を男の顔にふっかけ、難を逃れた。
男はやけどを負い、そのことで婚約は解消。怒った律子の父は、彼女を勘当した。
その後、一人で生計を立てるため、映画の翻訳助手の仕事をすることになったのだ。
そんな彼女の身の上を知ったことが、達朗が律子にひかれたきっかけでもあった。可哀想だという同情心ではなく、自分の思い通りに何でもしていこうとする意志の強さを感じたからだ。何となくスカーレットとも共通するところがある。
スカーレットは、レットと結婚し、アトランタの大邸宅に移り住む。レットは、戦争で財を築いた大金持ちだ。だが、スカーレットはアシュレーへの想いを断ち切れない。そのことを知ったレットとの仲は、日増しに悪くなっていく。
本業の貿易業を休業して翻訳に専念し徹夜続きの末、翻訳作業を開始してから半月後、映画の最後のシーンにまでこぎつけた。
最愛の夫、レットに別れを告げられ、独りぼっちになったスカーレット。どうすればいいか悩んだ末、故郷に帰り、レットを取り戻す方法を考えようと決意する。そして、最後にこう言う。「After all, tomorrow is another day.」
「結局、明日は別の日」と達朗が言うと。
「駄目よ、もっと分かりやすく。そうだ、明日に希望を託して、ではどう?」と律子。
「うーん、しかし、それは分かりやすいが、あまりにもダイレクト過ぎる。間をおいて観客に、言葉の意味を考えさせるだけの余韻が必要だと思うな。これって最後のシーンなんだから」
「そっか、ならば、私には明日がある、ていうのは」
「うーん、それいいな、だけど、まだちょっとダイレクト過ぎるよ、もっといいのないかな」
結局、最後の台詞に関しては、責任者である達朗が熟考して、いい言葉を創り出すということにした。創り出すといっても、原文のいわんとするメッセージは変えないで、日本人の観客にしっかりと通る言葉を思いつかせるということだ。
最後の台詞は、この映画の最大のメッセージであり、達朗を含め、多くの観客が受け止めなければいけない教訓が含まれているような気がする。一体それとは何か、よく考えて、知りたい。
社長に、最後の台詞以外の訳は、出来上がったことを知らせると、社長は、こう言った。
「悪いが、達朗君、フィルムに台詞をプリントをする前に検閲を受けてくれないかね」
「え、どうして、これは一般上映の前の上映で、観客は主に軍や政府の関係者の方々ばかりですよね。生のまま上映して、この映画の凄さを分かって貰いましょう。それによって、国家の危機が救えるのです」
「いやな、分かっているだろうが、国内で上映するものは、全て検閲を受けなければいけない。もし、そうでない映画を無理矢理見せつけたとしたら、我が社は営業を停止させられかねないんだよ。そうなったら、お偉方は、この映画そのものを国内で上映禁止にしてしまうだろう。君の目的とすることも、おじゃんだよ」
「しかし、検閲官のことだから、どんな風に文句をつけてくることか」
「君が同席することを認めるよ。君が検閲官と話をして説得させればいいのじゃないかね」
と社長。
この映画の上映に関しては社長が、最終的な権限を握っている。その社長のいうことに従わなければならない。仕方ない、ならば、検閲を受けよう。妥協できるところはしてもいいが、譲れないところは何とか、検閲官を説得して削除や変更を逃れるようにするのだ。なんとしても、全く上映されなくなる事態だけは避けたい。
検閲官が来る日の前日、達朗に侯爵から電報で知らせが来た。それは、映画の上映日が12月8日になったことだ。それまでに映画の検閲を済ませ、訳詞をフィルムにプリントしなければいけない。せめて、11月中頃までに検閲を済ませた上での翻訳台本が出来てないといけない。なので、これから、数日間で検閲をするのだ。
お堅い検閲官との交渉には、しっかりとした心構えが必要だ。
内務省から来た検閲官は、名を小野田といった。眼鏡をかけ顔が細く、年齢は40ぐらいのようだ。なんだかいかつい。まあ、そんなものだと思った。今まで、何人かの検閲官と会ったことがあるが、みんなそんな風な奴らだった。もっとも、対応は社長がしていた。自分は、挨拶をしたり、時々、訳文の説明をするのに同席したぐらいだ。
今日から数日、この映画の検閲をするに当たって、ずっと同席をしてもいいということだ。社長も、いつも通り同席するはずだったが、何でも別れを持ちかけた妾が自殺未遂を起こしたため、急遽来れなくなり、達朗一人だけで対応してくれといわれた。
これは、かえって難しくなるかもしれない。社長は人当たりがよく交渉上手だから、自分が訳や編集のことで、検閲官ともめても、潤滑油のような役割を担ってくれると期待できたのだが、その潤滑油がない。思いっきり自分の主張ができる反面、相手を激怒させ全てをおじゃんにしてしまいかねない。
慎重さが大切だ。
まずは、この4時間近い映画が、前編と後編に分かれているので、最初に前編の原語の台本と訳文ノートをざっと読んで貰い、その後にフィルムを上映。区切りのいいところでは止めて、台本、ノートと見合わせて観賞して内容理解しながら流していく。その後、後編もノートを読んで上映とした。それで、その日は終わった。小野田は、ノートを読む際も、映画を観ている時も一切、表情を変えずに、何を考えているのか分からないという感じの態度だった。
小野田は英語を高等学校などで学んでいたので、それなりに理解ができるというので、原語の台本と訳文、映画の台詞を話している状況で、字幕なしでも、しっかり字幕を見た普通の観客と同様の立場で観賞ができて理解したと、明日、具体的な検閲指示をすると言って映写室を去った。
そして、翌日となった。
作品名:ある字幕翻訳者の憂鬱 作家名:かいかた・まさし