ある字幕翻訳者の憂鬱
思った通り、かなりの削除指示があるとのことだ。まずは、なんといっても、ラブシーンだ。接吻、つまりキスシーンは全てカット。ま、それはこれまでの洋画でよくあったことなので予想できたが、しかし、困ることがある。
最初のキスシーンは、スカーレットが恋いこがれるアシュレーが婚約者のメラニーとキスをする場面。それは、スカーレットが窓越しでそんな二人の姿を眺めるところだ。その時、スカーレットはメラニーの鈍そうな兄チャールズから求婚を受けているところだった。当然、スカーレットは乗り気ではないが、アシュレーとメラニーのキスし合っている情景を見て、自分をふったアシュレーに対する腹いせから、チャールズの求婚を受けるのだ。
なので、カットするとその辺の事情が分からなくなる。しかしながら、キスしている場面はカットされても、アシュレーとメラニーが親しげに話す場面と、それを窓越しに眺めるスカーレットの悲しそうな表情で、その事情を読み取って貰えるだろうと期待した。
だが、もう一つ重要なキスシーンがある。
それは、後編で、スカーレットの二番目の夫、フランク・ケネディが死んだ後に、レットが求婚してくるところだ。
スカーレットは当然の如く、喪に服したばかりの自分が再婚などできるはずがないと拒否するが、それをレットの強引で激しく数分間のキスで心変わりして、いとも簡単に受けてしまうところだ。
ここは、我が許嫁、律子が、女を馬鹿にしていると非難した場面だ。
このシーンをカットしてしまうと、観客はなぜ、スカーレットが求婚を受けたのか分からなくなってしまう。どうして、喪中の身であり、かねてから対立さえしていた男の求婚をいとも簡単に受けてしまったのか。
編集するのなら、「遊びのつもりでしてみないか」とレットがまくし立てる場面で切り、さっと新婚旅行の場面に飛ぶことで何とかつなげられるか、しかし、それでも説得力に欠く。だけど、律子は喜ぶかなと思った。
キスシーン意外にも、卑猥だとカットを命ぜられた場面があった。何かと思ったら、後編で、スカーレットが北軍の兵士を撃ち殺した後、死体から流れる血を抑えるため、メラニーがパジャマを脱いで止血用の布としてスカーレットに渡す場面だ。
メラニーは素っ裸になるわけだが、もちろん、そんな姿は映し出されていない。せいぜい肩の肌がちらりと見えて、恥ずかしがっているだけである。だが、観客には、明らかにその場で全裸姿になった彼女の姿が想像されてしまう。
これはまずいということなので、すっぱりとカットした。
しかし、滑稽だと達朗は思った。西洋人のキスを含めた映像描写を卑猥だと非難している、この小野田のような男は、かつて日本が世界中のどこよりも、その辺の表現が達者であった歴史を忘れてやがる。
江戸時代に庶民の間で流行した春画が、その典型だ。達朗は、それをアメリカ滞在中に東洋文化の研究をしている白人の学者から見せて貰い知った。
それは、それは、凄まじいものばかりだ。写真ではなく絵だが、堂々と男と女の性器を、そのまま、それをさも強調するように描いている。それが、なぜか、明治維新以降、西洋のキリスト教的な性を卑猥だとする価値観が埋め込まれ変わっていったというのが歴史の流れだ。考えてみれば、神社などの御神体が堂々と陳列されているところからも、日本人は、そもそも、そんなものに大らかだったはずなのである。
西洋人からすれば、キスというのは一種の習慣的なものととらえる傾向があり、別に卑猥な行為とはみなされていない。卑猥と考えるのなら、そもそも映画の場面に映し出されるはずがないのだ。
どうも、小野田を含め、お堅い連中は、その辺を取り違え、西洋は自由で乱れていて、我々は厳格で保守的であり続けていると思い込んでいる。
そんな「卑猥な」シーンの削除の指示の後、次に新たなる削除の指示が下された。
それは「反国家的で戦意の低下を招きかねない」という理由からだ。
この映画のどの部分が反国家的で戦意低下を招くというのだ、と問い質した。
まずは、アトランタで戦死者リストを街頭で配るシーン。
スカーレットとメラニーは、アシュレーの名前がないか気になったが、リストには見当たらずほっとする。しかし、知人には息子や兄弟を失った者が数多くいて、それをほっといてはおけない心優しいメラニー。兄を失った青年が、怒り狂って自分が志願して、北軍をやっつけると叫ぶ。それに対しメラニーが、これ以上、ご両親を悲しませることがあってはいけないわと、とめる。
「国家総動員で聖戦を挑んでいる時代に、戦いを欲する青年を引き留めるような内容はふさわしくない」と小野田は檄を飛ばした。聖戦とは、中国大陸のことだ。すでにかなりの犠牲者が出ている。日本では兵士の多くが。中国では民間人の間にもだ。そして、そのことが日米の緊張を増幅させる結果を招いてさえいるのだ。
次に、病院で兵士の看病をする場面。看護婦をするメラニーとスカーレット。献身的な看護をするメラニーの元で思い出話をする傷ついた兵士達。
腐った足を切断しなければいけなくなった兵士がいて、必死で拒否する。そして、物資不足から麻酔投与なしで足を切る手術をすることになった。男は必死で「やめてくれ」と叫ぶ。スカーレットは、そんな光景に耐えられなくなり、病院を抜け出す。
病院のベッドが足りなくなり、路上に怪我人が放置され、包帯も薬品もない状態。
アトランタは、その間もひっきりなしに北軍からの砲撃を受ける。スカーレットは、アトランタを去り、故郷のタラに帰る決意をする。
火に包まれるアトランタをレットの助けを借り馬車で脱出する。抜け出した後、荒廃していく南部を尻目にレットはスカーレットにこう告げる。
「南部の最後を見ておけ、これを後世まで語り継ぐんだ」
それに対し「私たちをこんな目に合わせてひどい。レット、あなたは軍に入らなくてよかった」とスカーレット。
「こんな場面を見せられるか」と小野田。
「でも、これが、戦場の実態だろう」と達朗。
「今、国民は、恐れを持ってはいけない時だ、まるで戦争で傷つき負けて落ちぶれていくことを予感しているようで、けしからん」と小野田。
「予感が、その通りになったらと考えたことはないのか」
「何?」
「僕はアメリカに住んでいたことがある。だから、日米の国力の差は歴然としていることはよく分かっている。知っているか、アメリカでは年間数百万台も自動車が製造され、路上をひっきりなしに走っている。労働者だって車を持っているのは普通だ。日本では一部の金持ちしか自動車なんて持てないだろう。おまけに資源を握っている。我々は石油をアメリカから輸入していた。それをすでに断たれているのだ」
「それが何だ、我々には大和魂がある。たとえ戦争になっても、負けやせん」と小野田。
「あんたの言っていることは、南部の紳士諸君が開戦前に発していた言葉と同じだよ」
そのとたん、小野田は我にかえって言った。
「言葉だけでは勝てないと言うことか」
「そう、いざとなったら、大和魂より火力の差だ」と達朗。レットの台詞を引用した。
「おい待て、この映画は、日本の未来を予想しているというのか」
作品名:ある字幕翻訳者の憂鬱 作家名:かいかた・まさし