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ねこたねこ
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コタロウによろしく

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 二千円? ちと高いかなと健治は思った。正直ただの雑談がてら寄っただけで、絵にたいした執着もない。当の老人もここぞとばかりに営業に走る様子はなく、健治が依頼してもしなくてもどちらでもという雰囲気。穏やかな笑みを浮かべつつ、筆の手入れなどをしている。
 どうしようかと思ったが、地べたに並んださしてうまいとも思えない絵に健治はひかれた。コンテストに出れば落選濃厚と思えるデッサンだが、なぜか健治はそれらの絵に言いようのない郷愁を感じたのだ。
 今すぐにでも画用紙から飛び出して、飼い主のもとに走り出して行きそうな「命」を感じる画風。そう見えてしまうのはきっと疲れているからだろうと思ったが、会社と家の行き帰りの生活で最近まったく金というものを使ってない。
「俺の犬を描いてくれ」健治は老人に告げた。
「わかりました。では、犬のことを聞かせてください」
 二千円を出しながら健治は亡き愛犬のことを思い出し始めた。
 たまたま近所の回覧板を見た健治が引き取ることになった一匹の雑種犬。初めての散歩。車での遠出。湖でのボール投げ。楽しかった日々。いつもつながっていた最高の友達……。そして突然の別れ。
 健治の脳裏にふいに、後悔してやまないあの日の記憶が押し寄せる。

 一か月前の休日の土曜日。前日の長時間の接待で疲労困憊した健治は大事な書類の郵送を忘れ、家に持って帰ってきてしまった。
 本日午後五時必着の書類。特急便で送れば間に合うので、朝一番で宅配業者の出張所に行くことに。
「コタロウ、行ってくる。すぐ帰ってくるから」
 コンビニに雑誌を買いに行くときと同じ、短い時間の外出を意味する手振りをして健治は家を出た。それがコタロウと交わす最後の言葉となった。
 どうして、あのとき……。
「コタロウ君の顔の特徴を教えてくれるかな」
 老人の言葉に健治は驚いて我に返る。コタロウのことを話そうと記憶を反芻しているうちに、つい、いやな記憶に呑み込まれてしまっていた。
「あ、えーっと、色は白。耳は大きくて先が少し折れてて、目は黒くてタレ目気味――」
 一つ一つの造形を伝えると、そのたびに老人は細やかに筆を動かす。
 描きながらも、老人はコタロウの大体の生年月日、特徴的仕草、好きな遊び、好きな食べ物、癖などを淡々と訊いてきた。そして、ときおり青く透き通った空を仰ぎ、目を閉じ、そして、また筆を動かす。
 ほどなくして老人はキャンバスを反転させ、描き終えた絵を健治に向ける。
 それはコタロウの顔のアップを描いたものだった。
 はじめ、健治は期待とは違う微妙な出来栄えに、どうリアクションしていいか戸惑った。観光地の似顔絵名人が描くような、あからさまに似ている絵を期待していたからだ。
 だが、がっかりしようとしたのも束の間、なんとなくその絵から目が離せなくなった。いいようもない感覚が健治を襲う。
 いわゆる似ている絵ではない。でも、それは間違いなくコタロウだった。思わず絵を抱きしめてしまいたいほどにコタロウなのだ。
 健治は胸がドキドキした。すごい……。今日はすごい日だ。自分の感性にピタリと合う、そういう絵をこの老人は描いてくれた。多くの人が居並んだ露店を巡る騒がしい広場の一角で、健治はひそかに感動していた。来て良かったとしみじみ思った。
 すると健治のそんな様子を見ていた老人が「おっと」と小さな声を発する。老人は即座に筆をとり、絵に少しだけ加筆して健治に返した。そして一言、健治に告げた。
「今夜はお笑い番組を見ながらお酒を飲むといい。その傍にこの絵を置いておいてくれ。コタロウくんはそれが好きだから」
 健治は微笑み、ありがとうと老人に告げた。
 そう、激務を終えた週末の夜、帰ってシャワーを浴びると、ビールを飲みながらお笑い番組を見て一人笑うのが健治の習慣だった。それが会社に人間性のほとんどを奪われた健治の数少ないストレス発散の一つだった。
 そして、その横には常にコタロウがいた。
 コタロウは健治が帰ってくる足音を聞きつけるとダッシュで玄関まで走り寄り、ドアが開くと健治に飛びついた。疲れている健治は邪険にはしないものの、適当にやりすごし風呂場へ直行。出るとビールを飲み、寄り添うコタロウを撫でながら、録画したお笑い番組を見て日常の嫌な記憶を洗い流すのだった。

   5.
 

 お彼岸の勇福寺に行きながら結局、当初の目的だったはずの里親募集会場には足を踏み入れず、早々に帰宅した健治は、居間のテレビ横に立て掛けたコタロウの絵をいつまでもまじまじと眺めていた。
 いわゆるうまい絵ではないが、何故か引きつけて離さないそのタッチにいつまでも見入ってしまったのだ。
 ただ、見ているうちになんとなく違和感というか、不自然さというか、何かモヤモヤしたおかしなものを健治は感じ始めていた。顔が浮かんでいる俳優を何の映画で観たのか思い出せそうで思い出せないような感覚。確かに何かに閃いたはずなのに、何に閃いたのかわからない。なんだろう……と思いつつ、ボーっとその絵を見続けてしまう。
 お笑い番組を全部見終わった頃には缶ビール三本、ワイン一本を開けていた。今日はすべてを忘れて久しぶりに気分よく酒が飲めた。立て掛けた絵を見て言う。
「コタロウ、おまえのおかげだよ」
 亡き愛犬を思う自分に酔っているかな……。寝室に行こうと足を踏み出したとき、それまで漠然とあった違和感の正体に気付いた感覚に襲われ、あの絵をもう一度凝視する。
 コタロウはよくいる雑種だが、特有とも言える変わった模様がいくつかあった。その一つが額の右上部にある黒い斑点だ。
 基本白一色の顔なのだが、そこにだけ黒い毛があり、しかもその密集した毛はなんとなくトランプのハート型を少し崩したような形だった。
 近所を散歩しているとしばしば「あら、この斑点、ハートの形みたい。愛にあふれた子なのねぇ」などと通りすがりのおばさんに話しかけられたものだ。
 老人が最後に書き加えた部分はあきらかにこのハートの斑点。
「斑点のこと、言ったかな……」
 確かにコタロウの特徴はたくさん話した。でも、それは言ってないのでは――とかなり強く思ったものの、確信は持てなかった。
 まさかね。偶然か……と健治は流そうとするが、どうにも妙な感覚がして、酔っぱらった頭をフル回転させる。そして、老人との会話を全部振り返ってみると、あることに気が付いた。
「俺は、お笑い番組を見て酒を飲む、そんな話はしていない……絶対に」
 一気に目が覚めた。

   6.

 今年の猛暑も今度こそ終わりだろう。そう感じる朝だった。くっきり白かった雲は淡くかすれたようになり、心地よく吹く風には、あきらかにこれまでとは違う低い温度の空気が混ざっていた。
 里親募集の会二日目。十時開催の現地までは電車で一時間なのだから、九時に出れば間に合うのに、一度目が覚めたまま眠れず、結局、朝五時に起きたまま八時まで漫然と過ごしてしまった。この三時間は三○時間にも感じるほど長かった。早く里親会に行き、あの露店スペースで、あの似顔絵描きの老人に会いたい。そのときが待ち遠しい。
作品名:コタロウによろしく 作家名:ねこたねこ