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日常と異常の境界

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 それからというもの、僕に気があるのかどうか、まぁ、期待はしていたのだけれど……。でも、僕は福与を選んでいた。だからできるだけ遠ざけようとした。周囲が僕を遠ざけるように、僕もまた彼女を遠ざけた。

「ねぇ。今日こそ一緒に帰ってくれるよね?」
 ようやく制服が着なれてきたころだ。梅雨と中間試験が近づいている。
 周囲が発散する空気は、出だしでつまずきたくないという思いで、いっぱいだった。
「クラスメートで席も隣で、委員会だって同じなんだから、たまにはいいでしょ?」
 このころの僕は少しばかり、油断していたのかもしれない。福与と一年数ヶ月をすごしてからというもの、村瀬とのあいだにさえ何も不幸がないからだ。

 ――その子、殺すわ。
 
 福与の射抜く氷のような視線が、僕の心に一つの形として落ち、波紋となって不安が広がる。
「殺すってそんな、一緒に帰っただけなのに」
「怖いの? 失うのが」
 瞳の輪郭が、急に、優しくなった。
「僕は、友達もつくれないの?」
 普段は掠れている低い声が、湿っていることに自分でもよく分かってしまう。本当なら、村瀬も僕に関わらせない方がいいに決まっているのに。
「……つくれないことは、ないわ。ただ、その人は不幸になるし、あなたはもっと不幸になる。今までずっとそうだったんでしょ?人はね、恋と愛というものは迷惑をかけあったり喧嘩しながらも、寄り添って生きていけるものだと、心のどこかで信じているものなの。ただ、その愚直なまでの正直な気持ちが、から回りしてしまうこともある」
 福与は僕から視線を外し、目をスッと細める。遠くの、茜色に染まっていく薄い青空を、見つめている。
「例えばこの神社。昔はこんな立派なものではなかったわ。ただただ町の安全をと、その建て前で町を観光地にしようとした住民の隠れた意思がある。町の総意が、町の自然なままでの意思を破壊した。私にとっての不幸は、町の総意なの」
 遠い昔は御神木とされていた大木に、福与は手を当てて続ける。
「この町は、あなたを通過点にして世界から呪われてしまった。神社の改築だけでは飽き足らず、新たな神の木を植えたために。だからあなたは違うのよ。たった一人だけで必ず綻びを生じさせて、相手を傷つけてしまう」
 そうだけど……。
「でも、普通の友達が――」
 言ってから、しまったと思った。慌てて口をふさぐが、もう遅い。
「そうね、私は普通じゃない。だからこうして、世界から間違われてしまったあなたの前に現れたのよ」
 夕陽が福与の愁(うれ)いを帯びた顔を浮き彫りにする。
「今日はもう帰りなさい」
 だんだんと、僕達のあいだには会話が少なくなり、逆に村瀬と友達として付き合う回数が増えていった。

 今日は、一緒に帰ろうか。
 僕はそのように、自然と村瀬を誘えるようになっていた。そして福与とすごす時間が減っていく。
「ねぇ、コンビニ寄ってかない?」と、鈴の音のような声色で言った。リズムが良く弾んでいる。
 この町にたった一つだけの貴重なコンビニに寄って、ジュースやアイスを買う。そしてバス停で一緒に時間をすごす。まるで一瞬だけ時間が止まり、僕達だけの世界が訪れたかのように楽しかった。
「最初、私のこと遠ざけてたのに……でも嬉しい。ねぇ、今だから訊くけど、どうして私のこと遠ざけようとしていたの?」
 僕は何て答えればいいのか分からず、悩んでいた。僕の近くにいるだけでその人が不幸になるからとは、とても言えなかった。中学生活が始まって初めての友達を失いたくなかったし、福与より村瀬といた方がなんだか楽しかったからだ。
「ちょっと、緊張していただけだよ」
 僕はそう、答えていた。
「緊張、か。とてもそういうふうには見えなかったけれど、でもま、いいか。
 ねぇ、今度の日曜日にどこか遊びに行かない? 映画とか、カラオケとか」
 雨があがると同時に、バス停の小屋で過ごしていた時間が外の世界とリンクした。
 え、二人で?
 もちろん!
 村瀬の笑顔を、雨でさっぱり洗われた空気と、洗練された波光のきらめきが覆った。

 ここから先の記憶は鮮鋭に、不幸の影をともなって、脳の中枢から蘇ってきた。

 村瀬との約束の日曜日、僕は寝坊した。急いで歯を磨き、洗面をする。そして髪を軽く遊ばせるような感じでソフトに、クセのある後ろ向きにした。朝食を食べる時間はない。
 今日の服装は、昨夜遅くまでかけて決めた。最高気温が珍しく例年よりも下回ると予報にあったので、気持ち暖めにした。黒のチョッキに白のTシャツ、そして黒のジーンズ。左手には、つい最近買ったばかりのブレスレット。首にはフェラーリのネックレス。
 走って駅前のロータリーにむかう。このときばかりは、完全に村瀬のことしか頭になくて、福与のカケラさえ存在してはいなかった。
 息を切らしながら村瀬を見つけようとするも、なかなか視界に捕まらない。
 少し離れた場所で人だかりができているが、今の僕には関係ないことだ。
 ――あの子、大丈夫かな?
 遠くから救急車のサイレンが近づいてくる。
 ――誰かと、待ち合わせてたのかな? 今どきの運転手ってホント、マナーを知らないよね。
 そんなことも、どうでもいい。
 まだ、来ていないのだろうか。僕と同じように遅刻をしたのなら、お互いに笑えてしまう。同じ時間帯まで同じことを考え、そのせいで遅刻したのなら、なんて幸せなことなのだろうか。
 それとも、僕がなかなか来ないので、怒って帰ってしまったのか。あるいは暇つぶしに野次馬にまぎれているのだろうか。少し考えてみて、僕も野次馬の群れと化した。
 すでに到着している警官がその詰め寄る人達の防波堤となっているが、混雑は増すばかりだ。この野次馬のなかにある思いは他人の不幸に対し、どのような形や色をして渦を描くのか。
 しかし僕の思いが急速に変化したのは、まもなくのことだった。まるで偶然に人格でもあるかのように……。
「え?」
 一瞬、何が起こっているのか、脳が視覚情報を上手く処理できなかった。
 刻印することを拒絶しようとして失敗し、不確かで不安定な状態で貯蔵される。そして再生と再考を断固拒否しようと、脳が身構える。まるで世界の色が裏返り、現実を拒否するかのように、思考回路が混乱した。僕そのものが現実から乖離していくようで、目の前の事実がぼやけて霞んでいく。涙腺がそれをより一層強めているようだ。心に広がっていた純白の輝きの中心に、一点の暗い影が落ちる。そして波紋を呼んだ。いつかの福与の氷のような視線で生じた不安の波紋が、現在に追いついた。そして目の前で実体をともなって現実になる。本当に、まるで偶然に人格があるのかと思えてしまうほどに、その現実は僕の幸福を否定するものだった。
 救急車が到着し、隊員が飛び出してきた。
「年齢は十二歳、女子中学生。名前は、村瀬美和子!」
 あれだけコロコロと変わる表情を出していた顔からは、何も浮かぶことがなくなっていた。 両目も閉じられてしまっている。春を思わせる麗(うら)らかな日差しが刺すアスファルトのコンクリートには、村瀬の頭から流れる黒い血が広がっていた。

 ――この人殺し!
 ――殺してやる、殺してやる!
作品名:日常と異常の境界 作家名:HirokiTouno