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ねこたねこ
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コタロウによろしく

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 一夜で十万円以上の金を使ってしまい始発で家に帰ると、いつものようにコタロウが玄関まで走って迎えにきた。少し様子が違うのは、普段なら健治が帰ってきたのがうれしくて、ひたすら周りを跳ねたり、駆け回ったりするのに、その日はどうもそわそわしているように見えたことだった。
 それもそのはず。前の日早朝にフードをあげてから、コタロウは何も口にしていなかったのだ。かわいそうなことをした、そのときの健治はそう思える精神状態ではなかった。
「俺はおまえを食わせるために、こんなにつらいを思いをして働いてるんだ。飯くらい少しは我慢しろ!」
 健治はコタロウを怒鳴ると、台所の棚からフードを取り出し、雑な手つきで大皿にぶちまけ、ドン!っとコタロウの鼻先に突き出した。何も知らないコタロウはそれでも喜び、久々の食事をすごい勢いであっという間に食べきった。
 翌日、健治は気分転換に、愛車の赤いスポーツカーで近くの湖に行くことにした。ひと月ぶりの車での外出にコタロウは大喜びだった。だが、岸を散歩し、美しい湖の景色を眺めても、健治の心は晴れなかった。
「俺だけが悪いわけじゃないだろうが。ミスしたらフォローするのが上司じゃないのかよ!」
 そんな健治の心を知らないコタロウはあちこちを走っては健治のもとに戻ったり、また、どこかへ走ってはクンクン匂いを嗅いだりと、これまで自宅に引きこもっていた鬱憤を晴らすように弾けまくった。
「……そういえば、コタロウと外にくるのは随分久しぶりだったな」
 健治はふと、仕事中心の自分の生活のため、コタロウに無理を強いてきたことを悪く思い、ポケットに入れてきたピンクのプラスチックボールを取りだした。
 健治がボールを岸から数メートルのところに投げると、すぐにコタロウがそれを追いかけ水の中にダイブする。得意の犬かきで岸から離れていくボールを追いかけ口でキャッチ。引き返して健治に渡すその顔は、以前と変わらず「ヤッタよ!」とでも言わんばかりに誇らしげ。
 コタロウと初めてこの湖に来てから、この遊びをするのは今日で何度目だろう。そういえば、暮らし始めた頃は毎週のように来ていたな……。
 考えながらボールを投げ、コタロウが戻るとまたボールを投げる。何度か繰り返しているうちに、健治の頭の中はまた会社での嫌な記憶に苛まれていた。
「チクショー、チクショー!」と力を込めてボールを投げる。投げる距離は一投ごとに延びていき、投げるインターバルはどんどん短くなる。コタロウの息が上がってきたのは、なんとなくわかっていた。そして……。
 最後の一投、と思って投げたボールをコタロウは追わなかった。舌を出し、ハアハアしながら、健治の顔を見つめているだけだった。
 
 コタロウ…… 

 健治の嗚咽は一層強まった。差し出されたタオルは既に涙で満たされ、思い返してさらに泣いた。俺は、おまえに……八つ当たりしただけなんだ。最低の男だよ。おまえの気持ちを全然わかってやれなかった……。
 目の前で泣き崩れる健治を老人はやさしそうな目で見つめていた。そして肩に手をやり、こう言った。
「もう一つだけ、謝りたいことがあると、コタロウ君が言ってるが……、聞くかね?」
 その言葉は耳に入ったが、健治は顔を上げることができなかった。それでも、コタロウの言葉を聞くことが、今の自分にできるせめてもの償いだと、濡れたタオルで咽ぶ声を抑えながら、グシャグシャの顔で小さく数度首を縦に動かした。
 老人は健治の肩を叩きながら亡き愛犬が描かれた画用紙の端を持つよう促した。
 再びバシュッと場面が切り替わり、コタロウの声がイメージとなって健治の心に響きだす。


 ~あの日、お兄さんがいなくなる前に、家の前の棒にリードを結んでくれたの、うれしかったんだ。だって、ぽかぽかしてたから外に出ていたかったの。アリガトウ。
 ずっとお兄さんを待ってたら、しばらくして知らないおじさんがやってきんだ。そしてお兄さんとボクを楽しいところに連れて行ってくれる赤いブルルンを触りはじめたの。
 だからボク、一生懸命「やめて」って叫びました。だって、あれがなくなったら大きな水たまりでバチャバチャできなくなるんでしょ? 
 でも、おじさんはずっと車から離れないんです。ボクがやめてって言ってるのに。
 ボクはもっとがんばろうと思って、たくさんやめてって叫びました。そしたらおじさんはボクのところに近寄ってきました。ボクすごく恐かったけど勇気を出して逃げなかったんだ~
 


「や、やめろーーー!!!」
 健治はすべての気力を振り絞って大声で叫んだ。が、かすれた声は実際には声になってはいなかった。
「も、もう、やめてくれ。わかった……から……」
 言葉とは裏腹に今度は、画用紙から手を離すことを健治の脳は拒否していた。コタロウが謝りたいことを聞かなければならない。どんなに辛くても――。


 ~おじさんはボクのリードをほどいて門を開けたので、ボクはお兄さんを呼ばなきゃと思って外に飛び出したんだ。そしたらドンッてなって、ふわふわして、お兄さんを呼びに行けなくなっちゃった。地面に寝ちゃったけど、おじさんが遠くに行くのが見えたんだ。
 ボクやったんだ! ボクたちのブルルンを守ったんだ。お兄さん、褒めてくれるよね。頭、ゴシゴシしてもらえるかな?
 でも、そのドンッからお兄さんに会えなくなった気がするの。だから、きっとボクがまた悪いと思うんだ。ゴメンネ。ボクのせいでボクとお兄さん、もう会えないんだ……。本当にゴメンナサイ~


 再び崩れ落ちる健治。
 コタロウは自分でリードをほどき、塀を飛び越えたわけではなかった。車上荒らしの男性から自分たちの大切な車を守ろうとしたコタロウ。男性はうるさく吠えるコタロウが面倒でリードをほどき、外に出すため門を開けた。そして……
 健治は老人に肩を抱かれてようやく顔を上げる。またしても顔はぐしゃぐしゃで、細かい肩の震えが収まらない。新しいタオルを老人が渡してくれて、それに顔を突っ込む。その中で、コタロウとの暮らしが走馬灯のように頭を巡る。
 出会い、楽しい共同生活、庭でのバーベキュー、花見、月見、紅葉狩り、二人でのドライブ旅行――。
 しかし、後半の記憶は――。帰宅が遅くなり、散歩の頻度が減り、ドライブに行くことも激しく減った。コタロウはいつしかほとんど出入りしなかった二階に上り、窓際から外を眺めることも多くなった。
 仕事のストレスを理由にコタロウの順位はどんどん下がり、週末のわずかな休息時間、ビール片手にお笑い番組を見ながら、片手間にコタロウの体を撫でていたこと、それが、コタロウがうれしいと感じることの上位になってしまったなんて。
 情けなくて、申し訳なくて……。
 できるなら、そのときの自分を殴りにいってやりたい。ボコボコにして、「コタロウを大事にしろ! コタロウと遊んでやれ! おまえに笑顔を戻してくれたコタロウにどうしてちゃんと応えてやらない! このクズ野郎!」と罵倒してやりたい。悔やんでも悔やみきれない思いが健治の胸から腹をすーっと貫く。
 声にならない声で、健治は一人、嗚咽でしゃっくりを繰り返す中、押し殺すように呟いた。
作品名:コタロウによろしく 作家名:ねこたねこ